
【はじめに】
佐渡は世阿弥も足跡を残す芸能の島。村々に能舞台があり、鬼太鼓があり、今も伝統の息づく島です。
その背景に、「金」の存在は欠かすことができません。佐渡の金の歴史は古く、今昔物語集にその記述があります。その時の「金」は砂金でした。
そして佐渡の「金」のハイライトは、なんと言っても江戸時代です。1601年相川金銀山の発見、関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は、金山を幕府のものにしようと、いち早く天領にします。そして佐渡は金そのものの産出、さらには小判作りまで行っています。それが佐渡小判です。
金の産出~小判作りにいたる過程では、当時の日本国内における最高水準の技術が導入されていました。
金を掘るための坑道は、全長400km。なんと佐渡から東京までの長さに匹敵します。また掘るごとに出てくる水をどう処理していくかは、大問題でした。そして江戸時代だけでも技術の変化があり、そのことが鉱山絵巻などに詳細に記録されているのです。
今回は、その中でも小判の本格的な再現実験を初めて行いました。現代によみがえる佐渡小判の姿にも注目です!
江戸時代、それは鎖国の時代です。その中で小判の果たした役割は何か・・・ヨーロッパがアジアに目を向けた大航海時代に佐渡小判の旅は、はるかかなたまで続きました!インド、オランダまで続く、この物語をぜひ番組でご覧ください!
現在、佐渡金銀山は、国の世界文化遺産特別委員会で、世界遺産暫定リストに記載されています。世界遺産登録に向け、より多くの皆様に佐渡金銀山の魅力を知って興味を持っていただければと思います。
【取材地】
佐渡・長崎出島・インド・オランダ
【出演】

佐渡市沢根出身。東京藝術大学学長、金工家。
イルカをモチーフにした「シュプリンゲン」のシリーズが代表作。
父は蝋型鋳金の二代目宮田藍堂。
今回は佐渡小判の再現実験にも加わった。

仙台市出身、フリーアナウンサー。
「BSN水曜見ナイト」キャスター。今回、佐渡、長崎、オランダと佐渡小判を巡る旅をした。
注目ポイント
その1 奥が深い佐渡金山の歴史
佐渡の金は西三川の砂金山の歴史から始まる・・・。
1601年に「相川金銀山」発見。大久保長安が初代の佐渡奉行として相川の町作りをしていく。最盛期5万人の人がいたという・・・。

虎丸山と笹川集落

南沢疎水道
その2 技術の凄さを 南沢疎水道で
金山では様々な技術が導入された。坑道から出る水をどう排出するのか・・・これが大問題。
水上輪という道具(内部にらせん構造をもつ)の導入。そして南沢疎水道の建設・・・。水を海へ流すための疎水を、当時の最先端の技術で作ったこと。(ポルトガルの測量術を使ったとされる。)
その3 掘りに掘った!金78トン
佐渡では平成元年まで採掘が続き、全部で78トンの金を産出した。
これは国内の産出量として全国2位。(1位は現在も採掘されている菱刈鉱山。)

道遊の割戸

出島オランダ東インド会社カピタンの部屋
その4 鎖国の日本から外国へ
佐渡では純粋に金を産出して江戸へ送っただけでなく、最終工程である小判に仕上げることもやっていた。
いわゆる佐渡小判である。そこまでの技術が佐渡にはあった。
そして、徳川幕府は、小判を交易に使う時代があった。 場所は長崎・出島。交易の相手は、オランダ東インド会社(VOC)だ。
その5 インド・コロマンデル海岸プリカット
オランダ東インド会社のインドでの拠点が、コロマンデル海岸のプリカット。
現在は、ひなびた漁村だが、ここにVOCのセンター、ヘルトリア城があった。
小判を改鋳して現地の硬貨パゴダ金貨が作られた。小判の歴史は途絶えるのか・・・。

現地の研究者ベネディクトさんとヘルトリア城跡

オランダ東インド会社本部
その6 オランダ・アムステルダムへ
オランダ東インド会社の本部を訪ねる。
さらに小判の情報を求め、オランダの各地を訪ねる。そこでついに私たちが出会ったのは・・・。
その7 実験してわかった佐渡小判の技術力
佐渡小判には、当時の技術の粋が凝縮している。
実際に再現することによって、その水準の高さを知る・・・。「色揚げ」の技術とは・・・。
実験の様子
色揚げ後 色揚げ前