先日、久しぶりに中学(長岡市)の同窓会に出席しました。その際、盛り上がったのは「長岡の赤飯はなぜ”しょうゆおこわ”」なのか?ということ。

たしかに「長岡の赤飯」は昔から「しょうゆ味で豆も大きい」のです。遠方から参加した同窓生は、帰省するといつも「お土産」として購入しているそうです。懐かしい味だからでしょう。その同窓生曰く「『長岡赤飯』の地域的範囲が知りたくなってきた」。

調べてみたところ、確かなことはなかなかわかりませんでした。ところがそんな中、ことし3月の日本経済新聞にある記事があるのを見つけました。

見出しは「長岡『しょうゆ赤飯』祝いの友」

それによれば、柏崎に行くと「赤飯」はいわゆるノーマルな「赤飯」で、新潟市近郊でも事情は同じ。つまり、「長岡の赤飯」は極めて地域限定色が濃いのはまちがいないようです。一般的な赤飯に使われる豆は小豆や”ささげ”ですが、「しょうゆ赤飯」はインゲン豆を使うため大きいのだそうです。

では、どういういきさつでそうなったのか?ルーツは判然としていません。もち米やしょうゆ業界が需要を増やすため割と最近になって始めた・・・そういう説もあるようですが、河井継之助記念館の館長、稲川明雄さんの話によれば、「江戸時代に長岡藩の殿様が大阪相撲の力士を連れて来たのがきっかけという話もある」そうです。殿様からしょうゆや味噌を造る許可を得た元力士が、店の前にあった寺にしょうゆを譲り、その寺がしょうゆで味付けした米を信徒に提供したのが始まり・・・。明治時代の文献にそのように書かれているそうです。(引用元:日本経済新聞3月17日)

 

とはいえ、確かな証拠というには弱すぎます。謎は深まりました。

ともあれ、「しょうゆ赤飯」は長岡人の間に定着し、祝い事など人が集まる時に作られる家庭の味となりました。また、帰省する度に必ずお土産として買って帰る・・・もはや欠かせない「文化」になっていることだけはまちがいないようです。