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2006年12月11日

遠間和広さん(12/11)

遠間和広さん (温泉ソムリエ)

Photo_36 妙高市赤倉温泉。この地で「温泉ソムリエ」として活躍中の一人の男性。

遠間和広さんは地元で温泉旅館を営む傍ら温泉の知識と入浴法をお客さんに伝え、より温泉を楽しんでもらえる事を願って「温泉ソムリエ」の制度を作った‥と語る。2_2

お客さんとの笑顔あふれる会話・・これが一番のごほうびですかね?
‥と優しげに笑う「温泉ソムリエ」。
遠間和広さん。日本中の温泉活性化の為に。彼の活躍はまだまだ続きそうだ。

※「温泉ソムリエ」とは新潟県旅館組合の登録商標。
フランス料理のソムリエがワインの知識を持っているように、
温泉の知識と入浴法の知識を持っているのが温泉ソムリエです。

2007年5月28日

関京子さん(5/28)

20070528_1 関 京子さん (にいがた花絵プロジェクト代表)

新潟市の花チューリップを使って街をきれいに飾ろう。    
そんな活動を続けているのが「にいがた花絵プロジェクト」    
    
関京子さんは、このプロジェクトの代表。    
県内の様々な場所で    
巨大花絵を展開しています。 

「チューリップの花が捨てられていくのを見たんですね。
 球根を出荷するのには、必要なことなんですけれど。
 花たちをなんとか生かしてあげたくて・・」   
    
関さん達の主旨に賛同する団体は全国に広がり、    
今では、横浜や神戸等でも花絵が製作されています。

「大きなものでなくてもいいんです。
パネル一枚でも、花絵を作ってもらうことで
 どんどん広がってくれればいいですね。
特に子どもたちに花を可愛いと思ってもらえれば・・」
   
花を慈しむ心から始まった関さんの花絵・・・
花への思い、子供達への思いを乗せて   
花絵の輪は、これからも広がって行くことでしょう。     20070528_2_2

2007年12月24日

大平悦子さん(12/24)

大平悦子さん (魚沼市消防団女性部 新潟県魚沼市)    

新潟件魚沼市消防団には    
2005年に結成された女性部があります。    
20071224_1.jpg     
そのリーダーが大平悦子さん。
ご主人と情報処理の会社を営みながら    
「火災や災害のない住みやすい魚沼市」をめざして    
消防団活動を行なっています。    
    
「7・13水害のとき、私の父と母が集落に取り残されてしまいまして・・
 近所との連絡がそのときだけ偶然無かったのが原因なんですが・・
 それ以来防災のためにはまず地域のコミニュティー作りが、まず大事かな・・と。
 そんなとき広報活動を中心にした女性消防団のお話があったものですから。」   
  20071224_2.jpg    
団員は全員が主婦。    
一人暮らしのお年より宅への防火訪問など    
女性ならではの視点で地域の安全を呼びかけます。    
    
「女性部はまだ立ち上がって間もないし、人数も少ないですけど
 女性が訪問することで、皆さんの受け入れが
 ソフトになっているというのは、感じていますね(笑)。
 そんな中で少しでも防災に対する啓蒙活動が出来るように
 男性部と一緒に・・まだ、お手伝いと言ったところですが
 活動を続けたいと思っています。」
 
「地域の人たちが身近にいる人たちを
 少しでも気に掛ける・・それが防災・安全の第一歩なんですね。
 どうしても魚沼市は、昼間若い人が働きに出て不在になります。
 家を守るのがお年寄りになりがちですから・・・。」
 
「一人でも多くの人と合うこと・・それが、仕事かな・・。」
  20071224_3.jpg
誰もが安心して暮らせる町づくり...    
大平さんたちの地道な活動は
これからも続けられています・・・。  

2008年6月 9日

沼澤茂美さん(6/9)

沼澤茂美さん  (村上市・天文イラストレーター・写真家)
 
県北の歴史ある街、
080609_1.jpg村上市にあるちいさな天文台。
ポーラスター神林。    
    
 その建設に重要な役割を果たしたのが    
地元の沼澤茂美さん、天文イラストなどの分野で活躍し    
環境大臣賞を受賞するなどの実績を持つ星に関する第一人者。    
    
「星にイラストといっても千差万別でね。
 アメリカの天文イラストレーターさんは、
 それこそSFチックなものしか描かないひとがいたり・・
 凄く特化しているんですね・・自分の視線・目線で
 景観のなかの星を描くのは、正直日本人だけかも(笑)。」    
    
天文写真家やイラストレーターとしても    
世界を舞台に活躍する沼澤さん・・・優しげな表情で
日本人のもつ=星への感性=を語ってくれました。
080609_2.jpg 
「世界に星の綺麗な場所はそれこそ星の数あって・・・
 自分も其処で仕事しましたからね・・判るんですが
 日本の星空は今、条件は良くないです・・いや=病んでる=かもしれない。
 だけど、さっきも言った景観としての星の美しさ・・・此れはね・・
 日本人にしか感じることが出来ないんじゃないかとも思うんですよ。」
 
・・・たとえばヨーロッパやアメリカでは山は登るものであって
見て楽しむという考えが無いように思えるんです・・・
風光明媚という視点で星を見る素晴らしさ、日本人の感性を
イラストや写真で世界に広められたら、と言うのは感じていますね・・と沼澤さん。
その視点はテレビ番組の制作から星祭りの企画まで
沼澤さんの幅広い活動に今も生かされています。     
    
080609_3.jpg「・・まあ、私の仕事?・・天文のイラストなり写真なりは
 今すぐ衣食住に必要ってものじゃあない・・ですよね(笑)。
 でも、子供に夢や興味をあたえたり村おこしをしたり・・・
 そういう活動を出来る世界・・っていうのか平和な世界・・
 それが続くように環境やいろいろなことを考えて
 これからも活動して行く・・と思います・・
 そんな平和な世の中が続くように・・・願ってますよ。」
 
   この地より=星に願いを=込めて・・・

 宇宙、星、そして神林の自然の魅力は
 沼澤さんたち星を愛するひとたちの手で  
 今もそしてこれからも沢山の人に
 発信され続けていくことです。

080609_4.jpg

2008年8月 4日

大倉宏さん(8/4)

大倉 宏さん (新潟市 創作画廊「新潟絵屋」運営委員 美術評論家)      
 
 新潟市の下町(しもまち)にある「新潟絵屋」は    
080804_1.jpg 大正時代の町屋を復元的に改装した企画画廊・・    
 その仕掛け人である大倉宏さんは    
 フリーで活動する美術評論家です。    
     
 「画廊と言うよりまあ、この下町に惹かれる仲間がいまして・・
 彼らと共同で古い町屋を借りたのがきっかけなんですがね。」
 
最初は何人かでやりたい企画を持ち寄りあい
お金も出し合って=自分の見せたい絵を飾る画廊=を
とりあえず目指したんですよ・・と大倉さん。
この「新潟絵屋」では現在も運営委員11名で企画を持ち寄り
ジャンルを問わない展示を随時行っているのだそうです。
 
080804_2.jpg「絵を身近に感じる方法としては、やっぱり買ったり求めたりして
 自宅に飾るってのが楽しむ方法jだと思うんです。
 自宅の壁には家具もあればテレビもあって(笑)・・
 それぞれ個性的な空間な訳ですよね、其処しか無い空間。
 そこに絵をはめ込むという行為のお手伝いが出来るような
 想像をし易い空間にこのギャラリーがなれれば・・と思うんですよ」
 
見る人の個性も大切にしたい・・大倉さんならではの
=画廊=に対する思いは、この空間に生きています。

 また、新潟の「下町」全体ををこよなく愛する大倉さん。    
 有志達と「町屋保存の会」を結成するなど    
 古い建物や町並みの保存活動にも力を注いでいます。    
     
 「下町界隈は、大火にも戦災にもあっていない・・
 明治・大正期の町屋がいまだ残る町並みなんですよ。
 この画廊だけじゃなく同じように古い町屋に光をあてて
 新しい息吹を吹き込んで魅力的な=街=にしたいですね。
 この画廊もスタートして8年になりますし・・・
 使命感なんて大げさなものはないですけど・・此れからも地道に(笑)。」
 
古い建物には過ぎ去った時間や出来事を記憶した痕跡が
080804_3.jpg壁や柱やたたずまいそのものに在る・・と思う。
だからこそ皆その=深み=に惹かれるのじゃないでしょうか・・ね。
 
 淡淡と語られる大倉さんの「想い」・・
そこから産まれた創作画廊「新潟絵屋」は   
 「下町」の風情を確実に今に伝えているようです。 

2008年9月 8日

カール・ベンクスさん(9/8)

カール・ベンクス さん (十日町市 建築デザイナー)

080908_1.jpg十日町市竹所・・かつて過疎に悩んだこの集落に    
古民家を再生した家が増え始めています。
いまや9軒だった古民家が36軒にまで・・     
    
この古民家復活の仕掛け人はカール・ベンクスさん。    
15年前、ドイツからこの地に移り住んで来た建築デザイナーです。    
    
「偶然、ドイツに持ち帰る建物・・日本の伝統建築、民家をね・・
 探した此処に来たですよ・・この竹所に・・それで感動しました。
 自然と、此処の民家の材料の質の良さと・・暮らしの址(あと)ね(笑)。
 だから、最初は、別荘のつもりで組み立てなおして作ったんですね、自分のために。」
 
そのうちに、此処竹所の人情に、自然にも魅せられて15年・・
私の気持ちにぴったり合ったんでしょうねえ・・とベンクスさんは笑います。
 
「此の十日町市竹所が無ければ多分日本に居なかったでしょう・・
だから、此処はもうワタシの村でもあるんです・・
色んな意味で此処でぜいたくな暮らしができていますよ・・」
 
080908_2.jpg新潟の山村に暮らし、日本の建築技術に魅せられ    
その文化を残そうとするカールベンクスさん。
その活動は高く評価され新潟市から表彰を受けるなど、
数多くの人に支持されてきました。    
  
「最初は・・それこそ自分のために建てた・・ですね。
 でもそのうち、その、私の家を見て色々な人が=住みたい=・・
 ・・=こんな家で暮らしたい=・・そう言ってくれました。
 で、今36軒・・此処に再構築して出来たんですね、古民家を建て直して。
 新潟の古い民家は材料が素晴らしいですよ・頑丈で雪に耐えるからでしょうか。
 だから・・作り直しすれば、きちんと現代に通用する、いい家になりますね。」
 

画家、東山魁夷は
「古い家の無い街は思い出の無い街だ・・」という言葉を
かつて残した・・とベンクスさんは語ります。
 
母国であるドイツでは築100年を超えた建物は
勝手に改築・解体できないという法律が制定されているくらいであって
日本の木造建築は世界にも類の無いものなのだから、
080908_3.jpg実際に住める家として日本の顔として今後も残さねばならぬ
ただ、其れは住める家、生きている民家でなければならぬのですよ・・とも。
 
「あと、この村、竹所の再生もどんどんやらなければね。
 盆踊りの踊り場も伝統的にしたいし、清水の沸く水汲み場も・・ね
 =村人(むらびと)=として地域のひとの為に何かしたいのですよ・・今、特にね。」
    
心優しい客人(まれびと)は頼りになる村の担い手に・・・
ベンクスさんの手によって古き良き日本がは、
新しい文化となって今に蘇っていきます。

2008年10月20日

山本智章さん(10/20)

山本智章さん (新潟市・整形外科医・新潟リハビリテーション病院副院長)
  
投げすぎが原因と言われる「野球ひじ」。   
其れが原因で手術におよぶ小中学生は   
県内でも毎年数十人に上るといわれています。   
081020_2.jpg   
その研究と予防活動を行なっているのが   
新潟市の山本智章(のりあき)さんです。    
   
 「何より小学生のときに投げさせ過ぎるな・・
 此れに尽きることではあるのですが。」
 
小中学生の野球選手、特にピッチャーのフォームを
分析した結果、投げ方の良し悪し以上に=過剰な投球回数=
此れが一番の問題なのだ・・と山本先生は語ります。
 
「ただ、正しい投げ方体にいい投げ方のデータは
 指導者の皆さんには常時伝えて行きたいと考えています。
 ・・・此れに取り組んだ理由・・ですか・・
 病院でスポーツ外来をやっていますと
 ひじを痛めてくる子供が異常に多いんです。
 中には手術が必要な子供もいます・・
 其れも野球を始めたばかりの小学生の時点で。
 ですから何より治療以上に予防が大切なのでは・・と
 ひじを痛める野球少年を減らしたい・・と思いまして。」

選手の指導方法も医学的立場から提言する山本さん。   
081020_3.jpg野球指導者への研修会も積極的に行なってきました。   
   
「ボールを投げるという事自体肉体には負担なんです。
 投げすぎをとにかく減らさないと子供はひじや肩を痛めてしまう。
 まだ骨格が固まらない子供たちを上手に導いて
 怪我無く楽しく野球をさせる・・此れは大人の責任です。
 私たちも医者としての立場から色々な形で指導者の方々に
 それを伝え実行してもらえるよう努力したいんですよ。」
 
山本さんのお子さんも以前硬式の少年野球チームに在籍
その練習を見て子供たちの将来についてあまり考えが及んでいないのでは・・と
思ったことが研究の一番最初の発端であったとも伺いました。
 
日本高野連は1993年以来、甲子園出場校の投手全員に
肩、ひじのX線検査とメディカルチェックを実施しています。
其の中で投球禁止命令を受ける投手はわずかではあるものの
=少なからぬ投手が小中学時代から痛みを抱えながら野球を続けている=・・との
調査結果も出ている現在・・・此の研究と活動はより重要な意味を帯びてきます。
 
  081020_1.jpg「スポーツはこどもの心とからだを健全に成長させる大切な役割をもちます。
 ですからせっかくのスポーツで体を壊すこどもたちが居てはならないんです。
 だからこそ私たちも医者として、何が出来るかを考えながら・・
 =病院で待つのではなく外へ出て行って=この思いを伝えたいのです。
 
 其れが最終的には新潟の野球の、スポーツのレベルを上げることにも
 間違いなく繋がる・・私は其のように常に思っているのですが・・(微笑)。」
  
この街から未来のエースを安全に育てたい。   
山本さんの活動はこれからも続きます。 

2008年11月10日

清水隆太郎さん(11/10)

清水隆太郎さん (ボランティア集団=オリエン隊=事務局長)
 
新潟市が舞台の映画「降りてゆく生き方」が   
081110_1.jpgこの秋にクランクアップしました。   
   
撮影を影で支えてきたのが「オリエン隊」。   
清水隆太郎さんは、此のボランティア集団の事務局長です。   
   
「僕自身は教師志望で、学校卒業したのが
 半期卒業で秋だったんですね
・・で、その時中越の水害が起きて・・半期ふらふらするのも・・と ボランティアに応募したんです・・で、其処の現場で
 街づくりを考える人達と出合ったのが縁なのかなあ・・」
 081110_2.jpg
就職までの経験に・・と思って始めたボランティア活動が
何時の間にか自身の中で大きな目標となって行き
其の後の中越地震 ではボランティアセンターの仕事を経て
災害地での臨時教員を務めるまでになった清水さん。
 
本来の目的であった=教師=を勤めながら
其の頃から少しずつ其れに物足りないモノを感じた・・と語ります。
 
「もう少し、街づくりとか・・そういうものや
 同じ教育でも地域おこしの視点から見たもの・・
 そういう視点から改めて考えたくなったんです・・
 で、新潟の街づくりに関わる人たちと出会ううちに
 新潟で映画を撮りたいという動きと重なって・・」

出発点は・・・自分達の街をより多くの人に知ってもらうこと...。   
かくして誕生した「オリエン隊」の活動は、映画のPRから   
ロケ地マップの制作まで幅広く行なわれて行きました。   
 
081110_3.jpg「街づくりって言うだけだと=?=と思うひとも
 =映画撮るんだよ此の街で=って言うと、じゃあ、俺も・・って
 参加してくれる場合も沢山あっtですね・・。
 其れがまた新しい繋がりを生むんだと思うんです。
 特に、一人ひとりが顔の見えるレベルで繋がるネットワーク?
 =あいつが言うなら俺も出よう=みたいな繋がりを作れる・・
 其れが此の=オリエン隊=の活動のよさだと思うんですよね。」
 
住んでいる街の中で街づくりのためひとりひとりが
自分なりのやり方で動くこと・・其れを形にしたら
此の=オリエン隊=が出来ちゃったのかも知れませんね・・
 
少し照れくさそうに笑う清水さんの活動は
まだまだこれからも大きく広がっていくことでしょう。
   
清水さん達の想いが込められた映画
081110_4.jpg「降りてゆく生き方」は来年の春から
全国各地公開される予定です。  

2008年12月22日

小林昌子さん(12/22)

小林昌子さん  (魚沼市 天地人バスツアー公認観光ガイド)     
 直江兼続生誕の地魚沼で    
  「天地人バスツアー」が人気を集めています。    
081222_3.jpg     
 案内役は小林昌子さん。    
 元バスガイドという経歴を生かし、    
 公認観光ガイドを務めています。    
     
 「フリーのバスガイドを・・す~っとやってまして・・・
 県外のお客様をご案内する日常のなかで
 正直、わたしの故郷は観光地じゃないんだろうなあ・・って
 最初は思い込んでいたんです。・・でも、ある時・・ね(笑)」
 
都会から訪れた観光客の「なんて空気が美味しいの・・」
と言うひとことで気付かされた・・と小林さん。
自分たちが当たり前に過ごし、暮らしてきたふるさと北魚沼が
誇るべき場所だと言う事を・・・あらためてふるさとの良さを
再発見させてくれた・・其れが切っ掛けなんですよ。
・・・と爽やかな笑顔で語ってくれました。
 
「だから、今度は、歴史や伝説、
 形にのこっていないものも含めて
 ふるさとの良さを伝えて行こうと思ったんです。」
  081222_1.jpg 
 湯沢温泉の定期観光バスの仕事を一年間担当する中
=天地人=のテレビドラマ化が決まり、それなら・・と
直江兼継公をテーマに歴史を巡るコースを自分でも考案し
訪れる観光客に発信を続けてきた小林さん。
其れを聞いた=天地人バスツアー=事務局が
小林さんに声を掛け公認観光ガイドが実現しました。
     
 観光客へのおもてなしは郷土の再発見から...    
 タクシー運転手や地元旅館の女将への研修会も    
 数多く行なっています。    
     
「自然のよさ、美しさはもう当然のことですけど(笑)081222_2.jpg
 人の暖かさをこれからは訪れる人に感じて戴ければ・・と
 このあたりにはお爺ちゃんお婆ちゃんからお孫さんまで
 一緒に暮してる家がまだ沢山あるんです・・・だから
 昔話を知っている子供たちも沢山いたりして・・
 近所の付き合いも残り、人情も残り、そんな佳さというか
   そういうものをお客様にお伝えしたいですね」    
     
 ふるさとの賑わいの為に...本当の田舎のよさを伝えたい・・    
 越後のおもてなしの心が少しづつ・・
 訪れる人たちの中に浸透し始めています。  

2009年4月20日

松井弘恵さん(4/20)

松井弘恵さん(新潟市 フリーアナウンサー) 
     
 新潟県内のラジオ番組などで活躍する     
090420_1.jpg フリーアナウンサー松井弘恵さん。     
      
 フリーに転進したのは9年前     
 子供の出産がきっかけでした。     
      
 「当時局の専属みたいな感じで・・
結婚して、出産すれば・・女子アナって
 仕事からサヨナラ(笑)・・特にあの頃そういう風潮だったですよね。
 でもね、そこで夢を諦めてしまったら・・なによりも子供に申し訳ないかな・・って。
 夢を、せっかくかなえた夢を諦めたらだめかなあ・・って思ったんです。
 
高校の全校集会で偶然司会をさせられ、出来がいい、と褒められてから
授業で教科書読むのも大好きになってそれ以来何時かはアナウンサーになるんだ・・と
思い続けそれを実現した松井さん・・いまも現役バリバリのママさんアナとして奮闘中。     
      
  090420_2.jpg最近では、各種子育てなどのシンポジウムへ参加を依頼されたり    
 「いじめ根絶県民運動」のコーディネーターを勤めるなど     
 母親としての経験を活かした活動も幅広く行なっています。     
      
 「子育ての新米ママ、パパからの相談が番組に来たり・・・
  そういう部分で色んな方のお役にも立てるかなあって。
  女性の結婚、出産、その後の職場復帰の後押しが出来るような
  そんなアナウンサーになれれば、いやならなきゃ・・って(笑)。
 
人と人とは繋(つな)がってて独りでは生きられないから・・・
オトナとオトナ、こどもとこども、オトナとこども・・・
そういった繋(つな)がりを大切にして欲しいから
その手助けが出来るアナウンサーで在り続けたい。
 
「新潟の女性が元気で、美しく、
 何事にも積極的でいられるような
 そんな活動を応援して行きたいんです。
 とりあえず・・じゃあ何しようか?って言われると
 ・・=頑張りますっ!=しか、今、言えないけど(笑)」
 
産まれたあと、毎日同じ本でも良いから090420_3.jpg
短い時間でもいいから・・と読み聞かせを続けた
可愛いお子さんも今や小学校でミニバスケットに夢中。
自分も学生時代バスケやってたものだから
最近は思わず燃えて、=スポ根ママ=かも・・と
屈託なく明るい笑顔で笑う松井さん・・・。
 
アナウンサーになる夢を自らの手で実現した今
母としてまた語りのプロとして次の夢を探しつつ
今日も人と人との心をつむぐためにマイクの前に・・・     
「元気と笑顔を届けられる=しゃべり手=で在りたいです。」
 
 松井さんの活動はこれからも続きます。     

2009年5月25日

八木洋さん(5/25)

八木洋さん (新潟市・新潟シティガイド代表) 
090525_1.jpg    
 新潟島の観光名所を案内する新潟シティガイド。    
     
 去年の4月に発足し、
1年間で目標の3倍を超える
 489人を案内しました・・・その代表が八木洋さんです。    
     
 「最初は新潟市の観光ガイド養成講座・・ですか
 それを受講したのが切っ掛けだったんですがね。
 二年間講座で勉強させていただいて、
 そのあと今の自主団体を立ち上げた・・という事です。」
 
まず、何よりも自分が新潟の、ふるさとのことを知りたい・・
それがすべての始まりだったと思いますよ・・と、八木さん。
発足当初は市内・市外の歴史好きの人たちなど
地元の団体からのオファーが殆どだった・・とも。
 
「 ただ、今年はにいがた大観光交流年ですからね。
 市も県もたっぷり宣伝して戴いたおかげで
 県外からいらっしゃるガイド希望の方も大分増えまして(笑)」    
「県外の方が言われるのは、まあ新潟市は食べるものが美味しい。
 川と海の織り成す景色がいい・・あと=ともかく空が広い街=だと。
 
090525_2.jpg新潟島の歴史や町並み・・その成り立ちや、今は忘れられた風物
そんなものも含めて此の地域を訪れた人たちに紹介していきたい。
まず何よりもお客さんと接しながらのガイド・・という考え方を忘れずに
5人程度を1人のガイドがご案内する・・というやり方を守って
今後もこの新潟島ガイドを続けて、進めて行きたいと語る八木さん。
  
「私たちのガイドで新潟の見方が変わってくれれば・・と思います。
 良く謙遜なんでしょうか=にいがたは何もないとこだから=と
 どうも新潟県人は言いがちのように思うんですが(笑)
 けっして=そんなことは無い=・・と知っていただければね(笑)
 
 だからそれこそお馴染みの観光スポットから路地小路の裏
 あまり知られていない美味しいものまで・・今の新潟島の魅力をね
 来て戴いた方皆さんにご紹介するのが目標・・でしょうねえ。」
 
 秋にはにいがた国体やJRのキャンペーンも控え    
  新潟島観光ガイドの需要は今後ますます増える
  ・・とも予想されています。
   
「まずボランティアであるわけですから、ガイドしながらも
 自分たちも見たことの無い=新潟=を発見して楽しみながら・・・
 皆さんのお役に立たせて戴いて末永く続けて行きたいものですね。」    
     
今年度は第2期の新潟島ガイドの募集も始まりました。090525_3.jpg
 
 魅力溢れる川と港、広い空の街=新潟=の街歩き...。    
 その魅力を数多くの人に伝える事が出来たら・・
 
「それが私たちガイドにとっての=新潟自慢(笑)=であり
 なによりの遣り甲斐、喜び・・というところでしょうか(笑)」    
   
八木さんたちの活動はこれからも続いていきます。

2009年6月 8日

伊藤達也さん(6/8)

伊藤達也さん (糸魚川市  糸魚川シチュエーションロードムービーズ代表)
     
 糸魚川市にはかつて5軒の映画館がありました。     
090608_1.jpg しかし現在、時代の趨勢からか一軒も残ってはいません。   
      
 そんな中で映画の振興に情熱を注ぐ男性がいます。     
 伊藤達也さん・・地元に帰ってきてから精力的に
 自主鑑賞会など映画の魅力を広める活動を行なってきました。     
      
 「映画の仕事がしたくて上京して・・五年前に帰郷したんですが
 私が東京へ出たころ、まだここ(糸魚川)には映画館あったんですよ。
 で、ふるさとに戻ってきたら無くなっていまして・・・
 映画館のある街で育ったから映画好きになったんだなと思ってましたから
 此処は是非もう一度この街に=映画=を復活させたくて。」
 
糸魚川の人たちは元来映画大好きなはずですから・・・。
 
優しい目で語る伊藤さん・・何より映画を見ることの面白さを
もういちど皆に思い出して欲しいとも語ります。
 
 この2月には、地元糸魚川がロケ地となった映画     
 「楢山節考」の上映会を実施、     
 主演の坂本スミ子さんも応援に駆けつけました。     
      
090608_2.jpg 「ロケ地に選ばれた場所が自分のふるさとにある素晴らしさ。
 でもそれって映画を通して見ないと発見できない景色なんです。
 それをふるさとの人たちに気づいてほしいんですね。
 映画のシーンの中に立てる、そういう場所に住んでるんだ・・と。
 
映画のシーンに映し出されたふるさとの光景。
それを見ることで改めてふるさとの美しさもなにも見えてくる・・・
映画をみて感じることは100人が100人違うとしても・・・
 
「それって本当に凄いこと素晴らしいことだと思うんですよ(笑)
 
そう言って伊藤さんはまた少年のように笑います。
 
「映画館に、上映会に行って映画を見るということは
 スクリーンだけが明るくて周りには人がいて椅子ひとつのスペースで・・
 これほど制約された状況で影像に集中することは
 普通の日常のDVDやTVの中にはたぶん無いんですね。
 もう完全に映画だけに集中して見れる環境・・
 それを皆さんに知って、いや思い出してほしいのかな・・。」
 
映画館復活・・は無理としても、定期的に
月に1回でも映画上映会が出来る・・
そんな街にしていきたいんです、と今後を語る伊藤さん。
090608_3.jpg 
 「糸魚川の人たちは日本一映画が好きなんだよ・・ってね
 日本中から言われるくらいになればなあ、なんて思ったりもしますよ(笑)」
 
  
 映画を愛する男が語る、 映画から見えてくる地域の魅力。 
 =ふるさとに映画を=と言う伊藤さんの活動はこれからも続きます。     

2009年7月 6日

小千田節男さん(7/6)

小千田節男さん (阿賀町 NPO法人みかわ天文台台長) 
    
 阿賀町三川地区の山あいに天文台がひっそりと佇んでいます。    
     
 小千田節男さん・・・新潟に天文台をそんな夢を抱きつづけ2005年にこの施設を建てました。  
  090706_1.jpg
 「小学校の頃、学校に行くといじめがあってね。
学校には行くけど何時も図書館に逃げ込んでた。そこで科学雑誌で見た=イケヤ彗星=の記事で ~イケヤ彗星が見たい~と・・思った。」
 
午前3時、お父さんと見に行ったイケヤ彗星。
ダークブルーの天球に地平線から天頂まで棚引く光の尾。
その彗星を発見した池谷薫さんの記事の中にある
自分で作った望遠鏡で彗星を発見したという部分に触発されてもっと星を見たい・・と思ったと語る小千田さん。
 
「正直、親がハンディのある人だったから・・・馬鹿にしてた連中を見返したいとも思ったんだけどね。」
 
高校時代・・手作りで望遠鏡を作りながら天体観測を続けていた小千田さんは佐渡で行なわれたサマーキャンプで車椅子の男性を含む大人や子供たちにボランティアで星を見せる機会を持つことになります。
 
 
090706_2.jpg「車椅子に座った、正直何を言ってるのか良く判らない・・でもその人が目を輝かせて何か伝えようとしてたんだね。
で、聴いて見たら=今見た土星をアンコールで見せて=・・と。
本当に子供たちにも皆にも喜んでもらった・・星を見ることで。」
 
そしてキャンプから帰宅した小千田さんのところに1本の電話が・・
 
「その車椅子の人の親御さんからだった・・・
子供がはじめて家に=みやげ話=を持ってきた・・と、
家族に1時間も掛けて星の、土星の美しさを説明してくれた・・と、
電話口で号泣されたのを・・今でも覚えてるな。」
 
そのとき、小千田さんは思ったのだそうです。
 
=星を見せてあげられた人の、子供たちの感動を得ることは
地上の彗星を見つけるみたいなものなんじゃないか=・・・と。    
だから、天文台をどうしてもこの手で新潟に作る。
場所探しに10年、20年の準備期間を経て三川のこの地に建てられた小千田さんの天文台。
山道の開拓から望遠鏡の組み立てまで自らの手で行い、この6月には新しい望遠鏡も完成しました。
    090706_3.jpg
「此処は二つの山に挟まれた・・風の交わる場所だから空気が揺らがないので、星が瞬かない・・
 星のひかりが真っ直ぐに届く、地上の光に邪魔されない場所。
 あと星空もそうだけど・・=雲=がね、近い感じがするね(笑)」
 
そしてこの場所で沢山の子供たちが星を見ることが出来てハンディのある人たちが同じくここで何か働いていけるようになればそれが理想だし、応援してくれる人も増えてきているのが今は一番嬉しい、また頑張らなければと思う・・・と小千田さん。
 
「最近ECO(エコ)って良く言うけど、ゴミ拾うとかの行動も大切だけどもやっぱり心の中のECO(エコ)ってのが原点なわけだから・・・
 ここ、そういう事が話し合えるような場所にしたいんですよ(微笑)」   
     
 星空の素晴らしさをより多くの人へ。 小千田さんの活動はこれからも続きます。    
     

2009年11月 6日

中島 純さん(11/6)  

中島 純さん
 (新潟経営大学経営情報学部教授。 ~NPO法人 ヒューマン・エイド22副代表~)

県央、燕市・・・落語の講演会が行なわれています。    
    
語り手は新潟経営大学の教授、中島純さん。    
子育て支援やまちおこしイベントなど     091106_1.jpg
様々な地域活動を行なうヒューマンエイド22の副代表でもあります。
    
「落語自体はね、高座に上ってまだ3ヶ月くらいで・・今、まだネタが二つしかないんですよ。
つい、この間まで(ネタが)オンリーワンとか言われてて(笑)」
 
以前からボランティア活動で、子育て中の父母に
落語絵本の読み聞かせを=楽し読み=と称し、行なっていた中島さん。
何故そこから本格的に落語に挑むようになったのか?と伺うと
 
「まず、本人が好きだったからでしょうね(笑)
 
091106_2.jpgあと、落語は子供からお年寄りまで
笑いでいろんな世代が繋がる・・
色々な場所で使えるアイテムですから。
 
自分が学生と行なっている地域(加茂市)の街づくり、商店街のイベントに参加したりお手伝いしたりしてるんですが、そういう部分の地域の活動にも役立てられますから。
 
実際、公民館のプログラムで落語講座を開いたことがあるんですが、
地元で活動中の落語家さんや、まあ私も入りますが
天狗連(落語好きで自分も講座に上がる素人さん)を講師にして・・
これがすぐに受講生満員になったりするんです。
 
街づくりや高齢者の生きがい作りにも役立つかな・・と実感してますね。」
 
平日は加茂市の新潟経営大学で教鞭をふるう中嶋さん。
授業活動の中のみでなくボランティア活動を通じても    
ひとづくり、まちづくりの大切さを幅広い世代へ訴え続けています。    
    
「新潟人って、よく言えば=真面目で固いひと=が多いんでしょうね。
そういう人に落語で肩の荷を降ろしてもらおうと言う思いもあるんですが(笑)・・・
 
ワークライフバランスという言葉があるんですが、人間の生活で
家族と職場・・以外に=地域=という要素が加わると
多分人生の充実度が上がる、と思うんです・・自分がまずそうですから。
 
で、そういう人がひとりひとりの個性や能力を発揮出来るのが
まあ、=いい街=であり=いい街づくり=にも繋がるかな、と。     
     091106_3.jpg
此れからも自分の潜在能力や可能性を広げる為にも
高座に上がり続けていろいろな出会いを経験したいですね。
 
新潟人は悪く言えば「もじける」(引っ込み思案)人が多いですから(笑)
自分をさらけ出して場を盛り上げるというか・・活気を与える。
そのために自分を惜しまないという姿勢は、生徒にも私から盗んで欲しい・・かな(笑)。」
 
今後の目標は落語の上達!・・
いや人間通の、人間力のある先生になりたいですね。
落語をやることから私自身学ぶところは多いですから。
 
最後そういって笑った中島さん。
 
老若男女、笑いの溢れる地域の賑わいの為に...    
中島さんの活動はこれからも続きます。    

2010年1月 5日

佐藤秋夫さん (1/5)

佐藤秋夫さん (新潟市・おもちゃ病院にいがた会長)
    
新潟市西区・・・
子どもたちのための「おもちゃ病院」が定期的に開院(開催)されています。

その会長が佐藤秋夫さん。100105_1.jpg
おもちゃの修理に情熱を注ぐ
ボランティアグループの取りまとめ役です。

「実は、最初、孫からせがまれましてね(微笑)。おもちゃの修理をはじめてみたんですがやはり一人ではなかなか判らぬことばかりで。
その時ボランティアセンターでおもちゃドクターの養成講座のですね、ええ、募集を見て、これだと思って応募しまして。」

おもちゃドクター講座に応募、
無事卒業した佐藤さんは
お住まいがボランティアセンターの近所だったこともあり
何時の間にか卒業した玩具ドクターの皆さんのまとめ役のような立場になり
同期の受講生で此のおもちゃ病院活動を発足させることになりました。
 
現在在籍するメンバーは佐藤さんの同期生12名を含め35人ほど。    
電気、通信、建築など様々な分野からその道のプロフェッショナルが集まっています。 
   
100105_2.jpg「私どもの世代は=ものづくり=世代でしたから。
同期も含め皆さん仕事の現場で=ものづくり=で
色々なご苦労をされてる方が殆どなんですよ。
ですから、=直す=ことの大切さが良くわかる。
何でも大概のものは直せるんですね・・

そして、その、直そうと思うところから、何と言うのか・・
=創造性=や=科学するこころ=が生まれる。
そういう=こころ=を子どもたちに持ってほしいなあ、と。」

現在新潟市の2ヶ所で解説されているこのおもちゃ病院。
開催のたびに沢山の親子が遠距離からも集まってきてくれる。
これからはもっと色々な場所でも開設していきたいですね・・と佐藤さん。

私たちがこのおもちゃ病院を続けることで
お母さんたちが苦労して買ってあげたおもちゃを
無料で修理するという活動を続けることで
子育ての支援になってくれれば一番ですね、とも。
 100105_3.jpg
「おもちゃはちいさいけれど日本の生んだあらゆる技術の・・
ノウハウの塊(かたまり)みたいなものなんです。
分解し組み立てて直すことは、そのノウハウを学ぶことでもある。
今の子どもたちにもその面白さをね、知って欲しいですねえ。

あと、私たち自身60過ぎてこれからの人生の、なんというか
生きがいのようなものを求められる場所でもありますから、この活動は。
世代を越えたコミュニケーションがとれる貴重な場所でもありますから。
私たちおもちゃドクターも色々学ぶことは多いと思いますよ。」

・・・持ってきた動かなかったおもちゃが再び動き出した瞬間
瞳を輝かせて喜ぶ子どもたちを見ているのが一番の喜びですね・・
最後に佐藤さんは子どもたちの笑い声の中、穏やかに微笑みました。

日本の生長を担ってきた=ものづくり=のプロたちの手で
再び元気になったおもちゃ・・・きっと子どもたちのなかに
=物を大切にする心=と=想像力=を育んでいく事でしょう。

 

2010年2月 5日

上山裕二さん(2/5)

上山裕二さん(新発田市・新発田中央高校教諭)。     

新発田中央高校吹奏楽部
100205_1.jpg実は、毎年12月にチャリティ演奏会を開催しています。
普通の高校のブラスバンド部であれば
定期演奏会という名前になるところですが、新発田中央高校はあえてチャリティ演奏会に拘(こだわ)っています。

この吹奏学部の顧問が上山裕二(かみやまゆうじ)さん。
実は、このブラスバンドの発足のきっかけにそのこだわりのわけが・・・

「・・、まあ、お恥ずかしいことですが、
このバンドの発足当初学校がかなり=荒れて=いたんです。

そこでまず一生懸命何かに打ち込む姿勢を育てよう・・と。
それには、少しでも社会の役に立つことができないか・・と。

最初は決して演奏も上手くなどは無かったんですけどね。
たとえ、雪の降る路上の演奏でもいいから音楽会をやって募金を募ろう・・と
そんな思いから始まったというコンサートなものですから。」

このチャリティーコンサートの継続は人間形成でもあり
単なる高校生として以上に社会の約に立てるかもしれない・・
その思いを基軸に、新発田中央高校のブラスバンドは
音楽を通じチームワークを磨き人間性を育てることが第一。

100205_2.jpg「演奏の上手いのはまあ、理想なんですけれどね(微笑)
それよりも何よりも人間性を高めることが目標なんです。
少なくともこのバンド活動の大元は。」

地域のイベントでの演奏会、地元でのパレード演奏。
そして、29年間行なわれ続けてきたチャリティ演奏会。    
その社会への貢献度が評価され、去年の11月日本フィランソロピー協会からの表彰を受けました。    

「なぜチャリティー演奏会の名前ににこだわり続けるかと言われると・・
まあ、演奏会の入場料から募金活動をずっと続けていることもありますが
生徒の、あと自分自身の=心構え=みたいなもののイメージでもあって・・

自分たちのやりたい演奏をやる、ということだけではなく
お客さんに喜んでもらえる演奏、ですね、それがまず大事だと。
あと、今の若者の=一生懸命さ=を伝えるという事。
土・日も休み無く練習を続けて己の思いを伝えるということ。
で、それを頑張るこの生徒たちの=姿勢=でしょうか・・・

演奏の上手い下手もともかく、それが=一番伝えたいこと=なんですよ。」

ブラスバンドは沢山の異なる楽器のパートが
それぞれの個性を主張しながら一緒に演奏することで音楽という結果を作っていく・・一人じゃ出来ない。100205_3.jpg
これは=人間ひとりで生きてるんじゃない=、と同じこと。

そしてそこから出来上がったもの(演奏)がまったく見ず知らずの人たちのこころを喜ばせてくれたりする
自分たちがそれが出来る、という楽しさ。

生徒たちのこころの音楽をより多くの人たちに。

「生徒のそういう社会の中での頑張り・・
それを知ることを私自身はこれからも手助けできれば良いですね。
できる限りこのブラスバンドの顧問でいたい、と思っています。
聴いてくれる人がどう感じてくれるかを常に考えた演奏が出来るように。

なによりも生徒たちが音楽を通じてしっかりと成長できるように。」

新発田市民の心に届けられた音楽は
生徒達の心も育んでいます。

 

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