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産業・ビジネス アーカイブ

2007年1月15日

皆川昭一さん(1/15)

   皆川昭一さん (山古志野魂(ヤーコン)同好会代表)

南米アンデス産まれのキク科の植物・・ヤーコン。
その根はサツマイモに似ており、野菜の中で一番フラクトオリゴ糖を含みポリフェノールやカリウム、カルシウムも多量に含有した野菜です。
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このヤーコンを「野魂」と呼び代え、山古志村の村おこし事業として皆川さんをはじめとした有志が栽培に乗り出したその年・・中越地震がふるさとの村を襲いました・・・。
初めての収穫直前、壊滅的な打撃をうけてヤーコン畑はほぼ全滅それでも・・ひとつひとつ・・また・・始めから・・・  山古志復興のシンボルのひとつとして・・新潟県内の一般の人たちにもその輪は広がり苦難を乗り越えてヤーコンの栽培は再開されます。
「もう、村おこしというよりも・・山古志のヤーコン(野魂)。これからの復興のきっかけになってほしいですね・・。」
昨年11月、二年目の収穫を迎えたヤーコンを前に皆川さんは力強く語ります。「野魂」・・生命力の息吹に満ちたこの野菜のようにふるさとの村や町は逞しく震災から立ち上がってゆく。 そんな明日が必ず来ると信じて・・・。

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2007年2月26日

皆川伸一郎さん(2/26)

皆川伸一郎さん (㈱ビーズインターナショナル代表取締役)

「エクストララージ」「エックスガール」・・アメリカンテイストのヤングカジュアルです。20070226_1
新潟にも店舗があるこのブランドを展開しているのが
ビーズインターナショナル代表取締役の皆川さん・・気鋭の企業家です。

海外経験やアパレル商社勤務を経て
90年にビーズインターナショナルを設立して以来
代官山や渋谷、神宮前など流行の発信地に店舗を増やし
もちろん故郷の新潟にも・・

「全国に展開すること以上に新潟に出店するのには意味があったんですよ
 ・・・故郷ですから。」

自称渋谷一のアルビレックスサポーターでもある皆川さん。
オフィシャルスポンサーとして「ORANGISTA!」という
サポーターのためのデザインブランドまで創立しました。

故郷への思いを胸に・・企業家皆川さんのより一層の躍進を応援しています。

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2007年4月16日

米津正則さん(4/16)

米津正則さん (イル・チッチォーネ オーナーシェフ)

新潟市中央区西堀に店を構える
人気のイタリア料理店「イル・チッチォーネ」    
その厨房で腕をふるう恰幅豊かな一人の男性。     20070416_1
    
いかにも美味しい料理をつくりそうな感じの米津正則さんは    
このお店のオーナーシェフです。    

「季節の素材って、そのものが主張してるんですよ。
 オレをこうしてくれ・・とか、こう料理してくれ・・とかね。
 だから、素材の言うことを聞いてあげる・・。
 それが、俺の料理の新潟らしさなのかな?」
    
なによりも食材の良さにこだわる米津さん。    
その実力は広く認められ、マスメディアやインターネットを通じ    
新潟のカリスマシェフとして全国に紹介されています。

「素直な料理が作りたいね・・古典をいじくりまわしたり
 新しいものにこだわったりするんじゃなくて、
 素直に楽しく料理したい・・それだけ!(笑)」    
         
新潟だからこそできるイタリアン・・    
米津さんの思いが込められた料理は    
今日もテーブルに届けられています。     20070416_2

2007年5月14日

安川隆さん(5/14)

安川 隆さん (フランス料理店オーベルジュ古町オーナーシェフ20070514_1

フランス料理店「オーベルジュ古町」    
「新潟でもっとも予約が困難な店」と言われる程の人気店です。    
    
安川隆さんはこの店のオーナーシェフ、    
地元新潟の食材を大切にした「時差のない料理」を提供しています。    

「そのときその場所の旨いもの、食材を使って
 その土地ならではのフランス料理を出すのが
 三ツ星レストランだと・・思っていますので。
 それに僕自身新潟の人間ですから・・
 新潟ならではの旬のフレンチを食べてもらいたいですね。」
    
本場フランスで修行した安川さん。    
帰郷後、数々のコンテストや料理番組にも出場し、    
全国にその名をとどろかせました。    

「月並みかもしれませんが・・新潟にきたら
 オーベルジュのフレンチが味わえるんだ・・と、
 言われるような店にしたいんです。」
   、    
新潟の四季おりおりの素材と正面から取り組んで
日々進化しながら饗される「新潟のフレンチ」
安川さんの 修行が終わる事はありません。     20070514_2

2007年7月23日

萱森教之さん(7/23)

萱森教之さん (農業 加茂市)


稲の本来の成長力と免疫力を支える植酸栽培で
特徴を凝縮したコシヒカリを育てている「かやもり農園」
その主である農業のスペシャリストが萱森教之さんです。
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「植酸栽培は稲に良い環境をつくることからなんです。
土の中に溜まった農薬や化学物質などの悪いものを
除いて、土壌をつくることが第一歩なんですよ。
あとは、稲は本来の自然の力で育つ。稲本来のね・・。」
 
江戸時代から続く農家の11代目の萱森さんが
この農法に出会ったのは平成9年のこと。
以来毎年より良いやり方を模索しながら
本来の味のコシヒカリ作りに取り組んでいます。

「有機農法は前からやってたんですね。
この植酸栽培で作った稲を見せられた瞬間に
あまりの出来の違いに愕然としたんです。」   
    
「造り始めて暫くして、自分に娘が生まれましてね。
それ以降ますます、この子の時代のためにも
安全な米、安全な食を・・という意識が強くなりましたね。」

いい米を作るにはその時期その時期の見極めが
とても大切だと萱森さんは語ります。 
芽が出るとき、根が張るとき、育って穂が付くとき・・
それを見つめながらの米作りには
到達点、ゴールはないのだ・・とも。
毎年が試行錯誤の連続なんですよ・・と。
たくましい体躯に似合った分厚い笑顔で語る萱森さん。
今では彼の周囲には50人を超える有志が集まり
共に植酸栽培によるコシヒカリ作りを進めるまでになりました。

「人間が食べるべきものを、広めて行きたいですね。
言い方はきついかもしれないですが・・・
このままじゃもっと腐った時代になっちゃう。
今、なんとかしなくちゃね。」

日本中の子どもたちに安全な米を・・
萱森さんの理想の米作りはまだまだ始まったばかりです。

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2007年7月30日

小泉欽一さn(7/30)

小泉欽一さん (花火師・新潟煙火)
 
長岡祭りのフィナーレを飾る大花火大会。   
中でも、一際目をひく華麗な花火「フェニックス」。
中越地震から雄雄しく立ち上がるふるさとをイメージして
2006年から打ち上げられている大花火・・・   

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その製作を行なっているのは県内の若手花火職人たち。   
取りまとめの一人が新潟煙火の小泉欽一さんです。
 
「長岡の大花火は、4社合同でやってるんですが・・
フェニックスの依頼が来たときは、ほんとに出来るんかい?これ・・と
正直思いましたね。かつてないスペースを使った打ち上げなもんで。
ただ、成功して、見る人に勇気を与えられれば・・と思うと、
いつの間にか喜んで挑んでましたね。」  
   
かつてない打ち上げスペースのほかにも、
歌(平原綾香のジュピター )とのシンクロさせるタイミング
より感動に訴える構成・・フェニックスの完成までの苦労は
一方ならぬものだった・・と語る小泉さん。
長岡第一回目2006年の打ち上げの瞬間は
それこそ「柄じゃないけど、祈る気持ちで」見つめたそうです。
その熱い思いは、いま、確かな形で広がりはじめています。
 
「今年は、フェニックスという形の花火がね・・長岡だけじゃなく
新潟や見附でも打ち上げられるんですよ。
新潟市では、進化しつづける新潟市のシンボルとして・・
花火師のひとりとして、この先もっと普及させて、継続して行きたいよ。
俺たちから、未来のこどもたちへのメッセージとしてね。」
 
震災復興のメッセージとして産まれたフェニックスは
打ち上げる人たち、見守る人たちの熱い思いに育まれて
今、大きな翼を「にいがた」の夜空へと拡げはじめました。
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2007年9月 3日

飯島剛志さん(9/3)

飯島剛志さん (村上 茶商・茶栽培=富士美園=六代目)
 
「お茶屋といっても、うちは半分農家ですからね。」 20070903_1.jpg
 
茶畑にたち収穫を行いながら語るのは飯島剛志さん。
北限の茶どころ村上の明治元年創業という歴史を持つ
茶商「富士美園」の六代目。五代目の父、久さんと共に
昔ながらの技術と北限の茶処の誇りを守り続けています。    
    
「村上の茶は畑から販売まで全部なんですよ。
だから自分の作ったお茶に対するお客さんの声が
そのまま返ってくる・・これが、魅力ですね。」
 
静岡にあるお茶の試験場でお茶作りのノウハウを学んでいた頃
自分のこれからの何か目安になれば・・という思いから
日本茶ソムリエの資格を習得、もちろん新潟県内では
初めての日本茶ソムリエの誕生でした。
自分のお茶作りを茶商としてお客さんに伝えるためには
とても役に立つ、また勉強になる資格だった・・と語る剛志さん。 20070903_2.jpg
 
「茶作りでは、もう、親父を超えたと思ってたんですよ。
 でもお客さんの心を掴む・・お茶屋としてはまだまだ・・
 五代目にかなわない・・目標です(笑)」
 
「もともとお茶は温かいところのものなんですよ。
 雪の降る新潟、それも県北の村上での茶作りが
 どのくらい困難か・・その過酷な、雪に耐えて出来た
 村上茶ならではの味わいをもっと多くの方に
 知って、味わって戴きたいですね。」
    
今後の目標は?と尋ねたわたしたちに
「お客さんのほしいものを枠に囚われず作りたい・・・
土の匂いのする、作り手の顔がわかるお茶屋になりたいね。」と
力強く語った北限の茶作り六代目剛志さん。     
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六代守り続け育て続けた北限の村上茶。
これからも日本じゅうの家庭に
そのさわやかで馥郁たる香りと芳醇な味を
届け続けることでしょう。
 
雪に耐え大地に根ざし生きる作り手の思いを乗せて。

2007年9月10日

坂詰直枝さん(9/10)

坂詰直枝さん (長岡市小出・大力納豆社長)
 
山紫水明・・そんな言葉が思い浮かぶ魚沼市小出。
いまや街の名物となった大力納豆は創業70年の老舗    
2代目の坂詰直枝さんは長男の仁さんと共に    
こだわりの納豆づくりを続けてきました。    
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「父親が作っていた納豆に飽き足らなかったんだね。
 今までどうりの納豆を作ってるだけじゃ・・
 何か、挑戦してみたかったんだろうかね(笑)。」
先代の後をうけ納豆づくりに挑んだ直枝さんは
地域に根ざした納豆づくりを始めます。
豆にこだわり、製法に工夫をし、なにより心をこめて・・
作り上げた地元産大豆の納豆は
全国納豆鑑評会で最優秀賞を受賞
小出の大力納豆の名を高いものにしました。
「日本一美味しいコシヒカリの取れるところだから・・
 大豆だっていいものが出来るに違いないと思ってね。
 あとは、なにより水、雪が育てた伏流水の美味しさ。
 ・・魚沼、小出って言うとどうしても雪国?暗い・・って
 イメージがあるけれども、この雪があるからこそ
 美味しい水があって、美味しい納豆が出来るんです。
 その、豪雪地の雪に対する心意気みたいな・・
 それを味にのっけて出していきたいの・・。
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3代目の長男、仁さんと現在は二人三脚、
日々美味しい納豆づくりに励む直枝さん。
納豆嫌いの人にも喜んで食べてもらえる
大豆本来の香りのする納豆を目指して
毎日工場とはもんちゃくですよ・・と 笑います。
「魚沼の、小出の人たちがね・・外へ出るときに
 うちの納豆をお土産にもっていってくれるんですよ。
 美味しいから止めたら困るよ・・って言ってくれる。
 これが一番嬉しかったかね・・。
 なによりも職人ってねえ・・作ってて自分がね、
 楽しくなくちゃいいものは出来ないの。
 これからもそう思ってやっていきますよ。」 
「夢はね・・そう、100年先も大力納豆が
 健在であること・・みなさんに食べてもらえることかね。
 ひたすら美味しい納豆を作りますよ・・。
 ここでしか、うちでしか出来ない納豆を。」 
    
大力納豆を生むふるさとの水と作り手の心意気・・
直枝さんをはじめたくさんの人たちの情熱に支えられて
その確かな味はこれからも全国の食卓へ届けられることでしょう。

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2007年9月24日

秋元幸平さん(9/24)

秋元幸平さん (燕市 福祉食器製造「コラボ」社長)

歴史在る洋食器の町、燕市。     
日本で唯一の金属製ステンレススプーンの生産地です。     
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秋元幸平さんは、その燕市でも数少ない
体の不自由な型やお年寄りでも使いやすい食器・・    
福祉食器専門メーカー「コラボ」の代表・・・
1985年の円高による輸出産業の不振のとき
商品を特化して営業力を揚げることを目的に
「コラボ」の」福祉食器製造は始まりました・・しかし、その影に
親会社会長の娘さんが障碍を持っており
その子に対する親心もあったのでは・・と秋元社長は言います。
 
「食事は一日3回の大切で大事な行為。
 それを障碍のために、苦痛だと思ってしまう人がいる。
 そういう人にわれわれのスプーンで
 食事を楽しんでもらえれば・・と思います。」

秋元さんの開発テーマは「全ての人が使える食器」。     
その製品は、ユニバーサルデザイン賞やキッズデザイン賞を受賞し、     
全国から、世界から注目されはじめています。
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「大人、子ども、男性、女性、お年寄り
 色々な型のニーズに合わせた食器づくり。
 それが、言ってみれば私たちの
 =ユニバーサル・デザイン=ですね。」
 
「日本ではステンレスの食器を作っている唯一の街が、燕です。
 そして福祉食器を作る会社はその中でもごく少数・・
 責任を感じるとともに達成感も大きいですよ。
 弊社製品をお使いの方から感謝のお手紙とか戴くと・・。
 やはり、日本のデリケートな食文化に合う、楽しめる食器は
 日本人にしか造れない・・そう思いますから。」
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現在は福祉食器以外にもスプーンの計上を変えていくことで
正しい持ち方を覚えられる形状記憶ポリマーを使った
持ち方教育用スプーンの製造なども行っている秋元さん。
世界中のひとたちがわれわれのスプーンで
食事を楽しんでもらえるようになってくれれば・・と
今後の夢を暑く語ってもくれました。
なにより使う人の嬉しさの為に、     
秋元さんの研究は今日も続けられています。     

 

2007年10月 8日

飯田美紀子さん(10/8)

飯田美紀子さん (月岡温泉白玉の湯華鳳女将・新潟女将の会会長)

 新潟県新発田市。。美人になれるお湯で名高い月岡温泉・・
  数ある旅館の中でもひときわ大きなホテル「白玉の湯華鳳」。     
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  その女将が、飯田美紀子さん・・・
 毎日、県内外からの多くのお客さまを     
  その優しい笑顔で迎え、おもてなししています。
  「先代の女将・・母ですが、その大変さをいつも目の当たりにしていましたから
 少しでも早く母の手助けがしたくて女将になったように思います。」
 本当はプライベートも無いし忙しいし・・こんな商売は・・って
 思っていたときもあったんですよ・・と優しげに語る飯田さん。
 先代の大女将が亡くなって4年・・もうすっかり老舗旅館を背負って立つ
 女将の風格と貫禄を感じさせる表情です。     
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 「本当の意味で仕事が楽しくなってきたのは最近かもしれません。
 それが自然にお客さまに伝わって喜んで楽しんで戴ける・・
 そんなおもてなしがようやく出来るようになったのかな・・と。」
 飯田さんのもう一つの顔は 「新潟女将の会」の会長。
 2005年の中越大震災からの復興キャンペーン活動を
 きっかけに結成された「新潟女将の会」は 
 新潟県の観光振興をはかる目的で現在も活発にPR活動を続けています。
 もちろん飯田さんも多忙な旅館の女将業のかたわら
 会長としての業務・パフォーマンスに余念がありません。 
  
 「新潟には海の幸・山の幸・美味しいお米・お酒・・それに
  数々の雰囲気の異なる温泉も自然も残っておりますしね。
  ふるさとへの旅とまでいかなくとも、ほっとして寛いでいただける旅を
  色々な=にいがた=をアピールできればと思いますよ。
  あと、何よりも人のあたたかさがある場所ですからね。
  その新潟の=ぬくもり=をお伝えするのが=おもてなし=の心。
  そんなふうに言ってもいいんじゃないでしょうか(笑)」
 旅館の女将は着物の襟足と同じ・・出すぎても困る、引っ込みすぎても困る。
 先代の残した言葉が、今になって心に染みてきますね・・と飯田女将。
 忙しい日々のなか、日々精進ですね・・とも語ります。
 新潟のよいところを、来ていただいたすべてのお客様に・・
 女将・飯田美紀子さんの望む「温泉旅館ならでは」の心のふれあいと
 細やかなおもてなしは、これからも訪れる人を魅了し続けています。   
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2007年10月15日

落希一郎さん(10/15)

落希一郎さん (新潟市=旧巻町=欧州ぶどう栽培研究所代表)
 
新潟市西蒲区巻(旧巻町)    
角田山の麓、のどかな農園で葡萄摘みが行なわれていました。    
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落希一郎さんは、この地で100パーセント自家栽培、自己醸造の
ワイン作りを行っている=欧州ぶどう栽培研究所=の代表です。    
高い糖度が不可欠なワイン用葡萄を生産するのに向いている地。
実は5~8月の晴天時間で言ったら北陸の海岸部が向いて居る・・
そう教えられたのがここに来るきっtかけだったと落さんは語ります。
 
「葡萄を植えて16年半になりますが・・
 最初のころは特徴とか出なかったですね。
 いまやっと樹が自分の脚くらいの太さになり、
 特徴のある葡萄が出来るようになりました。
 これがこの先、より熟成されたワインとなって行く。
 それが楽しみですね・・生きているうちに一滴くらいは
 味わえるんじゃないか、と思っています(笑)。」
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ここだけしか作れない特徴の・・とにかくいいワインを...
落さんのこだわりは、ワインづくりの未来を担う若手達にも受け継がれています。    
    
「30年前、ドイツでワインの勉強をしていたときに
 半信半疑で聞いていた恩師の言葉があるんですね。
 =ワインは毎年違う酒が出来ることが楽しい=・・って。
 たとえばこの畑のシャルドネ(葡萄の種類)ですが・・
 事実今年と去年・・3年前、4年前・・あからさまに全部違う。
 まあ、それを評価して買ってくださる顧客のルートあっての事ですが
 今ようやくその面白さが、答えが出始めているのかな?
 あとは私の考えに共感してくれる後進たちが結果をだしてくれる・・
 最近はそんな風に思っていますね・・もう、根は生やしたつもりですから。」
 
最初、新潟の、この巻の土地に来たとき
自分の育った鹿児島や直前までいた北海道とは
根本的に人が異質だと感じた・・とも落さんは語ります。
にこにことおとなしく声を荒げず他人と戦うことも少なそうな人間関係。
 
でも、いまは息子さんのお嫁さんも新潟人。
まもなく60歳を向かえ、孫も出来ると、それなりに
自分も新潟人が判ってきた感じでしょうか?・・とも。
 
「ワインづくりのために選んだ土地ですから思い入れは強いですよ。
 私がここで作ったワインづくりのノウハウを一般に公開して・・
 地元をはじめ皆さんだれでもこの地でワインを作り始めて・・
 巻が一大ワイン生産地になれば・・いいワイン作りが集まるようになれば
 面白い・・・とは思いますが。ただ、肩肘張るつもりはないんです。
 あとはそれこそ後進たちに・・。」
 
自分の作るワインは自分の子ども。
のべつ幕なしに自慢しつづけるのは親馬鹿でしょうが
最後は自分のワインが一番と言えるようになりたい。
そのためにも新潟にワインという新しい産業を根付かせたい・・
 
ワイン作りへの情熱をひたすら語る落さんの挑戦は
これからもそして次の世代へも引き継がれて行くことでしょう。
 
新潟、巻の地にあらたな産業文化が出来る日を目指して・・。
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2007年12月10日

岩佐十良さん(12/10)

岩佐十良さん  (雑誌「自遊人」編集長  魚沼市)

  30代後半から60代前半の男性のための
【オフを思い切り遊ぶためのライフスタイル誌】として、
165,000部の発行部数を誇る雑誌「自遊人」
 その編集部は現在、南魚沼にあります。    
    
編集長は岩佐十良さん。   
本物の自然環境にこだわり、   
編集部を、東京からこの地へ全面移転しました。    
   

20071210_1.jpg 「最初は日本の食、米作りに興味がありましてね・・
 編集者ってのはどうしても、本を読んだり調べたり・・で
 頭でっかちになっちゃうんですよ・・。」
 
「同じコシヒカリをほとんど同じ場所で作っている・・
 それでも、Aさん家(ち)とBさん家(ち)のコシヒカリは味が別物。
 その違いは・・・現場へ行かなきゃわからない。
 それが、魚沼へ来るきっかけ・・でしたね。」   
   

現在は家族あげて魚沼に在住
山古志での米作りにも取り組んでいる岩佐さん。   
自然と共生することで   
より「高品質」な雑誌づくりを目指します。   
   
「米作りと言っても・・私たちのは、いわば小学校の理科実験ですね(笑)。
 いろんな米作り・・有機栽培、カルガモ農法・・それによって収穫がどうなるか
 その知識を実際に追体験している・・という所でしょうか。」 20071210_2.jpg
 
体験に裏打ちされた雑誌づくり・・
米作りへの興味からはじまった雑誌編集部の魚沼移転は
色々な意味で広範囲な紙面づくりへと繋がっていきました。
 
「日本の文化って何?・・が私たちの雑誌のテーマなんです。
 それを知るためには日本の四季がとても重要視されるわけで
 その、四季折々の風景が美しくめりはりのある土地・・
 その代表の一つが魚沼なんじゃないか・・と思います。
 それが、民族性や伝統芸能まで広げた範囲で
 いまの雑誌づくりの参考になっていることは確かですね。」
 
「自分は東京生まれの東京育ちで田舎がないんです。
 ここへ来て3年経ちましたが・・まだ3~4年はね、少なくとも
 新潟のにんげんで居たいな・・(笑)。」
 
「東京にいたときは、米の旨い不味いしか見ていなかった・・
 でも、ここ(魚沼)には魂のこもった米がある・・
 地域の農家の凄さを心から感じますね・・住んでみて。
 それを、日本全国のひとに知ってもらいたい・・
  20071210_3.jpg うちの雑誌の今後の大きな目標の一つ・・ですね。」

  大人のためのライフスタイルが 、  今。
 熱い情熱を持った編集者たちの手によって
 南魚沼から全国へと発信されて行きます。   

2007年12月17日

田中仁さん(12/17)

田中仁さん  農業・三人娘米生産者(長岡市・旧山古志村)
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新潟県長岡市山古志(旧山古志村)。   
今年取れたお米の選別作業が行っているのは田中仁さん。   
山古志の水と土で育てた特別なお米・・「三人娘米」の生産者です。   
   
三人娘とは、中尾ミエさん・伊藤ゆかりさん・園マリさんの
1960年代前半に活躍した「スパーク三人娘」の事。   
美味しさと安全にこだわった田中さんの米作りを支援し
田植えや稲刈りにも足を運んで米造りを行いました。   
   
「地震でやられた田圃がようやく復興出来た頃に
この三人娘米の話が萱森さん経由で持ち込まれてね。
今までと同じことをするのに拘りたがるのが米造りではあるんですが・・
このプロジェクトと農法(植酸農法)がより米造りに向き合ってる感じがして・・。」

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植酸農法は稲に良い環境をつくることを主眼にした農法。
土の中に溜まった農薬や化学物質などの悪いものを除き、土壌をつくる。
当番組に登場した加茂市の萱森教之さんが県内では有名ですが
田中さんはその萱森さんからこの企画を受けました。
 
「中山間地の田圃は天水田・・で、棚田なわけですよ。
水を大事に蓄えて米を育てていく・・そういう中で
より地力を上げ稲本来の強さを導く
植酸農法が合ってるんじゃ・・と思いました。
で、一年目にして食味や倒伏などに、いい結果が出ています。
基本的に米の粒が違う・・食べたら美味しかったし(笑)。」
 
美味しい米・安全な米にこだわる田中さんは
景観として、自然の一部としての棚田にも強い思いがある、と語ります。
 
「治水や国土保全って意味を考えると棚田って極めて重要なんですよ。
そのうえ寒暖差や天水で作る旨い米造りには不可欠な
・・・生きている田圃なんです・・もちろん、この景観を残しておきたいですし・・
そんなアプローチにも関わっていきたいですね・・これからも。」
 
山古志復興のシンボルとして、魂のこもった生きている米造りの果実として   
「三人娘米」は、これからも山間の秋を彩り稔ることでしょう・・美しい棚田の景観とともに。
 
「この米を食ったら・・棚田が見えてくる・・そういわれたら最高だね(笑)。」
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そして田中さんの理想の米造りも・・・。

2007年12月30日

柳下容子さん、飯島剛史さん(12/30)

■ 柳下容子さん (アルビレックスチアリーダーズディレクター

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日本人ではじめてNFLとNBAの2チームに所属した経歴を持ち、
02年【NFLサンディエゴチャージャーズ】チャージャーガールズオーディションに合格。
NFLチアリーダーとして活動後、05年には【NBA CLIPPERS SPIRIT DANCE TEAM】オーディションに合格する快挙を成し遂げた。
帰国後は、今まで培ってきた経験を新潟に還元したいという想いからアルビレックスチアリーダーのディレクターに就任。
後輩の指導にあたりながら、スポーツクリニックなど新潟スポーツ界全体を活性化させるべく、多岐に渡る活動を展開中。
はじけるような笑顔とエネルギッシュな行動力は後進たちの活動を力強く支えている。

■ 飯島剛史さん (村上冨士見園六代目)

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「北限の茶の産地」村上。明治元年創業のお茶の名店として知られる冨士見園の六代目。
「商人(あきんど)の町屋をイメージしながら、訪れる人が昔ながらの家を思い出してほしい」との思いから、
 昔ながらの街並みにマッチするように改装した店舗で営業を展開しつつ、
 村上茶の一層の発展に向けてとりくんでいる。
 また村上の物産店が集まって発足した「村上町屋商人会」の中で村上茶の発展とともに、
 村上の町屋の活性化の為に活動。"地域づくり総務大臣賞"を受賞する等、村上の町起こしにも積極的に活動中。

**ワンダフル信州人 [SBC信越放送]**  

**ワンダフル甲州人[YBS山梨放送]**

2008年1月21日

コーヂ(cozi)さん(1/21)

コーヂ(cozi)さん (フォトグラファー・新潟市)
新潟市内の小さな写真スタジオ    
モデルのの撮影が行なわれています。    
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コーヂ(cozi)さんは地元のファッション雑誌を中心に、    
幅広い分野で活躍するフォトグラファー・・
彼の撮影した女の子の写真を眼にした人も多いはず・・    

自分が写真を始めたきっかけは
今の奥さん(当時恋人)にもらったちいさなカメラからですね・・
友達とか、特に女の子を撮るのが楽しくてね・・
まるで悪戯っ子のような眼差しで語るコーヂ(cozi)さん。

「女の子が一番可愛く、無条件にいい表情(かお)を向けてくれるのって
 カメラマンじゃあないか・・なんて思うんで、楽しいですよ・・写真。」
「まあ、家族がいたのもあるけど・・たとえ東京でもハワイでも
 やることやりたいことが明確なら関係ないんです。
 それが僕には写真だったわけで・・だったら、その、
 好きな人が回りにいる、好きな景色が回りにある新潟でやろう、と(笑)。」

みんなあまり知らないでしょうけど新潟の景色・・
冬は意外に明るいんですよ・・実は影が無くて。
雲が低いから光が回る、夜の光が雲に反射して緑やオレンジになる。
そんな新潟特有かな?・・な、風景が大好きなんですよ、と
プロならではの感慨も交えつつも、コーヂ(cozi)さん・・・

「だから新潟でもカッコいいこと、やりたいことは出来るんですって(笑)。
いい風景、可愛い女の子・・それが出来るってことを伝えたい、写真で。
新潟が・・・ダサい、田舎だって思ってる若い子に、特に・・ね。
君の視点が変われば、ここは充分素敵な街でしょ・・って、ね。」

20080121_2.jpg
かくて独自の感性で今日も作品作りを行なうコーヂ(cozi)さん    
彼が手がけたフリーペーパーは即日品切れになるほど。    
若者から受ける絶大な支持に今後も応えるには・・との問いに

「今、自分でしていることを続ける・・ことかな。
 夢を叶えること自体は、それを維持することに比べれば簡単ですよね?
 だから、夢を実現して、なお続けることが、カッコいいんだって・・
 若い子に判ってもらえたら嬉しいですね。
 そのためにいい写真を撮り続けるのが僕の仕事だし・・

 え、いい写真?・・それは、撮りたいものが撮れて、
 その対象が、特に僕の場合人間、女の子が一番いい顔で・・
 いい表情を撮れて、撮られた本人も喜んでくれるもの・・
 それがいい写真かな?まだ、上手くは言えないんですけど、ね(笑)。」   

「結論、新潟って・・=面白い=んですよ・・。」

20080121_3.jpg
新進気鋭のフォトグラファーの活躍は
確実に新潟の街に、文化に新たなページを刻み始めています。    

2008年2月 4日

田澤勝さん(2/4)

田澤 勝さん (村上市・大洋酒造杜氏)


県北の城下町・・村上市にある大洋酒造。
地元にあった14の酒蔵が合併して出来たこの会社は   
日本で初めて「吟醸酒」を市販した蔵元の一つ。    
20080204_1.jpg     
伝統を一身に受け継ぐ杜氏、田澤勝さん。    
県北の老舗の酒作りを支えています。

「杜氏は酒造りじゃ頂点ですからね。
 酒を造る者なら誰でも目指したいところですから。
 なんの疑問も持たずに杜氏になる、と決めてました。」

ゆっくりと確信をもった口調で、田澤さん・・
酒造りへの思いや目標を真摯に語ってくれました。

「まず、お客さんに喜んでいただく酒。
そのためには原料の米、吟味して吟味して
米の味を出し切った酒を造ってその味を喜んでいただく・・
米だね、酒米がまず一番ですよ・・・。
出来りゃその米もこの手で造らなきゃ。」  
    
酒作りはまず酒米作りから...。
思いは新潟独自の酒米「越淡麗」との出会いにつながり
その「越淡麗」でつくった大吟醸酒は    
国税局種類鑑評会で優秀賞を受賞しました。    
    
「あれ(越淡麗)に出会ったのは平成14年の夏でしてね。
 醸造試験場の圃場でちょうど稲穂が出るところでした。
 逞しい稲姿に惚れました・・自分も酒は米造りからだったんでね。」

20080204_1.jpg

「新潟で山田錦に劣らない酒米として開発されたからには
 どんな味が出るのか、酒にしたときの味わいが凄いなら
 どうあっても酒米造りからやらねば・・と思ったですね。」

「村上は海も山もあって食材も豊富、
 食文化の歴史も豊かで長いですよ。
 それに水・・米造りにも酒造りにも命になる水が
 豊かで旨い・・だから新潟の、村上の酒であってほしいですね。
 この越淡麗で造る酒は・・・
 柔らかでふくらみがあって後味の切れが善い・・飲みやすい酒に。」

最後に「話、堅かったかな」と言って微笑んだ田澤さん。
真摯で情熱的で、でも真面目で寡黙・・
私達も新潟人の気概の骨頂を垣間見たようにも思いました

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この酒を村上の新たな名物の一つに...
日本中へ、いや、世界中へ
   
田澤さんの酒作りは今日も行なわれています。    

2008年2月25日

東條邦明さん(2/25)

東條邦明さん (妙高市  (有)かんずり社長 ) 20080225_1.jpg
 
上杉謙信も愛用していたとされる、
郷土の辛味調味料「かんずり」    
新潟県妙高市の名産です。    
    
東條邦明さんはこの「かんずり」の生産者。    
無添加にこだわった安心、安全な昔ながらの味覚を    
今に伝えています。    
    
「先代がこの=かんずり=が好きでしてね
 郷土のモンだから残したらどうじゃ・・と
 最初は遊び心もあって生産はじめたんですがねえ(笑)」
 
妙高といえば「かんずり」・・になってくれましたよ・・と東條さん。
雪があればこそ、雪がいい仕事をしてくれて
「かんずり」が出来上がるんですよ・・とも語ります。
  20080225_2.jpg
「厳しいなかで(唐辛子・南蛮)の=雪晒し=・・
 これが=かんずり=の所以(ゆえん)でもありますからね。
 どんなに厳しくても3月初旬までには終わらせないと・・
 最近は子どもが社会見学に・・と、来てくれるんですよ。
 子ども達が手伝い、自然に根ざした食べ物だと言うことを、
 郷土の食べ物だと言うことを学んでくれている・・
 こりゃあ、嬉しいですよ・・ええ、伝統が伝わるんですから。」    
    
とうがらしを雪にさらすことで、甘味とコクが増します。
単に辛いだけでない深み、渋み、そして麹の醸し出す滋味。    
そのまろやかな、特徴的な辛みと旨みは、
ヨーロッパやアメリカの家庭でも愛用されはじめています。    
    
「食べ物ですから好みはあるでしょうが 20080225_3.jpg
 辛みは世界に通用する、国境の無いうまさだと思うんですよ。、
 できれば=世界のかんずり=にまでなってくれりゃあ、なんて
 結構大それたことも考えたりしてますよ。
 長く付き合って使ってくれる人が増えてほしいですねえ。
 =かんずり=舐めて、頑張りますよ(笑)。」
    
雪に晒されて、なお熱く渋くそして滋味ふかく
まるで辛抱強くでも柔らかくそしてしと頑固(笑)な新潟人のよう
=かんずり=が支える雪国ならではの伝統の食は    
いまや世界へ向かって発信中です。

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2008年3月10日

田中美津子さん(3/10)

田中美津子さん (小千谷市・ウエディングドレスデザイナー)
 
越後の雪と風土が生んだ重要無形文化財
「小千谷ちぢみ」を使ったウェディングドレス・・・
   20080310_1.jpg   
デザインしたのは田中美津子さん。    
中越地震をきっかけに、ふるさとの伝統織物を    
新しいスタイルでアレンジしました。    
    
「きっかけは地震ですね・・
 何もかもなくなるんじゃないか・・本当にそう思ったから。
 私の隣が小千谷ちぢみを織っているんですけど
 そのちぢみの良いものもなにも、みんな無くなってしまいそうな・・
 だから、私も何かしなきゃ、って思って作った気がします。」 
 
震災の痛手をうけた地元小千谷
なんとか自信を、希望を取り戻してほしい
そんな田中さんの思いが生み出した
小千谷ちぢみのウエディングドレス・・・
独特な凹凸感と肌合い
そして伝統の中に流行を取り入れた斬新なデザインは、    
多くの人から注目を浴びています。     20080310_2.jpg
    
「地元には、ふるさとには
こんないいものがあるんだよ・・と、
判って貰えれば一番嬉しいです。
今度は新郎さんの衣装もペアで作りたいですね
・・・そうして、ドレスとして着終わったら
洋服やジャケットに作り変えてずっと着てもらえる・・
そんな素材なんです、ちぢみって。
一生、また次の代も大事にしてもらえる・・」
 
一生一度の大切な結婚式だから
一番素敵な姿で花嫁さんを飾ってあげたい
そんな気持ちを忘れずに、これからも・・・
 
「ドレス作っていきたいですね・・(笑)。」    
    
ふるさとへの思いから生まれた美しいウエディングドレスは    
小千谷の地から伝統と革新の融合した
新たな流行を発信していくことでしょう・・これからもずっと・・。

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2008年3月17日

板垣誠さん(3/17)

板垣誠さん (新潟市・フリーマガジン=DEN=編集長) 20080317_1.jpg
 
新潟の人や文化などを紹介している    
 フリーマガジン「DEN」。    
 昨年の夏に発刊されました。    
     
 板垣誠さん。    
 発行部数20,000部を誇るこの情報誌の編集長です。    
     
 「政令指定都市をきっかけに新潟の情報誌を・・と
 考えて作り出したんですね、で、ターゲットはシニア世代。
 フリーペーパーは多々ありますが、この世代を対象にしたものは
 今まで見当たらなかったですから・・。」 
     20080317_2.jpg
 取材テーマは、「新しい新潟の発見」、    
 そして「昔の新潟の再発見」。    
 編集長自ら取材先へ足を運びます。
 
「新潟のよさをPRしたい・・っていうのは当たり前ですが・・
 新潟の魅力は最終的には=人(ひと)=だと思うんですよ。
 その=人=がつくる=モノ=や=仕事=にその思いが出ている。
 ご本人たちはまったく認識していなくても・・ですね(笑)。
 だから、その思いの伝え手になりたい・・と考えています。」
 
なによりも新潟のの居心地のよさ。
この土地、風土と人が織り成す落ち着きやぬくもりを
ここに住む人々の心の豊かさを伝えられたら・・と板垣さん。 20080317_3.jpg
 
将来は季刊から月刊にしたいですねえ、編集長としては・・と
今後の目標を明るい表情で語ります。    
     
「東京や県外へ出て行った新潟のひとたちに
 新潟を再発見してもらえるきっかけにもなりたいですね。
 懐かしの昭和ブームなんかと被る特集も
 ターゲット世代的に多いから、若い人たちにも
 興味をもってよんでもらえたら・・とかね。」
 
でも、現在2万部発行しているんですが、5000部くらいにして
超レアものな雑誌として有名になるのも良かったかな(笑)などと
ときおり笑いも交えながら語るアクティブな編集長、板垣さん。
 
ふるさとの魅力をより多くの人に伝えるため
これからもその熱い紙面づくりは続きます。   

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2008年3月24日

大島千奈さん(3/24)

大島千奈さん (新潟市 洋菓子パティシェ)20080324_1.jpg
 
世界50カ国の若者達がモノづくりの技を競う    
ユニバーサル技能五輪国際大会。     
  
その洋菓子部門での金メダリストが大島千奈さん。    
新潟市内の専門学校に所属する    
お菓子づくりのアーティストです。 

    
「親がやっぱり食べ物にかかわる仕事してましたから
 ・・・その背中を見て育ったのかな・・
 3歳くらいのころから夢はケーキ屋さんでした(笑)」
 
20080324_2.jpg屈託なく笑いながら大島さん。
国際大会金メダリストとはいえ、
まだまだ駆け出し・・と言いながらも
今後の夢を熱く語ってくれました。
 
「常においしいって思われたいな。
 で、そう言ってもらえる笑顔が見たい・・」
 
「学校に入ったときはそんなに目的意識も
 強くはなかったんです・・でもコンクールに挑む
 先輩たちの輝いてる姿みたいなの見てると
 ・・あたしもこうならなきゃ・・なんて
 思って・・今、ここまで来れたのかな(笑)。」
 
「大会にでたとき周囲の参加者はみんな
 自分より年下だったんですよ・・それでも
 凄い技術や発想持ってたりして・・
 だから、これからももっと技術の高いパティシェに・・20080324_3.jpg
 日々、技術向上、勉強ですね(笑)。」
 
 この春からは、パティシエとして    
社会へ出ることを決めた大島さん。    
新しいスタートラインが待っています。
 
「お菓子作りってことは、変わらないんですが
 ホテルのお菓子作りや個人のいろんなお店・・
 さまざまなジャンルの勉強したいですね。
 もちろん、後輩たちにもいろんなこと伝えてあげられれば・・
 コンクールって出てみないとわからないことが
 意外にあるんです・・技術も、メンタル面も・・
 そんな精神的な部分もサポートしてあげられたらな・・と。」    
       
世界一のお菓子作りの技は、更に磨きをかけられて    
たくさんの人に届けられることでしょう。
食べるひとの幸せそうな笑顔のために・・・。   

 

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2008年4月14日

渋谷一哉さん(4/14)

渋谷一哉さん (阿賀野市=旧村杉=・川上とうふ店4代目)
 
阿賀野市(旧村杉)にある「川上とうふ店」。   
20080414_1.jpg昔ながらの手作りにこだわった味は   
今、全国からも注目を受けています。   
   
渋谷一哉さんは74年続くこの店の4代目。
 3代目の父誠一さんから受け継いだとうふ作りに励む毎日です。
 
「こだわりは・・水とにがりと豆?・・単純っすよね(笑)。
 何気なくやってる感じなんだけど、とうふってこれが全部だから」  

「環境によって豆も違うし・・水で戻したときに判りますよ。
 ここの・・五頭の水がいいから特に判るんかもしれないけど。
 硬すぎず柔らかすぎず・・口に入れたときに・・あ、=とうふ=だな~って
 豆の味が口に残る=とうふ=作りたいですよね・・やっぱり。」    
   
20080414_2.jpg父、誠一さんから、伝統の技を受け継いだ一哉さん   
最近では、赤豆を使った豆腐など   
新商品の開発にも積極的に取り組んでいます。    
    
「親父が青とうふと黒とうふ・・考案してるんですよ
 だから、自分も豆が来たときに出来るんなら赤い=とうふ=って・・
 で親父の見よう見真似だったけど作って・・・
 やっぱ、親父超さなきゃ負けじゃないですか(笑)。
 いろいろと考えてますよ・・不安もあるけどね(笑)。
 伝統継ぐんだから・・とか言われると、やっぱりね。」
 
食べた全員が旨いとは言ってくれないとは思うんです・・
だから逆に「旨いよ」と言われると嬉しいんだな・・これが
そう言って笑う一哉さん・・屈託のない笑顔が新鮮でした。
 
「豆ひいたときにとうふは決まるんですよ・・20080414_3.jpg
 にがりの打ち方からなにから全部ね・・
 こりゃーいけるなーって思うと気分いいです。
 とうふ作り・・淡々とやって行こうと・・思ってますよ(笑)。」
 
 父の後姿を追いながらもあくまでマイペース・・
 伝統の技を受け継いだ若い職人の新たな感性で
 五頭山麓の水から生み出される豆腐は   
 今確実に、全国にファンを作り続けています。

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2008年5月12日

田崎久子さん・智子さん(5/12)

田崎久子さん・智子さん (長岡市蓬平温泉 旅館和泉屋女将) 
  
長岡の奥座敷、蓬平温泉にある    
080512_1.jpg老舗旅館「和泉屋」。    
    
女将の田崎久子さんは、    
姉、金内智子さんらと共に    
宿の伝統を守りつづけています。    
    
「町全体でのおもてなしの心・・
 どんな場所どんな店にはいっても暖かさを感じる
 それが蓬平の・・此処の佳さだと思っています(笑)。」
    
4年前の中越地震では甚大な被害を受けました。    
それでも、解雇を余儀なくされた従業員やボランティアなど、    
多くの人達の協力で、復興を遂げました。
その思いを久子さんはこう語ります。    
 
「一遍は仮設住宅で暮らして・・初めて気づいたのかな。
 蓬平の素晴らしさ・・自然、美味しい空気。暖かな人情味
 地震で此処を離れて初めて判りました・・
 そしてたくさんの人の優しい心遣いも・・これからは、だから
 それに答えるためにふるさとのためにも・・と思って。」
 
全壊に近い宿に従業員とともに二日間閉じ込められて・・
もう、無理だ、再開など絶望的だと正直思った・・と
此方は姉の智子さん・・でも社員の力に励まされたと言います。
 
080512_2.jpg「私最初は此の仕事が嫌いだ・・と思ってました(笑)。
 でも地震のあと気づかされましたね・・ああ、私好きなんだと。
 それに従業員みんな、旅館閉めるなんてぜんぜん思ってなくて。
 また此処で働くんだ・・ってエネルギーが伝わってきて。
 それに・・お客様の励ましもたくさん戴きました。」
 
「此処で生きていく力・・周囲のひとからそれを
 改めて戴いた気持ちがいたします・・7代目に生まれた宿命・・
 それが使命といえばそれまでなのでしょうけど・・
 私もこの地を一旦離れて此処の佳さが判ったんですよね。
 外から自分を見る事って無かったですから」  

復活再開後次々と訪れるお客様一人ひとりに
心から頭が下がります・・本当に有難いことだ・・と。080512_3.jpg
にこやかに語る蓬平温泉和泉屋、田崎姉妹。
   
震災復興のシンボル的な老舗旅館の    
おもてなしの笑顔は・・・本当の感謝の心であふれています。

2008年5月19日

江口太郎さん(5/19)

江口太郎さん  (長岡市 江口だんご本店四代目店主)
 
長岡市にある江口だんご本店は     080519_1.jpg
明治35年創業の老舗です。    
    
その4代目が江口太郎さん。    
50年以上前に姿を消した、    
幻のもち米である「大正餅」の復活を成し遂げました。     
    
「昭和30年代ごろから殆ど姿を消した品種でしたから
 富山のほうには改良した新種もあったのですが、
 あえて原種に拘りたかったんですよ・・旨い餅になりますし。
 人間の勝手で少なくなったものを、やはり人の手で工夫で
 後世に残したいと思ったんですよ・・正直。」
 
黄金餅という品種の種籾に混じったほんの一粒の大正もち
それを試行錯誤と努力の繰り返しで徐々に増やしながら
此処まで来ましたよ・・・と語る江口さん。
   
餅米復活の他にも伝統・文化を後世に・・・と    
大正餅のふるさとに古民家を再生した新たな店も作りました。     
    
080519_2.jpg「いいものを次世代に残す・・たとえば此処に来ることで
 この、土間の空間に来ることで、この時代をを知らない子供たちも
 懐かしいというか落ち着いた気持ちや表情になるんですね。
 日本人のDNAに刻まれている何かなのでしょうかね(笑)。
 大正もちも同じなんですよ・・昔あったいいものというのは・・
 今新しいものでのある・・だから次代に残さなきゃ・・私たちが。」
 
長岡の雪国ならではの梁(はり)も柱も太い古民家のように・・
強い決意を秘めてにこやかに語る江口さんの表情は
どことなく時代劇に出てくる爽やかな若侍の表情にも似て・・
 
「此れからも色々な食と米と菓子の組み合わせを考えながら
080519_3.jpg いろいろな新潟の、ふるさとの=素晴らしいもの=をたくさんの人に
 知ってもらえればなあ・・そういう店にして行きたいんですよ・・
 懐かしくて素敵な時間と場所が提供できる・・
 もちろん美味しい大正もちのぼたもちも食べていただいて(笑)。
 いろんな可能性に挑戦する=菓子屋=でありたいですね。」

    
新潟の「古き良き物」は新しい息吹を吹き込まれて・・    
今日も此処=ふるさと=から人々のこころへへ届けられて行きます。

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2008年6月23日

近 和則さん(6/23)

近 和則(かずのり)さん ~村上市・理髪業~
 
理美容業界の最高峰に位置する世界大会で   
080623_1.jpg3月、日本が団体戦で16年ぶりに優勝しました。   

メンバーの一人、近 和則(こん かずのり)さんは   
村上市にあるヘアーサロンの3代目です。   
   
「僕は新潟の理美容専門校出身でしたから・・
 やっぱり東京で修行しなきゃだめだって
 学生のころ周囲に自分で言ってましてね(お笑)
 で、有言実行で行くしかない・・と。」
 
上京して10年、理容のチャンピオンの店に弟子入り
その技を学びながら各種理美容のコンテストに挑み
日本一をめざす日々が続きました・・と、近さん。
ただ、本当に目標が見えてきたのは4年目くらいからでしたね・・とも。
 
「最初、ただそのチャンピオンの店にいるだけで
 僕自身が上手くなったみたいな気分でいたんですよ(笑)。
  それじゃあ入賞なんかするはずもない・・ですよね。
 俺、なんのために此処に来たんだろ・・とか思って。
 それからですね・・軸が決まって本気になったのは。」
 
080623_2.jpgその後一層の研鑽を重ね実績をも残しての10年目
近さんはふるさと新潟へ帰り家業を継ぐことを決意。
10年は東京へ出たときから決めていた修行期間でした。
東京は勉強するところ・・僕には住むところじゃあなかったし・・と
さりげなくふるさとへの思いも語る近さん。

そんな近さんは、今回の世界大会代表で唯一の地方選出者。   
「環境が整わない地方は不利」との定説を昼夜問わずの練習で覆しました。  
そこには近さんなりの思いも意地もあった・・と笑います。
 
「新潟なんか引っ込めば絶対にレベル下がるし
 世界大会なんが無理・・と、全員に言われましたよ(笑)
 意地でしたね・・二倍三倍練習して毎月東京通って・・
、絶対ここから世界一になる・・って思ってましたから
 でも、東京にいたときより集中出来ましたよ・・ここでね。」

「理美容の大会で世界一になった・・と言っても
 それがすぐ地元の何かにつながるってわけじゃないですけど
 皆さん珍しがって話題にして下さいますよね・・僕のことを。
 そんな処では地元の活性化くらいにはお役に立ってるのかな。
080623_3.jpg 
 今は、なにか頑張ってる、たとえば受験生のお客さんがね
 僕指名で来てくれたりするんです・・仕事として意外に、その、
 頑張るなにかみたいなことを話したりするんです、で、喜んでもらえる。
 僕ももっと勇気をもらえる・・これがすごく、今楽しい(笑)。」  
   
目標は・・と聞かれたら=夢に向かって努力しつづけること=
今後も自身でも後進の育成も含めて世界を目指し続けますよ・・と
力づよく語るふるさとの城下町村上の理髪店三代目。
理容の素晴らしさをたくさんの人たちへ...   
近さんのチャレンジはこれからも弛まず続きます。

2008年8月18日

斉藤寿明さん(8/18)

斉藤寿明さん (村上市~旧神林村~ かみはやしハム)
 
村上市(旧神林村)にある「かみはやしハム」。    

080818_1.jpgソーセージの腸詰作業が行なわれています。     
     
一心不乱に働くマイスター(職人)・・・斎藤寿明さん。    
手づくり、無添加にこだわったハムやソーセージを 20年に渡って、一人で作り続けています。    
     
 「一番のこだわりは肉の風味を生かすことです。
 そこに砂糖とか調味料の甘みを乗せない。
 塩と香辛料だけで豚肉の味を出すこと・・ですね。」
 
 ハムやソーセージは素材の肉と塩の味。 
 食べて直ぐ風味が広がるようなそういうモノじゃないんです・・
 だから、其れが判る方に買って戴ければいいですね・・
 手作りハム・ソーセージについて語っていくうち
 斉藤さんの目は一瞬真摯な製作者のそれに変わります。
     
 今年ドイツで開かれた国際食品コンテストに初出品し、    
 「金賞」と「銅賞」をダブルで受賞。    
 その技術は世界で認められました。     
  
080818_2.jpg    
 「通常作っている・・昔から作っていたものを出品したんです。
 金賞を戴いた荒引きフランクは言ってみれば満点だったわけで
 今まで通り今後余計な悪いものを付け足さぬように作ろう・・と
 改めて思いましたし・・今後も、オーソドックスなハム・ソーセージ、
 ベーシックなもののグレードを上げて行きたいなと改めて思いました。
 
 それで納得出来るものが出来て初めて新しいモノを・・
 其れでいいんじゃないか・・と確信しています。」
 
 正直味ノ好みは千差万別、万人に受け入れられる味があるとは思いません。 
 だからこそ、この味が好きだと言ってくださるお客さんには最高のものを
 いつも提供できるように努力して行きたいんですよ・・ずっと。
 柔和そうな表情のなかにも職人の強い矜持が垣間見得る斉藤さんの言葉。
 ただ時折開催するソーセージ教室では優しく気さくな先生になるとか・・
 ご自身ソーセージを自作するお客さんと話している瞬間が楽しいとも語ります。
 
 「手作りハム・ソーセージって現場の工房に来て見たり聞いたりするとね、
  面白みもぐんと上がるし、作り方も上手くなるんですよ・・・それにね
  手作りのソーセージは器械と違って肉の詰まり方がパンパンに詰まるんです(笑)
  そりゃあ・・美味しいですよ、絶対(笑)。」
 
 そう言って斉藤さんは、一瞬、工作に没頭する少年のような目で笑いました。
 080818_3.jpg
 「今後もこの=かみはやしハム=を作ることで、
 地域のスポークスマンになれればいいですね・・大袈裟に言えば(笑)。
 第一この=かみはやしハム=の名前は地元の小学生が
 公募に応募してくれた名前なんですからね・・。」
 
 柔和で優しいけど仕事にはあくまで頑固 
 県北、村上市の新たな名産品は、    
  品質にこだわる若い職人魂が支えていました。

2008年11月 3日

平沢勝幸さん(11/3)

平沢勝幸さん (川口町木沢 農業・棚田オーナー会取りまとめ役)
     
川口町木沢地区で、     
081103_1.jpgこの春から「棚田オーナー制度」が始まりました。     
     
その代表が平沢勝幸さん。     
県内外13組が参加する     
「棚田オーナー」の取りまとめ役です。     
先の地震で被害をうけた棚田を
都会ののひとたちにオーナーになってもらい復興 ・・という
此の企画は高齢者の多い山間集落の活性化
という目的もあって始められました
 
「30~40代の皆さんが多いですね
 月に一度は此処(木沢)に来てもらって
 なんとか此処の活性化にも手を貸して戴いて・・」
 
若者の居ない高齢集落・・
先祖から受け継いだ棚田を守り残す為に・・
都会の、自然を求める住人たちと一緒の
村おこしと震災からの復興・・
思った以上の成果が上がっていますよ・・と平沢さん。
 
081103_2.jpg「まず、自然との触れ合い以上に、なによりも
 此の場所での人との触れ合いを楽しんで戴きたいですね。
 此の村の人間性を感じて明るく元気な触れ合いをね。
 現在は来られると村のお年よりの家に民泊してもらうんですが
 孫が来たようだ・・と村の皆さんも喜んで戴いて(笑)」
 
木沢は中越地震で大きな被害を受けました。     
それでも、多くの人の「棚田を守りたい」という熱意が     
この制度を誕生させ、此処までに育ててきたのでしょう。     
其れは自然の美しさ豊かさ、米作りへの興味・・いや、何より
此処木沢の人情が来る人たちに沁みたから・・
 
「夢は・・此処に来る人たちの中から幾組かでも
 移住者が出てくれることですか・・此の村にね。
 其の為には取りあえず毎週末、そうだねえ・・イベント考えて
 此の村の30人位の平日の人口を100人にしてまらって・・
 毎週、お祭り見たいにねえ・・していきあたいねえ・・本当に。」
 081103_3.jpg
だから、皆さんも毎週撮影に来て宣伝して下さいよ(笑)
そういって快活に笑った平沢さんの声が秋の棚田に響きます。
此のふるさとに人の賑わいを...人の触れ合いを・・     
平沢さんの想いは少しづつ実り始めています。     
     

2008年12月 1日

高橋雄幸さん(12/1)

高橋雄幸(ゆうこう)さん ~胎内市・ナチュラルチーズ製造~     
自然の中で育てられた新鮮なミルクをたっぷり使った     
胎内高原チーズ。     
     081201_1.jpg
その製造を行なっている     
たった一人の職人が     
高橋雄幸(ゆうこう)さんです。     
     
「自分は、黒川村役場に就職した後
胎内パークホテルのウェイターとかも経験してるんですが
そのホテルマンのとき、研修で行った北ドイツの酪農農家で
チーズ作りを学びまして・・あ、此れだな・・と・・(笑)
 
胎内の自然が育てた山羊やジャージー牛のミルクなら
とても素晴らしいナチュラルチーズが出来る・・そしてそれは
初めてナチュラルチーズを食べる人たちにも美味しく食べられる
優しい暖かい味のチーズになる筈だ・・と思ったんです。
 
朴訥そうな真摯な表情で語る高橋さん・・・    
     
081201_2.jpg高橋さんの技術は全国でも高い評価を受けています。     
国内産チーズを品評する最高峰のコンテストで去年     
優秀賞と審査員特別賞を受賞しました。     
     
「去年は山羊のチーズで審査員特別賞を戴くことが出来ました。
 胎内は、恒例になった夏の=星まつり=でも知られているように
 空気が綺麗で、そして山から流れてくる水も美しく、旨いんです。
 
 その中で育った山羊や牛のミルクで作る手作りのチーズ・・
 此の自然の恵みを感じながらいつも作ってるチーズを
 沢山のひとに食べて戴いて、胎内の良さを知ってほしいですね。
 で、此処、胎内に来て戴きたいんですよ・・此の自然の豊かな場所に。 
 
チーズは同じ製法でも作る人と作る場所で大きく味も性質も異なる・・・
081201_3.jpgだから、ふるさと胎内のチーズを食べてもらうことで・・・
 
胎内市ってどんな処でどんな自然があって
このチーズはどんな奴が造ってるんだろう・・って(笑)
思ってくれたら・・・これ以上の幸福はないですねえ・・。」
 
好きな言葉があるんです、自分には・・・
 
=情熱こそが全(すべ)てに勝(まさ)る・・=
 
その思いをチーズに込めて毎日作っている・・・
つもり・・なんですけどね・・。
 
そう言って高橋さんは今度は少し照れたように笑いました。
 
其れこそ何の基礎知識も無しに・・
ヨーロッパで感動したチーズの味を再現したい
其れでふるさとの村おこしに繋がれば・・
そんな思いで始められた胎内の手作りナチュラルチーズ。
   
若い一人の職人さんの情熱と     
胎内高原の自然が、ふるさと胎内の地に     
新しい特産品を誕生させたのかも知れません。   
081201_4.jpg

2008年12月 8日

イナムラシンヤさん(12/8)

イナムラシンヤ さん (新潟市 フリーデザイナー)     081208_1.jpg
 新潟市を拠点に活動するフリーデザイナー    
 イナムラシンヤさん。    
     
 大手ビール会社のウェブデザインや    
 ドコモのiメニューのイラスト等、    
 彼の作り出す作品は全国に発信されています。  
 
「小学校の時、美術の授業で描いた花の絵を
 家に飾ってもらったら、来る人がみんな
 =あれは本物?=みたいに驚いて、喜んでくれたんです。
 其れが面白いなあと思ったのが僕の原点かな・・
 
081208_2.jpg自分が作ったモノに対して人がリアクションを起す。
その驚きが楽しくて一番インパクトがあって・・・
それなら=人のこころを豊かにするモノ=を作れたら
伝えられたら楽しいじゃないですか・・・
少年のような眼差しでイナムラさんは語ります。  
     
 自分の造るモノがだからどう言う使われ方をしているか
其れにどんな意味があるのか常に考えてますよ・・とも。
     
ドイツのロゴ作品集でも作品が紹介され    
 海外でも活躍を見せているイナムラさん。    
 そんな彼が次に目を向けているのは地元新潟です。    
     
 「新潟、というと大仰になっちゃうんかも知れないけど(笑)
 近所のひととね、世界に向けて此処から発信したいんです。081208_4.jpg
 で、世界にこっちを振り向かせたい・・こっちに引き込みたい。
 新潟の中だけで盛り上がってもあんまり仕方ないんですよ。
 
確かに新潟には、故郷には友人も家族もいて
自分自身此処で仕事も続けて行きたい・・・
だから其れを出来る仕組みも作っていかなきゃね・・
僕自身のためにも、あと才能も能力も持ってる沢山の
新潟在住のクリエイターの力を生かすためにも・・・」   
     
作品やジャンルによって方法論は違うけれど
 其れに触れる多くの人に喜んでもらうために...
081208_3.jpg    
 イナムラさんの活動はこれからも続きます。    
 

2008年12月15日

曽我しんいちさん(12/15)

曽我しんいち さん (新潟市 トマト栽培 専業農家)081215_1.jpg
 
 新潟市。     
イマドキのラフな格好で農作業を行なうこちらの男性     
     
曽我しんいちさんは
地元直売所でも一番の人気を誇る
こだわりのトマト栽培を行なう専業農家です。     
     
「最初は農業研修生でアメリカへ・・
 そのあと青年海外協力隊でアフリカのセネガルへ二年半。
 本心を言えば、そのときは此処からね(笑)
 ・・逃げたかったんです・・此処からね。
 
訥々と語る曽我さん・・その思いが変わったのは
やはり海外での得がたい経験だった・・と語ります。
 
 「アフリカ、セネガルってサハラ砂漠の真下くらいの場所なんですが
 もう、びっくりするくらい雨が振らないんですね・・・
 で、其処で15年に一度というアフリカイナゴの大発生に遭ったりして
 ・・日本は農業をするのに何て恵まれた国なんだろう・・っていうことに
 気付いたんですね・・食のすべてに恵まれている国だなあ・・と改めて。」     
 
そう思って帰国した曽我さんは自分なりの理想の農業をめざし
地元新潟で専業農家の道を改めて歩みだします。    

081215_3.jpgそんな曽我さんの農業への思いは
多くの人に注目されるようになって行きました。
農家の日常を綴ったブログはアクセス15万件を超え、     
この夏には本も出版されました。
 
「まあ、まず農業を此処で目指したとき考えたのは・・
    正直、規模の拡大とかでは無かったですね。
 実際怖かったですから、どう頑張っても値段の部分では
 輸入の作物には絶対に勝てないですからね。
 ならば・・と考えていったら・・作物に関する付加価値を求める・・
 其の方向しか浮かんでこなかったんですよね。」
 
直販で、自分に納得の行く作物を作って売る。
食べて貰ったお客さんから直接声を聞き
其れを作物作りに反映させる・・そんな農業への姿勢を
ブログや書籍で情報として発信していくような形。
其れを現在求めながらやってますよ・・と曽我さん。
 
「実は、俺、トマト好きじゃないっていうか・・食えないんですけどね(笑)    
081215_2.jpg だからこそ喰ってもらったひとの意見が素直に聞けるし
 作ったトマトが冷静に見えるんですよ・・だから、此のトマトには
 正直、自信凄くありますよ・・だから、食べてもらうお客さんにも
 一個のトマトにどのくらいの力が掛かっているか・・そんなことも
 時折考えて、食卓で話題にしてくれたら、嬉しいですね。」
 
 今後も直販やブログ、本を通してこういう農業への情報を
 僕の後に続く若い人たちに伝えて行きたい・・とも思ってますよ・・
 何よりも若い人に農業に興味、もってもらわなくちゃね・・。
    
そういって、ちょっと照れくさそうに笑う曽我さん。

新しい農業のスタイルが今、新潟から全国へ発信されています。  
 
081215_4.jpg

2009年1月 5日

梨木美裕樹さん(1/5)

梨木美裕樹さん (バーテンダー・三条市・=ラスティーズ・セカンド=オーナー)    

 
090105_1.jpg三条市の繁華街にあるショットバー    
「ラスティーズセカンド」。    
    
オーナーの梨木美裕樹さんは、    
カクテルのコンテストで、国内大会グランプリ、    
世界大会8位という実績を持つバーテンダーです。    
    
「18の頃から・・祖母の代から飲食の仕事をしてる家なんで・・
 裏方の手伝いはさせられてたんです・・あまり好きじゃなかったですが(笑)」
 
そう言って微笑む梨木さん・・・
そんな彼女がバーテンダーを目指した切っ掛けは
ある年配のバーテンダーとの出会いからだったそうです。
そのときあ、此れが私の仕事・・とインスピレーションを感じたとか・・
 
其の後、三条から東京の専門学校へ新幹線で通い
バーテンダーとしての勉強に勤める梨木さん・・・
 
「親や周囲からは反対されましたね・・
 バーテンダーに成ることじゃなくて、東京へ行くこと。
 此処で、現場で充分勉強できるだろう・・って。
 でも、都会にも憧れてましたし・・半ば意地で(笑)」
 
其の後、バーテンダーとしての道を歩みだした梨木さん。
自分のなかの理想のバーテンダー像を模索しながら
幾つものコンクールに参加し受賞暦を重ねて行き
そして6年前、地元であるこの地で店を開きました。
 
090105_2.jpg「此の繁華街に生まれ育ったDNAを生かして
 味方にして=女性バーテンダー=として頑張っていきたい・・・
 16年やりましたが間違ってなかったなあ・・って(笑)
 最初は女性バーテンダーの存在を認識してもらいたくて
 コンクールに出たり色々位置取りを模索してたんですけど
 受賞したあとも目の前の事に一生懸命だっったし
 凄く今思えば背伸びしてたなあと・・でも、間違ってなかったと。」
    
最近では出張バーテンダーからイベントのプロデュースまで    
幅広く手がける梨木さん、バーテンダーとは何ですか?という質問に
柔らかく笑いながら、こう応えてくれました。
 
「バーテンダーって・・=TENDER(テンダー)=なんですよ。
 優しさやホスピタリティを人と人とが共有する空間を演出する・・
 だからこそお客様のニーズを何時も感じ取れるように・・・
090105_3.jpg 心がけることを忘れまい・・・と思ってます。
 私を育ててくれた此の三条の繁華街のためにも・・」
 
バーテンダーの仕事で培って来たノウハウを基にして
色んな自分の夢、例えば他の飲食店とかを出店して
この街を賑やかにしていくのが当面の夢ですね・・・街の賑わいのために...    
そう語りながら、梨木さんは今日もシェーカーを振りつづけます。

2009年1月14日

近藤正則さん(1/12)

近藤正則さん  (新潟市 スタイリスト・ヘアーサロン経営)

新潟市で2店舗のヘアーサロンを営む近藤正則さん。    
090112_1.jpg    
全国レベルのヘアコンテストで優勝するなど、    
数々の実績を持つ新潟のトップスタイリストです。    
    
「最初は・・新潟でも出来る、ということを
 証明してみたかったんですね・・。
 田舎へ行けば行くほど洗練されていない・・
 此の業界じゃそう言われてたんですが
 いざ、新潟へ戻ってみたときに、まあ実家のあたりは
 幾分そういう傾向もあったんですけれど
 少なくとも新潟市街・・ということでは・・
 =そんなことはないじゃないか!=・・と。」
 
近藤さんの考える美容・理容の在りかた・・・其れは
お客さんの要望に応じて其の外見だけでなく
内面もお洒落に、カッコよく変えていく・・ということ。
 
「ヘアを通じてマインドを変える・・ことでしょうか。」
 
090112_2.jpg=プロ=とは思ったことを形に出来る人のことだ・・とも語る近藤さん。
それによって結果も予測されるし、その出来上がりでお客さんとの
信頼関係も培われていく・・確かにこういう商売なんで
人間関係は一番大事、気分が良く帰って戴くのは当然だけど
其れで終ってはいけない・・其処に確かな技術を乗せることによって
出来上がるものが、本当のヘアデザインの提供だと・・・。

そんな信念のもと、現在ではご自分の仕事以上に
後輩の育成にも情熱を注ぐ近藤さん・・・    
営業が終わってからの技術指導は毎晩のように行なわれています。    
    
「まず、何よりも此の仕事に興味をもってほしいんです。
 厳しいと同時にやり甲斐を与えてあげたいのです。
 其れを教えることで自分も成長する、日々成長できる・・
 其れは私にとってもすごく楽しいことなんですよ。
 だから毎日懸命に其れをやっている・・そんな処かな(笑)」
 
「男性は女性よりどうしても年齢を重ねると実用的一辺倒になって
機能性だけで髪の毛を切るだけになりがちです・・
でも自分が新潟に戻って仕事を始めてから髪の毛だけじゃない
オトコのお洒落、リフレッシュも含めたもの、リラックスの場所でもある
理容を提供してきたつもり・・この15年で幾らかは新潟の男性の
ライフスタイルにも影響あたえられたんじゃ・・とも思いますよ。」
090112_3.jpg 
確信をこめて語る近藤さん・・その熱い思いと   
確かな技術が産むお客さんとのそして後進との人と人との繋がり...    
近藤さんの思いは確実に此のふるさとで受け継がれていきます。

2009年1月19日

小島真穂さん(1/19)

小島真穂さん (十日町市・大工)    
  090119_1.jpg
 十日町市の建築会社に務める大工、    
 小島真穂さん。     
      
 去年行なわれた技能五輪全国大会、建築大工部門で    
 最高賞受賞という女性初の快挙を成し遂げました。
 
 「小学校4年生の頃かなあ・・・
 自分の家を建ててくれた大工さん、
 今入社してる会社なんですけど(笑)
 それ見てて凄く=カッコいいな=って・・
 で、高校卒業するときにテクノスクールってあるよ・・って言われて。
 大工さんが働いてる姿ってカッコいいじゃないですか(笑)
 それに、家建てるのって・・凄くないですか?」
 
 
090119_2.jpg技能五輪の金賞受賞時には
 =え~?私?=と、まるで他人事(ひとごと)のように
  実感が無くてかえってびっくりしたんです・・と
 微笑ながら語る小島さん・・大工修行の日々は、未だに
 =大変でなんだかわからないうちに終る=毎日です・・とも。
 
 「上手くいくかな~・・此処上手くはまるかな~っていつも考えて。
  ほかの事考えてると絶対に失敗しそうだし・・
  失敗すれば当然にへこむし・・とりあえず今は、目の前の仕事を
  なんとか終らせることで一生懸命なんです・・本当に。」
 
 技能五輪自体自分の力を試したい一面と
 テクノスクールの先生に恩返しもあったから
 そういう意味では目標の達成くらいは出来たかな・・
 そう言ってはにかむように笑った小島さん・・・  
  今年行なわれる国際大会への出場も内定しました。    
 そんな彼女が目指す目標は、やっぱり大工の親方である=棟梁(とうりょう)=。     
      090119_3.jpg
「何時かは棟梁とよばれるようになりたいです。
 それと・・信頼される大工に、同僚やお客さんや・・色んなひとに
 信頼してもらえる職人になりたいなあ・・っていつも思ってます。
 そうして、自分の家を自分の手で建てたい・・・其れが目標かな。」
 
 日々の修行を明るい笑顔で頑張る小島さん。
 未来の棟梁は、着実に夢への道を一歩一歩進んでいます。    

2009年2月 2日

古川正司さん(2/2)

古川正司さん (新潟市 (有)さいかい産業代表 べレット燃料・ストーブ製作)   
    
 山に放置されていた木材など     0900202_1.jpg
 今まで処分されていた資源を
 再利用した燃料「ペレット」。     
      
 この「ペレット」にいち早く目をつけ     
 燃料からストーブまでを県内で唯一生産しているのが     
 古川正司(まさし)さんです。     
      
「以前はとび職をやっていたんですが・・其の時に
 山で捨てられている木があんまりに多いんでね。
 新潟の里山の捨てられる木から燃料が出来れば・・
 そう思ったのが切っ掛けで・・で、燃料だけじゃ商売にならないでしょう(笑)
 それならストーブもいいのを作らなきゃ、と考えたんでね。」
たとえば隣県の富山の山は猟師さんたちが守っている・・
山は生活の、自然の基盤なんだから其処を中心にした
エネルギーの確保や建築資材としての利用も考えて
自分のところの里山を再生して活用することを提案したいんですよね・・と
情熱的な表情で語る古川さん・・・目指すのは「地産地消」を中心にした
小さなサイクル循環による環境改善と生活なのかも・・・とも。     
 無論古川さんのペレットには地元の木材が利用されています。     
      
090202_2.jpg 「会社とすれば当然、儲けなきゃいけないですよ。
 ただ、其の儲けるにも色々ある・・と思ってね(笑)
 どうせ仕事するなら二代三代何世代先まで続く仕事・・
 立派なそういう仕事したいじゅないですか・・・。
 自分だけいい家に住んで、いいもの喰って・・
 そういうことは生き方としちゃあんまり追求したくないし(笑)」
 
ペレットは地元の山を基盤にした小さなサイクルのエネルギー活用。
此れで例えば新潟県内のエネルギー自給率が60%とかになれば
何かあったときでもどうにか暮せる・・其の備えでもあるんです・・と古川さん。
べレット燃料は暖房以外にもボイラーもあれば冷房にも使われているし
国によっては船を動かすところだってあるのだそうです。
 
「まあ、べレットも燃料ですから二酸化炭素は出る・・
 だからこそ其の元になる里山を整備管理しながらね
 進めていかなきゃ・・ストーブ一個売れたら其の分ね
 山の木、立ち枯れた木を切るとかして山を整備して
 其処までやらなきゃ本当の」エコじゃない・・・と思うし。」
 
090202_3.jpg本音は一日中山に入ったりストーブ作ったりして暮すことが出来れば
俺、幸せなんだがなあ・・そういう仲間いっぱい増やしながらさ。
 
最後は明るく語ってわらった古川さん。
新潟の森や山が少しづつ綺麗に、そして有効な資源になる...     
 そんな日が少しづつ近づいて来ることを夢みながら。     
      

2009年2月 9日

久保豊範さん(2/9)

久保豊範(とよのり)さん (加茂市 農業)      
0900209_1.jpg 
去年行なわれた「お米日本一コンテスト」で     
 加茂市でつくられた「コシヒカリBL」が最優秀賞に輝きました。     
 その生産者が久保豊範(とよのり)さん。     
 独自の栽培方法で新潟県初の快挙を成し遂げました。
 
本来、建築業に携わっていた久保さんは
奥さんの実家の農家の後継者が居なくなったことから
米作り、農業に関わろうと思った・・と語ります。
 
「実際、其の妻の両親が作るものを家族で分けてもらって
 食べていた訳ですからね、やっぱり安全、安心な食を
 家族の単位でも守ろうと思ったことも要因ですかね。
 あと、米作りでも、なんとなくですが、今までと同じことを
 しているだけじゃ駄目だ・・と、農業に関する不安も多い時代ですが
 今までのやり方じゃ続かない・・そうも思いましたから。」
     
0900209_2.jpg まったく素人の段階から米作りを始めた久保さん。
・・自慢できるのは愛情とエネルギーだけでした(笑)・・・と言いながら
其処で作られる全てのモノや収穫に到るまで感動を
家族と分け合いたいと思いながら進めた米作り。     
 なんと生産1年目で「日本一美味しいお米」を誕生させました。     
      
「実は、其の妻の父のやり方とかも見ていて・・確かに良いんでしょうけど
 此れじゃこの先は駄目だ・・と思ったんですね・・でも素人ですから(笑)
 考え方を認めてもらうには実績を出すしかないと思って・・・
 コンクールに応募したんですよ、正直一位獲る気構えで・・・
 まあ、周囲は信じてくれませんでしたけれどね。
 
何よりも実践して行きたいのは義父たち専業農家が
年金やそういうものに頼らずに暮して行ける
農業が生活の基盤になり得る暮らし、農業スタイル・・
そのために何をすれば良いか、今考えてるんですよ、と久保さん。
 
まったくの畑違いの自分が、其れでも田んぼにはいり
畑で野菜を育てて初めて何か感じるエネルギーがあったんです。
野菜や米と対話してるような心地好さってのかなあ・・・とも。
 
「だから米にしろ野菜にしろ・・子供みたいなものですかね。
 一位になった米を家族で喰ったときも、旨いとか感じる前に
 =頑張ったね、頑張ってくれたね=、という気持ちで食べた。
 
 だから、家族みんなで手伝って米作りするのも楽しかったし・・
 こんな自分と同じような状況の人がね、農業に入ってくる其の可能性を
0900209_3.jpg もっと高めるというか、其のよさを分かち合えるようにもしたいですね。
 
 最終的には=自給自足=・・家族という単位でね。
 それを皆でやることが広がれば農業も変わるかな?・・なんてね
 思ったりもしてるんですよ・・・・」
     
 農業1年生の全国チャンピオンの思いは    
 美味しいお米が生み出す沢山の笑顔があふれること。
 久保さんのチャレンジは始まったばかりです。     

2009年2月16日

八木尚子(しょうこ)さん(2/16)

八木尚子(しょうこ)さん (新潟市・ホテルオークラ)     
 
 新潟市のホテル。     
 サービス業に情熱を注ぐ女性がいます。     
      090216_1.jpg
 八木尚子(しょうこ)さん。     
 去年行なわれた技能五輪全国大会     
 レストラン・サービス部門で銀賞を受賞しました。     
      
 中学校の時苦手な英語を克服したことをきっかけで
 英語教育の実績のある高校に進学した八木さんは
 其の英語の勉強を生かした仕事に付きたい・・と
 ホテルマンの仕事を選んだ・・・と語ります。
 
「シャンデリアがあって紅い絨毯がひいてあって・・
 何処か非日常的な雰囲気にも憧れたのかなあ。」
 
そう言って華やかな笑顔で笑う八木さん。
 
「全国から集まった先輩や参加者のちょっとした気遣いや
 接客の雰囲気の造り方を見ていて、凄く感動して
 とっても勉強になったな・・って、思いました。
 技能五輪自体は=やってみたら=・・って言われて
 案外軽い気持ちで参加したんですけどね(笑)」

090216_2.jpg 手際や立ち振舞いなどの技術はもちろんのこと     
 八木さんが今回の技能五輪を経験したことで
 何よりも大切にしなければならない・・と感じたのは     
 =お客様への心遣い=だったそうです。

 「今までずっとサービスの見た目や技術面だけ気にしてました。
 ただ、今回本当に自然にお客様と楽しそうに会話している
 先輩の接客を見て技術だけじゃないんだなあ・・って。」
 
お客様の考えてることをすぐ読み取って行動に移せる接客。
会話を楽しんで雰囲気を楽しんで戴いて、最後の最後
お客さまが=ありがとう=って笑って帰って戴けるそんなサービス。
ありふれているけれど其れが目標です・・・
 
しっかりとした眼差しと決意の表情で八木さん。
 
「あともう一度技能五輪の参加チャンスがあるんです。
090216_3.jpg 今思ってる気持ちを今度は精一杯表現して・・
 今度は金賞、一番になりたいなあ・・って思います。」
 
大切なのは人をもてなす側の=こころ=
 そんな心を込めた八木さんのサービスは     
 きっと寛ぎの笑顔を大きく広げてくれることでしょう。

2009年2月23日

川村 徹さん(2/23)

川村徹さん (新潟市   ブーランジェリーカワムラ店主・パン職人)
     
 新潟市東区にこの秋オープンした     
090223_1.jpg ブーランジェリーカワムラ。     
      
 そのオーナーが川村徹さん。     
 国内外のコンクールで数々の受賞経験を持つ     
 パンづくりの職人です。     
      
 「東京で10年・・修行してきましたが
 やっぱり生まれ育った此処で、お客様と向き合って
 パン屋やってみたかったんですね・・ずっと。」     
      
 出身地新潟での出店を選んだ川村さんが目指すのは、     
 地域に密着したパン屋さん。     
 お客さんと直接触れ合う対面販売にこだわりました。     
090223_2.jpg      
 「3~4年前、研修でパリに行きました・・その時ね・・
 お客さんが直接レジに並んで、口々にパンの種類を言うんですよ。
 で、店員さんがそれを持ってきてくれて・・びっくりしましたね(笑)
 それと同時にパンがここまで日常になってるんだって思って。
 日本じゃ難しいというのは判ってたんですけれど
 だからこそやってみたかったんですね・・対面販売、パンの。」
 
お客さんの回転は対面販売じゃないほうが速い・・でも
パン一個でもお金を戴いている限り、美味しいもの
本当に食べたいものをお客さんから直接聞いて
見ただけで判らないことは直接説明させて戴いて
選んでもらいたい・・・それが夢だし目標なんですよ・・・と
楽しそうに語る川村さん・・夢は何処までも大きく
でも地元に根ざした地道な愛されるパン屋に、とも。
 
「新潟はいい食材の宝庫なんですよ、しかも生産者と
 色々会話して素材の良さを聞いてこれる環境にある・・
 だからそれを生かしてストーリー性のあるパン?(笑)
 そういうものを作って行きたいんですよ・・でそれをまた
 直接お客さんと会話して対面して知ってもらって・・・
 090223_3.jpg
「店、大きく広げていこうとか、今は思わないです。
 此の場所で、地域でずうっと愛されるパン屋になりたいんです。
 で、新潟に、新潟の食文化にパンで衝撃を与えられたらなあ・・
 そんなこと毎日考えて、パン作ってますよ(笑)」
  
この=街=の、ふるさとのパン屋さんから心を込めて・・  
 川村さんが発信する
新しいパンの文化は     
今しっかりとふるさとの新潟に根付き始めています。 
 
ブーランジェリーカワムラ
新潟市東区浜谷町2-3-6レンド浜谷1F
火曜定休日 7時~18時(売り切れ次第終了

2009年3月 9日

西谷洋平さん (3/9)

西谷洋平さん(上越市 フリーペーパー=ギフト=発行)  

フリーペーパー「ギフト」     
 上越の「かっこいい」を発信する...     
090309_1.jpg そんなコンセプトの元、2007年に発行されました。     
      
 その取材から編集までを     
 たった一人で行なっているのが西谷洋平さんです。     
      
「切っ掛けは・・自分の仕事(デザイン関係)をやり易くしたかったと言うか(笑)

 上越にカッコいいものを認識する土壌を造りたかったのかなあ。
 上越にもいい店も頑張るひとも沢山居るし、其れをまず知ってもらう・・
 で、此処以外のたとえば新潟からも来てもらえるくらいの・・・。」
 
 上越の魅力を独自の視点で紹介するそのスタイルは     
 若い世代から注目され、このフリーペーパー=GIFT=は     
 今では発行部数8,000部を超えるまでに成長しました。     
      
 「上越から出て全国、世界で活躍する人間もいるんです。
  まず、そういう人の存在を若い人間に知って欲しかった。
  それによって、若い子の=ここじゃ、どうせ駄目=って言う
  自虐的なとこを幾らかでも少なく出来たらと思ったんですよ。
 
090309_2.jpg実はスタイリッシュにお洒落に見せておきながら
内容は案外=硬い=んですよ・・と言いつつ微笑む西谷さん。
 
そうすることで読む人にいろんな=カッコよさ=を認識して欲しい・・・
一番のコンセプトはここ上越に=カッコいい=を発信すること。
カッコいいは自分で見つけ作るものとの思いがその大本にはあるので・・とも語ります。
 
「アイデンティティじゃないですけど、
 どんなにダサくてもどんなに寒くて雪が降っても
 自分の生まれた町・・なんですよね、上越(ここ)
 頑張って何かやろうとすれば絶対に出来る・・・
 事実そうやっている人も、店も沢山あると思うんですよ。
 
 それを知って自分の街に誇りを持ってほしいんですよね。
 だから・・何より高校生に=GIFT=読んで欲しいんです。
 ぼくたちの世代が切っ掛けになって、次の世代に・・
 この街のカッコよさに気付いて作っていってもらいたいから。」
 
市としての街は行政が変わらなきゃ駄目だろうけど090309_3.jpg
人や店が変わっていくことによって変わるものはある。
その切っ掛けを作っていくのがこの=GIFT=であればいい・・
で、それをすっと続けられれば、それが夢であり目標です。
 
そう言ってまた、穏やかに笑う西谷さん。     
      
 上越の「かっこいい」は確実に     
 若い世代に浸透し始めています。   

2009年4月 6日

神田 豊広さん(4/6)

神田豊広さん (阿賀野市・酪農家・やすだ愛情牛乳生産) 
    
新潟県酪農発祥の地、阿賀野市安田地区に     
090406_1.jpgオリジナルブランドの牛乳、     
「やすだ愛情牛乳」が誕生しました。     
     
その生産者が神田豊広さんです。     
     
「家業ですから継がなきゃというのもありましたが
 なにより学生時代、北海道の酪農学校に進学したんですが
 そこで出合った仲間というか全国の酪農後継者に影響うけましたね。
 
その出会いがなきゃ継がなかったかもなあ・・と、にこやかに神田さん。
 
自分で自分が絞った牛乳を販売したいと想うようになったのも
友人から誘われた経営の勉強の中からだった・・とも語ります。
   
牛乳の消費が減る中では何より付加価値が必要。     
自分の牛舎(自舎)で搾った生乳だけを使う牛乳。     
何よりも品質の高い牛乳にこだわることがまず第一・・     
 其処から産まれたのが=やすだ愛情牛乳=でした。
 
090406_2.jpg「品質は酪農始めた瞬間からこだわりぬいてきたつもりです。
 まあトップと言ったらおかしいですけど
 自分なりに最高の牛乳作るんだと・・心の底で思ってまして(笑)
 其れがそのまま今に繋がってきた感じですかね。
 
自分の搾った牛乳だけを飲むひとに届ける。
此の一本に賭けてる思いは誰にも負ける気がしませんね。
なんてったって=愛情牛乳=なんですから。」
 
温厚そうに笑みを浮かべながら一言一言しっかりと。
噛み締めるように語る神田さん。
まずは自分の生産する牛乳で、新潟に
そしてもっと大きな範囲でこの先何年かかっても
少しでも牛乳好きのひとが増えてくれたら
1本でも多く牛乳を飲んでくれるひとが増えてくれたら・・・
    
 「夢は其れひとつですよ・・頑張らなきゃと思います」  
  090406_3.jpg
安田生まれのおいしい牛乳には     
神田さんの愛情がたっぷりと込められています。 

2009年5月 4日

若林 修一さん(5/4)

若林 修一さん(新潟市 雑誌=新潟komachi=刊行)
 
ファッションやグルメなど     090504_1.jpg
 新潟の旬な情報を発信している月刊誌     
 「新潟komachi」。     
 その創刊に尽力した人が     
 若林修一さんです。
 
「消費市場の中で一番お金を使うのは女性です。
 世の男は奥様に財政握られてますからね(笑)
 女性の支出感覚にkomachiという雑誌を通じて
 指針みたいなものを提示することでそういう女性との
 お付き合いの切っ掛けがもてればな・・と。」
 
komachi創設のきっかけを若林さんはこのように語ります。
 
「飲食、雑貨、観光、恋愛、こういう要素を組み込んで
 女性に地域での生活のための力を与える雑誌にしたかったですね。」
 
情報は散在するだけでは意味が薄い
・・纏めて出すことによって選択肢も実用性も大きく広がる
それがkomachiの大きなポイントなんですよ・・とも若林さん。
090504_3.jpg 
 新潟初の女性向け情報誌として創刊されたのが92年。     
 現在では発行部数55,000部を誇るまでに成長しました。     
      
 「豊かな選択肢があることで、皆がお金を払って楽しむことも増える。
 そして新潟の経済の根本からの活性を・・というのが大本にありますね。
 
 例えばkomachiの名物のラーメン特集なども、単にラーメン店だけじゃない。
 その店に箸を納入する業者から肉調達する肉屋に至るまで
 その記事の影響が及べばより大きな経済への働きかけになる。
 そこまで常に考えて雑誌作りをしていきたいと思っています。」
 
流行に関しては各業界の人たちと協力しつつ
地域により受け入れられるものを目指して。
文化という意味では多くのひとのこころの満足度を
高めていく材料を提供するということで
 
「多少の貢献は出来たのかな・・という自負は少しあるでしょうか(笑)・・
 
今、komachiの読者を卒業した年代に向けた
新しい情報誌もスタートさせています・・新潟で暮らす女性が
090504_2.jpg色んな選択で悩むとき、その指針になるような、
そして指針として選ばれ続ける紙メディアでありたいですね。
紙面で出来ないことはインターネットなりどんどん活用して・・。」
 
今後のkomachiの展望を熱く語る若林さん。
その努力によって、気軽に手に入るたくさんの情報は     
 新潟の女性達のライフスタイルをリードしていくことでしょう。

2009年5月18日

森岡泰彦さん(5/18)

森岡泰彦さん  (製造業者「新潟造形」代表)
 
「最初に直した木は・・椿でしたかね。
 それから欅(けやき)、柳、松・・」
090518_1.jpg 
大切な木だからこそ残したい...。     
 そんな思いで木を守るひとがいます。     
      
森岡泰彦さん・・・・腐蝕して穴が開いた木を
樹脂で補修する工法で特許を取得しました。     
      
「切っ掛けは地元の造園業組合の方たちに
 あんたんとこの技術で木の補修ってのは出来ないか・・と
 言われたことからでしたが・・・やってみたら案外に出来まして(笑)」
     
 事も無げに語る
森岡さんの本業は立体造形物の製造。     
 その造形物制作のノウハウを活かした樹脂による木の修復で     
 これまでに30箇所以上の木を蘇らせてきました。     
      
 「殆どの木が、思い出深い木・・なんですよ。
 大切にされている木、と言ってもいい。
 先々代が植えたからどうしても枯らしたくないとか
 神社仏閣のシンボルとして氏子一同が
 先祖から守って来たのを此の代で絶やしたくない・・とか
 思いのこもった木なんですね・・だから尚更喜んでもらえた。」
 
090518_2.jpg 木を癒すことで多くの人に感謝される喜び、
 また自分の技術が世の中の役に立つという感動・・・
 
 ほんの小さな切っ掛けで生まれた技術でしたが
 此れを特許申請したら思いのほか早く認められた・・・
 そのことでますます森岡さんはこの技術の必要性や重要性が判ったと語ります。
 そしてより多くのひとに伝えていかなければ、と思ったそうです。
 
「本業は別に在りますからこれ一本とは行かないんですが(笑)
 なるべく多くの方に使って頂きたいと・・・
 この技術がある意味=エコ=に繋がるとも思っておりますし・・
 ただ現在技術的にかなりの専門知識を必要とするものですから
 まず造園業の皆さん対象に広めていくことを考えています。
 今後の課題は誰でもがこの修復技術を使えるように
 簡単に、使いやすいノウハウを作っていくこと、と思っております。」
 
木はいままでいかに古くとも歴史があろうとも腐れば伐(き)る
そういう流れだったですが、その木がそこまで育つ為に
どれほどの時間がかかり、どれ程の歴史が刻まれてきたか
伐るのは簡単、でも本当にそれでいいのか?・・・・090518_3.jpg
そういう=木の歴史=をきちんと後世に残していかないと。
そんな思いが最近は何時も胸中にありますよ・・と、森岡さん。
 
木を守ることは木の歴史と思い出を守ること
 
「それが出来るという技術を開発できた・・嬉しいことじゃないですか(笑)」
      
 森岡さんの手で元気を取り戻した木々・・・     
 これからも成長を続けていくことでしょう。
木を囲む多くの人たちのこころに新たな思い出を刻みつつ。

2009年6月29日

山田陽一さん(6/29)

山田陽一さん(新潟市 和風セレクトショップ=ワズスタイル=)      

新潟市古町通りに店を構える 
 和風セレクトショップ「ワズスタイル」            
      
 オーナーは山田陽一さん。     090629_1.jpg
 若者にターゲットをあてた     
 スタイリッシュな和装を提案しています。     
      
「24歳の時にここでワズスタイルを始めたんですが
 そのときは着物と言うよりもその周辺のものを・・・
 自分たちの=サイズ=にあった好きなことをし始めて
 それが、10年経ってこんなふうになったという感じですか。」
 
元々呉服屋の息子でしたから流れとしてこうなった・・と
言うところも大きいんですけどね・・・そういって笑う山田さん。
ただやるなら従来の着物・呉服屋とは違うことをしたい・・
そういう思いは常にあった・・とも語ります。
  090629_2.jpg 
「浴衣なんかはもう一般化してきていますけど
 着物はやっぱり普段着るものとは違うんですよ。
 普段着になるのはたぶん無理なんです。
 特別な時の着物、でもそれでもいいんじゃないか・・と。」
 
「一般に言う着物文化とは違うものだけど昔からの伝統は伝統でよい部分は残しつつ新しいアプローチを若い人に提案したい。10年やってきて今そう思っていますね(笑)」
  
 かつては花街として人と人とをつむぎ今でもその情緒を残す古町。     
 山田さんはこの地を拠点とする事にこだわりました。    
      
 「まあ、この店をやっていて思ったことでもあるんですが・・(笑)
 着物を着て歩く人が似合う街であってほしいんですね、古町。 新潟島には色々、県政記念館やみなとぴあ・・昔の建物も多いです。
 着物が似合う場所はまだまだ沢山残ってると思うんですよ。」
 090629_3.jpg
「あと、古町で仕事を始めて色々な方との繋がりができました。
 自分はある意味コーディネーターみたいなものですから。
 
 例えばワズの仕事の結婚式の捨身とかにしたところで
 カメラマンがいて美容師さんがいて着付けがいて・・・
 それで初めて出来るんですよね・・そういう人脈がここでね・・
 古町で広がったなあ、と思うんですよ。」
 
この街だから出来る、ある意味古町だから出来る
色々な人との繋がりで出来る可能性を大事にしながら・・
 
 新しい和のスタイルが古町通りから発信されています。     

2009年9月28日

牧野啓一さん(9/28)

牧野啓一さん  (糸魚川市 牧野製飴店)
    090928_1.jpg
 糸魚川市にある牧野製飴店。    
 昭和29年の創業の老舗です。    
     
 その3代目が牧野啓一さん。    
 手づくりならではの伝統の味を    
 守りつづけてきました。    

「長年のファン、という方が多いんです。
 だから、まず、味を変えずに守ることですか・・
 味が変わってないね、といわれると一番嬉しいかな。」
 
いちご味や黒糖など種類は全部で9つ。 
昔懐かしい味は、自宅店舗での販売が主ですが   
現在では、知る人ぞ知る越後の逸品として    
全国に向けて発送もされています。    
     
090928_2.jpg 「機械で作る部分も無くはないんですが・・
 やっぱり季節に応じての火加減とか
 自分の舌でその都度換えていかなきゃいけませんから・・
 生産量は決まってくるんですが
 やっぱり全部機械化は出来ないししたくないです。
 手仕事は確実に高いクオリティーのものが作れるし。」
 
「今、全国に発送もさせて頂いていますけど
 やっぱり先代(父)からの=店売り=ですか
 出来たものをその場で売るってのが基本かな。
 直接店に来てくれるお客さんをまず大事にしたいんです。
 作った飴を自分の手から買ってくださる方を。」
 
これから自分自身30年いや40年は飴作りをやる中で
その間に誰か、次世代の若い人がこの飴作りを
カッコいい言い方すれば作ってる自分の背中見て
=俺もやろう=と思ってくれる人が居れば・・
 
「もう、なんでも教えるし、手伝いもしますよ(笑)。」
  
そう言ってにっこりと笑った牧野さん。
090928_3.jpg 
「今度子供も2人になるんで(笑)・・より一層それを力にして
 お客さんに=牧野の飴の味=を味わって欲しいんです。
 今までの常連さん以外にもいろんなお客さんに来てほしいですね。
 
 ・・でも、この=牧野の飴=の味は変えずにですけどね。(笑)」
   
 故郷の地に、変わらぬ味をいつまでも...    
 牧野さんは今日も飴づくりに勤しんでいます。    
 
 
 
※お知らせ
 次回から=ワンダフル新潟人=は
 毎週金曜よる7時50分からの放送となります。 
 金曜日放送の第一回は10月2日(金)です。
 
 今後とも=ワンダフル新潟人=を宜しくお願い致します。

2009年10月30日

古田秀衛さん(10/30) 

古田秀衛さん (阿賀野市 スワンレイクビール~五十嵐邸ガーデン~)
 
白鳥の湖、瓢湖で知られる阿賀野市新しい名産・・
1997年に誕生した地ビールが=スワンレイクビール=    
     091030_1.jpg
五頭山麓ならではの名水にこだわり
ふるさと新潟の空気や四季を感じつつこの地ビールを誕生させたのが   
古田秀衛(しゅうえい)さん。   
    
「1997年のこのブルワリー創立から・・・
そうですね、数にしたら55個くらいですかメダルというか表彰戴きました。
 
・・印象に残るのは2000年ニューヨークの品評会で日本のメーカーとして初めて金賞を戴いたことでしょうか。
 
でも、私たちには、お客様が旨いと言ってくださる・・
其れが何よりも嬉しいですね、其れが本当の=金賞=かと。」    

091030_2.jpgその後このスワンレイクビールは世界最高峰のビールの審査会で
日本メーカー初の金賞を2度も受賞 。
その存在を日本のみならず世界に向けて発信しています。
 
「うちのビールの命はやはり=水=・・でしょうか。
五頭の雪解け水で仕込み、この場所、ふるさとで育てる。
 
ですから、ここに来て飲んで戴く方にはここの自然を楽しみつつ・・
また、この地以外で楽しんで戴ける方にはこの場所を思い描いて・・・
この五頭の杜(もり)を感じて味わって戴ける様になれば。
 
いつも、そう思って作っておりますよ、私たちのビール。」    
     
ブルワリーは古い豪農の館を再生した=旧五十嵐邸=の中にあり
2500坪の伝統ある日本庭園散策の折の休息、寛ぎの時や
伝統の座敷で楽しむ会席料理の席にもスワンレイクビールは供されます。
 
人と人の触れ合い、ふるさとの温もりを胸に作ったこのビールだからこそ
この故郷の自慢できる景色の中で特に味わって欲しい・・・と、古田さん。
 091030_3.jpg
「ここ(旧五十嵐邸)に全国から沢山の方に来ていただいて(笑)
そうですね、色んな方と出合って関わっていきたいですね。
このビールを通じて=ふるさとの素晴らしさ=伝えていきたいです。」
 
・・・私、このふるさとが、街が=大好き=ですから(笑)・・・
 
そう言ってにっこりと笑った古田さん。
ふるさとが産み育て、
世界が認めた新潟の味は    
これからも五頭の山里で作り続けられていきます。 

2009年11月13日

松本忠昭さん(11/13)

松本忠昭さん (見附市・ニット製造会社工場長)
 
全国有数のニット生産地見附。
 この地で野球のユニフォーム用ニットを専門に作っている     
 新潟県で唯一の工場があります。      
       091113_1.jpg
その工場長が松本忠昭(まつもとただあき)さんです。 
「まず、拘ったのは丈夫で軽い、という生地ですね。
うちのユニフォーム全日本やプロ野球でも使われてますが
高校野球でも多く使用して戴いているんです。
高校野球、っていったらやっぱり=夏の炎天下=というイメージありますよね・・そこで一番着心地の良いもの、通気性と丈夫さを兼ね備えた生地を作るのが理想なんですよ。」      

究極の目標、軽く、涼しく、丈夫。     
3拍子揃った生地は高く評価され、
日本のプロ野球、各球団をはじめ
日本代表のユニフォームにも採用されています。 
 
091113_2.jpg「まあ、新しいものを開発して納品した時
デザインの良さとか言われるのも嬉しいですが
やっぱり、いい生地だなと言われるともっと嬉しい(笑)」
 
スライディングにクロスプレー・・
野球のユニフォームには常に強靭さが要求されます。
でも、そのために分厚い生地を使えば今度は着心地が・・。
 
「其の矛盾を克服していいものを企画するのが、
まあ生地づくりの=命(いのち)=な訳ですから。

生地編む時の糸のはしり方から何からすべて計算して・・
より、破れにくい=網=構造を作ること、それが全てです。
 
このニットに限らず、ここ見附は繊維産業で伝統があります。
繊維産業の過去の色々な技術の積み重ねが、
今の私たちの技術を支えてくれてる部分もありますね。」     
      
野球のユニフォーム素材に求められるものって
今も昔も、この丈夫さ、軽さ、涼しい着ごこちに尽きるんです・・と松本さん。
大きく言えばこの不景気のなかでも努力を重ね続けて
繊維の街、見附の産業の一翼を担って行きたい、とも。
 091113_3.jpg
「野球ユニフォームの素材、といえば、もう当社といわれるように
新潟の見附で世界最高のプレーを支えるユニフォームを作ってるんだ、と
たくさんの人に知ってもらえれば、・・嬉しいですね。
日本を代表する生地・素材なんだ、っていう自負はありますから(笑)。」
 
伝統と最新技術、それを支える日々の努力。
見附生まれの確かな技術が生み出すユニフォームは世界レベルのプレーを今日も支え続けています。


2009年11月27日

内田雅晴さん(11/27)

内田雅晴さん (魚沼市 わさび生産業者)

魚沼市。
この地で唯一の『わさび』生産業者があります。
内田雅晴さん。
八海山の雪解け水を利用したこのわさびの生みの親です。

「新潟には美味い米、新鮮な魚があるのに、
其れらをつなぐものがない...。091127_1.jpg
其れが『わさび』なんですよ。

良いわさびを育てるのは、やっぱり水なんですよね。
八海山の伏流水が非常に豊富な土地ですから...ミネラルを豊富に含んでいて...、
コクがあって美味しいって言って頂けるんで、非常に喜んでいます。

辛いのがわさびってイメージがあると思うんですけど、
"甘味があって辛くて"...
そんな『わさび』づくりを目指しています。」

冬寒く、夏暑い...盆地特有の魚沼の気候は、
水温が安定せず、わさびづくりには不向きと言われてきました。
過去にも数件の農家が栽培に挑んでは挫折を繰り返してきました。

091127_2.jpgそんな中、地下40メートルまで井戸水を掘ることで
"美味しいわさび"づくりを成功させた内田さん。
この秋には年間を通して出荷できる体制が整いました。

「わさびを栽培する適温は
15度ぐらいなもんですから...
魚沼盆地は夏は暑くて...
そうすると水温が上がって
病気が多く発生したりで...
わさびは暑いのに一番弱いんですよね。
無農薬ですから、病気が出ても農薬をつかえない...。

でも地下40メートルの水は水温が安定しているんです。
其れを汲み上げることで、夏場の温度上昇を解消したんです。
もともと魚沼の米が育ってきた土地ですから水質は最高ですし...。」

そう言いながら、にっこりと微笑んだ内田さん。
私たちの問いかけに『わさび』への思いを語ってくれました。

「地産地消と言われたり、091127_3.jpg
農薬の無い自然なものが求められていますよね。
皆さんに是非この『魚沼わさび』を味わってもらって、
美味しいなって言って頂いて...
なんとか魚沼の産業に育っていって欲しいですね。
そしてゆくゆくは新潟県の名産になればいいなと思っています。

新潟県には魚沼わさびがある...と言われるぐらいまでに
みんなで一生懸命にやれればいいなと...
其れを目標にがんばっていきたいと思っています。」

内田さんの情熱が生み出した『魚沼わさび』。
新潟の新しい名産が魚沼の自然の中で育ち始めています。

2009年12月18日

大関将洋さん(12/18)

大関将洋さん(長岡市・池田機工)      091218_1.jpg

長岡市の板金加工会社に務める大関将洋さん。     
   
彼が手掛けた「ステンレス板の住宅模型」が全国規模の板金技能フェアで最高賞を受賞しました。

キャドと言われるコンピュータ制御による板金加工システムのプログラムを使って複雑な加工を行なうのがプログラマの大関さんの仕事です。

「最初この業界に入ったのは偶然なんですが・・
まず(板金加工の)現場を経験してからだったんですね。
此のプログラムの仕事に就いたのは・・・・。
現場ノウハウがないと此のプログラム自体出来ませんし。
まあ、元々考えて何かやるのって好きでしたから
今では、天職だな、とも思ってますよ(笑)。」

091218_2.jpg大学時代はジュエリー作家を目指していた大関さん。    
その感性を板金技術に活かし、
平面の板を折り曲げただけで複雑な立体物を作るコンピュータプログラムを完成させました。
  
「今回受賞した作品も、実はそのままコンピュータにやらせると
=出来ません=ってエラー出すくらいの代物なんです(笑)
それをギリギリのところで騙し騙し認識させて形にする。
此れって現場経験しないと出てこないノウハウなんですね。」

「今回、この作品が評価されて、展示会など全国でこれを見に来ていただける
顧客の方や同業の方が増えました。
今までうちが普通にやってきた技術がいかに凄いか。
社内全部の自信にも繋がりましたし世の中にアピールも出来た、と。」 
 091218_3.jpg
今後は此の技術を生かした
自社製品の開発や
直接このノウハウで複雑な板金加工がある程度、誰にでも簡単に出来るシステムの構築やその指導にも目を向けて行きたいというのが夢です、と大関さん。

「皆が簡単に使える機械、
それが作れればこの業界全体の作業性の向上にも繋がりますし良いものをローコストで提供できれば、
大きく言えば国際的競争力も上がっていくと思うんですよ。
ひいては地域の雇用にも貢献できないかな・・なんて
ちょっと大きいけどそれが当面の目標です(笑)。」
 
091218_4.jpg新しい発想が生み出す製品、技術、競争意識・・
それは確実に地域の発展や活気作りにも繋がっていく。
 
大関さんの求める=新しさ=は
地域の明日をきっと担っていくことでしょう。   
 

2010年1月29日

工藤賢也さん(1/29)

工藤賢也さん (佐渡市・尾畑酒造杜氏)
    
佐渡市、尾畑酒造(おばたしゅぞう)。    
日本酒の仕込みが行なわれています。     
      100129_1.jpg
この酒蔵の杜氏が工藤賢也さん。    
今では珍しくなった蔵人泊り込みによる早朝仕込みをここまで実践してきました。

 「他の蔵の事は良くは知りませんが・・・
うちでは今も昔も同じ、あたりまえに仕込みます。
ええ、泊り込みで、自分がここに来た時もそうでしたから。」

夜の仕事、麹造りは今ではタイマーによる機械監視も出来ると言います。
ですが、やはり自分の目で確かめてやらないと、という拘(こだわ)り。
それが自分の、また、この酒蔵のやり方、と微笑する工藤さん。

100129_2.jpg「酒は、一番気候風土と切り離せない代物ですしね。
その土地の色も匂いも出てしまうから・・・。」

寡黙な杜氏の柔和な眼差しの中に潜む作り手の意地。

全国新酒鑑評会では新潟県最多の6年連続で金賞を受賞。
手づくりにこだわった酒造りは多くの人から高い評価を受けています。

 「方針として賞を獲ることに拘(こだわ)ってはいません。
できることを積み重ねた結果としてそこに賞があるというのが理想。
そんな気持ちでやっています、これも先輩から伝えられたとおりに(微笑)。」

「酒は、食品の中で一番添加物とか香料とか・・入れられないんです。
だからこそ昔ながらの造りや味が残っている部分も多いと思いますから・・・
だからこそ佐渡で作れば=佐渡の酒=になるんですよね。
それをね、判って飲んでいただけると面白いんじゃないかなあ。
この酒を飲むとこの景色や風土が浮かんでくれれば。」

お客さんに喜んでもらえる酒造り、ニーズに合わせ甘口から辛口まで。
自分ひとりよがりにならぬように造ることを一番に。

「あとは、まあ、正直、値段と味のバランス・・ですか(微笑)」

100129_3.jpgそう言って寡黙な杜氏は優しげに微笑みました。

「酒は、=水=と=米=なしでは出来ない代物なんです。
最近、何処でも水が汚れて、そして米だって汚れてくるかも知れない。
その=水=と=米=を守る、ふるさとの風土を大切にしたいですね。
体力続く限りはこの仕事を続けて行きたいと思ってますから・・・
酒造りはやって楽しく充実感のある仕事・・・ですから(微笑)。」
 
佐渡の自然と工藤さんの情熱は
今も確かに新潟の銘酒を育んでいます。

 

 

2010年2月12日

阿部喜市さん(2/12)

阿部喜市さん(新潟市・プチヴェール生産農家)
 100212_1.jpg
新潟市新津(にいつ)地区で    
5年程前から栽培が行なわれているのがプチヴェール。
平成2年に静岡で生まれた純日本産
みどりの薔薇のようなかわいらしさもある野菜。    
     
地域の新たな特産品を...と    
このプチベール生産に力を注いできたのが、    
阿部喜市(あべよしいち)さんです。    
     
 「まあ、実家に入って農業してて、米中心だったんで
 冬の作物は何が作れるか、と、考えてまして・・ずっと。
 そこにこのプチヴェール、紹介されたんですよ。
 ああ、これかな、と思いましたね・・見てすぐに。」    
     
いの一番にこの信野菜の栽培に取り組んだ阿部さん。
とはいえ、栽培への取り組みは試行錯誤の繰り返しでした。    

取り組んで5年余徐々に安定した品質と収量が確保できるようになり、    
栽培農家も50件を超えるまでになりました。     
     
100212_2.jpg 「今は、この地域の周辺の皆さんからでいいんで
 プチヴェールの美味しさを知って欲しいんですね。
 
 冬育つ野菜なんで、何より甘みが強く出るんですよこれ。
 新津はやっぱり雪も降る分だけ、尚更甘いですから(笑)」

プチヴェールはまだ生まれたばかりの野菜だから
作り方もこれからどんどん進歩させていかなきゃ駄目だから
そして産地として作る農家ももっと増えてくれれば・・
で、食べる人もどんどん増えてもらえるように、って
考え始めるともうキリが無くってね、これが・・・。
まあ、毎日が試行錯誤の繰り返しなんですけど(笑)・・と阿部さん。
 
「地域の名産・・周りでは殆ど作っていない野菜ですし
 そういう意味でも期待かけてます(笑)。
 とりあえずは、地産地消が最近の流行?ですから
 
 まず、この、にいつさつき農協地域の周辺から、ね
 =プチヴェール?それ何?=って、言われないぐらいに
 知名度あげて、みんなに食べてもらいたいですね。」
 100212_3.jpg
「本当に、びっくりするぐらい、=甘い=んですよ、プチヴェール。
皆さんも是非、一度食べてみてください、本当にわかりますから・・」

最後に笑いながらそう言いつつ、
阿部さんはまたプチヴェールの畑に戻っていきます。

雪におおわれた北国の地で、若い農家後継者の熱い思いを込めて     
新たなブランド野菜は、今、確実に大きく育っているようです。
 
 
=お知らせ・・次週のワンダフル新潟人はオリンピック放送の為
  2月17日(水)・よる7時50分からお送りいたします。=

 

2010年2月17日

立川奈美絵さん(2/17)

立川奈美絵さん(長岡市・ショットバー=ベスト=・バーテンダー)     
 
長岡市で働く女性バーテンダー    
立川奈美絵(たちかわなみえ)さん。     
      100217_1.jpg
若手バーテンダーが技術を競う大会で全国2位という実績を持つ実力者です。

「調理師学校の出身なんです、私(笑)
就職のとき、偶然今の店の求人が在って華やかさやカッコよさに憧れたんですね、最初。」

でも、実際に始めてみたら、思った以上に
 
「勉強することばかりで、 頭の悪い(笑)私には
 正直、もう、どうしようかなあ?と思う事ばっかり(笑)。」

100217_2.jpg毎日が勉強なんですけど、お客さんが優しいし
長岡は気取らずアットホームにこういう仕事が出来る感じで
いまは、ある意味とても充実しています、と、立川さん。 
    
地域ならではのカクテルづくりにもチャレンジし 
県知事賞を受賞した「地酒を使ったオリジナルカクテル」は多くの地元ファンにも愛されています。    

 「地酒のカクテルは、やっぱり地元の色をだしたいなあ、と。
 長岡らしさを発信したいと思って作ってみました。
 話題性もあって良くご注文もいただけるようになったんですけど
 飲んだお客さんに=美味しい=といってもらえるのが
 やっぱり、なにより一番嬉しいですね。」

「今、ここ(長岡市)も不景気は不景気、なんですよ。
 こういう話題になるカクテルを作ることで、少しは・・
 ここの賑わいを取り戻すための貢献ができたらいいなあ・・って。」

コンクールに参加したことで技術も研(みが)かれ知識も増えた。
いろいろなカクテルの種類も経験することが出来たけど
一番の収穫だったのは=女性でも頑張ってんだ=と
思ってくれるお客様が増えたかな、と思うことかも・・・

屈託の無い笑顔で立川さんはシェーカーを手に取ります。

「だから、常に勉強してお客さんに喜んでもらえる・・
 お客さんに笑顔になってもらえる=バーテンダー=になりたいです。」

これからも一歩一歩勉強していきたいし
100217_3.jpgいろいろなカクテルも作ってみたい。
沢山大会に出て腕も研(みが)いていきたい・・

「まだ、先のことは、判らないけど
 とにかく一生懸命に、笑顔で頑張ります(笑)。」

笑顔の似合う若い女性バーテンダーの供する
地酒ベースの長岡ならではの本格的なカクテル。
ふるさとの味のひとつとして地元にしっかりと根づき始めていました。


    

2010年2月26日

立川治秀さん・中林照雄さん(2/26)

立川治秀さん・中林照雄さん(新潟市亀田・染色織物業)
 100226_1.jpg
新潟市亀田地区の特産品  
亀田縞(かめだじま)。  
   
一度は消滅してしまったこの地域の伝統を復活させたのが
立川治秀さんと中林照雄さんです。

立川
 「6年前くらいでしたか・・
 繊維組合の理事長やるくらいの
 クラスの機屋(はたや)が二軒一緒に
 廃業してしまいましてね。
 それほど仕事が少なくなっているん
 です。そんな危機感の中、昔在った亀田縞に目が行ったんです。」

中林
 「郷土資料館に幸運にも現物が大量に残っていまして
  その織(おり)のサンプルを解きほぐして調べましてね。
  農作業の閑散期、冬に元々織られていたものですから
  昔の着物でして、洋服になって途絶えていたんです。」

100226_2.jpg綿100%の、農耕着であった亀田縞。
その自然、天然な着心地のよさと洗うほどに馴染むその独特の風合いは、
国内通販雑誌や海外ブランドなど  
幅広い方面から注目を集めています。  
   
立川
 「最初は地元から
  売れ始めましてね。
  亀田縞の亀田という名前に
  惹かれた方が多かったのかと。
 
  合併して新潟市江南区になって以来、
  =亀田=という名前が消えていく中での
  =亀田縞=ですから・・懐かしさも手伝って。
  最近はネット販売も広がり始めていますし、
  今回のようにようやくメディアも注目してくれるようになって(笑)
  地域ブランドの商標も今登録中なんですよ・・・」
 
中林
 「綿100%のね、言ってみれば=粗野=ですが
  自然で着やすい使い心地が一番の魅力か、と。
 
  =縞(しま)は着てみないとわからない=と昔から言いますね。
  だから、必ずリピーターが出てくれる自信は御座います。
  家で洗っても風合いが残るので、エコでもありますし。」

復活して5年目の今年、
素材に麻を混ぜた新しいバリエーション開発など
若い人に着てもらうための取り組みも進んでいる=亀田縞=。

中林100226_3.jpg
 「私たちふたりで復活させたもの
  ですからね。
  今後は周囲の流通や販売も含めて
  もう一度、=亀田縞=を育てて
  いきたいですね。」

若林
 「それこそ、ジャパン・ブランドの
  一つとして・・ですか。
  全国、いや、世界に広まればと、
  願っています。新たな=亀田=の
  名物の復活として。」

二人三脚で頑張っていきますよ、と
最後に笑顔で語った立川さんと中林さん。

生まれ変わった亀田地域の特産品は  
この地から多くの人へ発信されています。  

2010年3月12日

小池哲夫さん(3/12)

小池哲夫さん (加茂市・小池商店~味噌製造~)  
  
加茂小池商店4代目 小池哲夫(こいけてつお)さん。 

天然熟成にこだわった味噌づくりが評価され、
この度、全国味噌鑑評会で 最高賞を受賞しました。 

「市販されている普通の味噌は100312_1.jpg
  温醸と言って外部から加温して
 短時間で醗酵させるんです。
 うちはあくまで天然熟成に
  こだわりまして・・。」

小学生の頃から朝の麹(こうじ)蒸かしを見、其れを手伝いながら育ったという小池さん。

「身体に味噌作りが染み付いているんですよ
 それが伝統ってものなんでしょうかね」

そう言うと、一徹そうな職人の表情に笑顔が浮かびました。

「天然熟成というのは天の恵みの授(さず)かりのようなもので。
  それこそ=天が味方して=くれないと上手く行かないんです。

  まあ、その天の恵みのバランスを崩さぬように
  味噌の仕込みタンクを半地下にして、
  温度、湿度変化を最小限に留め、材料の大豆も麹も
  新潟産のものにこだわる、そういう努力はしていますが・・」

100312_2.jpg自然の力を生かした味噌作りの伝統を守りながら
県内産の大豆を使った新たな商品開発にも取り組む小池さん。   
この地ならではの味噌づくりに力を注ぎます。

「新潟県産の=あやこがね=という大豆がですね・・
  大粒で明るい色で、これを使いますと味噌の色が明るくなりまして。
  また味もよい味噌が出来ると思っていますので
  新製品として昨年仕込んで、この2月ようやく出荷できるようになりました。
  やはり、新潟のものを使い、地産地消ですか・・
  作るものの顔が見える味噌をお届けしたいな・・と。」

加茂は盆地の中にある街・・湿度は高く昼夜の寒暖差も大きい。
これは決して天然熟成の味噌作りにとってはプラス要素ではないのだそうです。
ただ、その湿度や温度差さえ微妙に独特な醗酵を生み
先祖からずっと受け継いできた味噌ならではの味を作る、と
そう言いながら小池さんは再びこう呟きました。

「天の恵みは天が味方して授かるんです。
 私は、こつこつ真面目に作っていくだけで
 それでお客さんが喜んでくれれば嬉しい。」

自分が納得するよりも食べる人が納得してくれる味噌。
それが目指すものでしょうね・・と、小池さん。

「此の味噌で作った味噌汁を飲んでくださった方が
 =ほっ=と和(なご)んで戴ければ・・と100312_3.jpg
 そう願って=なごみ=という名をつけたんですよ。
 食べてくれる方が喜んで戴けるように・・
 それが味噌作りに私が込める
 =こころ=でしょうか(笑)。」

加茂に伝わる伝統の味噌・・
食べる人の笑顔を常に思う職人小池さんの手から  
全国の食卓に「美味しい笑顔」が今日も届いています。


 

2010年3月19日

渡辺孝治さん(3/19)

渡辺孝治さん (上越市・和牛生産)

新潟和牛の代表的な産地の一つ100319_1.jpg
頸城・上越(くびき・じょうえつ)地域。

この地で品質にこだわった和牛生産を行なってきたのが
渡辺孝治(わたなべこうじ)さんです。

「元々このあたりは、使役に使う牛が
  主だったんだが食用の食育牛は
  自分が最初だったかも知れないな。
  一頭から少しづつ増やしていって、
  此処まで。」

高校を卒業したのち渡辺さんは
地元で何がやれるかを求め
三重県に半年ほど研修に行ったのが切っ掛けで肉牛の飼育に本格的に取り組み始めました。

100319_2.jpg「頚城は村上よりも牛の飼育の伝統が
  あったんだよ。
  元々牛が多いところだったせいも
  あって。ただ何時の間にか途絶えて
  しまった・・・。
  自分が始めた時は頭数を増やして
  品質を上げることがまず大事だな、と
  思ってね・・
  飼育の仲間作りから始めた。」

そして弛まぬ努力と工夫の結果
渡辺さんの生産する肉牛は
県の品評会で最優秀賞を受賞するに至ります。

「こだわりというのは・・まあ、あまり無いんですが
 牛を育てる時にね、自分がそうだったらどうなんだろうと。
 牛舎の床が濡れてりゃ気分は悪いだろうし、
 喰うものにしても新しいものが良いだろうし・・
 その気持ちでね、続けてきただけで。
 あとは一生懸命育てた牛だから
 皆さんに美味しく食べてもらいたくてね、それだけ。」

育牛を初めて30年余、地域のひとに美味しく食べてもらう
それだけを目標にしてきただけ、と笑う渡辺さん。
今までやってこられたのは地域の応援があってこそ、とも。
その技術とこだわりは今長男の洋一さんへと受け継がれています。

「(育牛を)継ぐことを強制はしなかったんだがね(笑)。
 せがれが農業大学校出た後、お蔭で跡を継いでくれて
 今は任せている部分が多いような状況で、在り難いなと思っていますよ。」

衰退しているといわれる日本の農業のなか100319_3.jpg
山間地で出来ることのひとつはこういう育牛かなあ、と渡辺さん。

「米は平場(ひらば)で作れるでしょう、
  山は牛がある(笑)。
 出来ることを頑張っていけば
  道はひらくと思うんだね。」

「外国産が中心の牛肉も、
  地域で育て作ったものを
 まず地域で消費できるようにしたい、
  これが原点かもなあ・・」

そう言って渡辺さんは柔らかに笑いました。

「これからの夢?・・
  そうだねえ、っぱ産者として
 一生のうちに一度、4年に一回開かれる全国品評会にね。
 日本一の肉質の牛を出品してみたいですね。」

和牛を地域の特産に育てたい...
渡辺さんは息子さんと共に
今日も牛の世話に勤しんでいます。


 

2010年3月26日

中村忠平さん(3/26)

中村忠平さん (弥彦村・プレス技術者~ヘラ職人)

日本全国で愛されているお好み焼き。100326_1.jpg

その「ヘラ」は、国内の半数以上が
弥彦村にある笠原プレス工業で作られています。
中村忠平(なかむらちゅうへい)さんは
この工場唯一の「ヘラ職人」です。    
     
「(笠原プレス)先代の会長から教わって作り始めたんだね。
右も左も判らんかったころ、期間工で此処に入って。
その頃はスプーンなんかと半分半分だったかも知れん。
・・昔は=おこし金(がね)=とか呼んでたもんですよ。」

一見単純なように見える構造の=ヘラ=ですが、
強度を保ちつつ先端部の切れ味を高める為
先端に行くに従って薄く伸ばしていく作業には
熟練の技が必要・・一つ一つを丁寧にプレスする
職人の腕によって使い勝手が違うと言います。

「まず、何より平らじゃなきゃ使えない。
 で、手元がね、平らで、今風に言えば常に=フラット=に、かね(笑)。
 それで先には薄さを求めるから・・お好み焼きなんて何でも入れて焼くでしょ。
 肉だのイカだの野菜だの何でも切れなきゃ駄目なんだから
 手元と違う厚さで硬くなきゃ・・それ、プレス一台でやるんだから
 簡単そうに見えて・・なかなか出来ねえんだな、これが(笑)。

  平に延べるんが一番面倒なんだね、首元が割れたりして・・
 なかなか一言で言えんが・・面倒なんだわ(笑)。」

100326_2.jpgにこやかなに語る中村さん。
年季の入った職人の表情も
こと、ヘラの話になるとほころびを見せます。

「焼きそばにお好み焼きに・・このヘラが要るわけでね。(ヘラの)刻印なんか見るとやっぱり嬉しいわね、店で。

売れてるってことが使い易いってえ事なんだろうからね。
他所(よそ)は使い易くするのに地金厚くするんだね。
そうすると=重く=なっちまう・・
 さっきも言ったんだが
 お好み焼きなんて、何でも入れて何でも切っちまうんだから
 やっぱ、先が薄くて硬くないと使えないから。

 作ってるときに小難しいことは考えないけども(笑)
 これだけ此処のヘラが売れてるんだから
 そりゃあ使いやすいからってことなんだろうな、と。

 沢山注文入ってくるってのが、なにより証拠かもねえ(笑)。」

「なんのかんの要っても、
 関西の食文化はこれからも残るでしょ。100326_3.jpg
 特に景気の悪い時には
 お好み焼きなんかかえって
 売れるように思うんだね。
 だから、ヘラの注文は
 絶えないんじゃないかな、と(笑)。
 まあ、これからも今までどおり
 出来る限り・・作りますよ、これ。」

今日も弥彦の山下に響くプレス機の硬い打撃音。
日本のお好み焼き文化を中村さんの技が支えています。 

 

2010年4月12日

腰越晴昭さん(4/12)

腰越晴昭さん (南魚沼市・エリンギ生産)

独特な食感が人気のエリンギ。   
南魚沼市はその生産地の一つです。
  100412_1.jpg
腰越(こしごえ)晴昭さん。   
平成11年から、この地で、   
エリンギの生産を行なってきました。

 「最初はエノキの栽培をしていたんですが
 どうも供給過多になってきまして・・
 その時試験栽培のエリンギを食べましてね。
 今までの茸の食感と全然違うと思いました。
 ・・じゃあ、此れを自分が、と。」

茸は栽培地の配合内容や管理の仕方で全然違うのだと腰越さんは語ります。

茸がもっている本来の味を100%引き出す栽培。
それには地域の風土、温度、湿度、
魚沼では茸の為の水になる雪の存在。
それらの恩恵が大きいのだ、とも。
 
徹底した品質管理と美味しさにこだわる腰越さん。   
その熱意は、新しいきのこ「五郎丸茸」を生み出し   
今、着々と全国へと販路を広げています。    
    
100412_2.jpg 「エリンギも旨いんですが、
 エリンギの食感でも物足らなくなりまして(笑)
 より強い食感のものが欲しいと思って・・
 で、交配に成功したのが=五郎丸=なんです。
 
 栽培はかなり難しいんですがね。
 この地域を背負う特産物に、と願いをこめて
 この村の名前を付けたんですよ。」
 
「実際、栽培がかなり難しい茸なので・・収穫量が少なくて。
 現在、多くは首都圏の料理店やホテルに出荷しております。
 まず、沢山の方に食べていただくという方向で。
 今、増産も努力中ですので、何れは全国の方に食べてもらえるように・・と。」

茸は私自身を表現してくれる子どものようなもの。
全精力を費やしてようやくここまで育てることが出来た子どもたち。
そう言って腰越さんは満足そうに笑います。
 
「これが本当の茸の味なんだ・・と
100412_3.jpg 食べた方に思っていただければ
 もう、言う事は無いですねえ。
 栽培は困難ですけれど、一緒に取り組む人が居れば
 グループ化も考えながら今後は進めたいですね(笑)
 
 いつかは大手の茸栽培会社が意識してくれるくらいの
 存在になれればいいと思って頑張っていきますよ。」

腰越さんの弛まぬ努力と情熱によって
新潟の新しい特産品が南魚沼から今日も送り出されていきます。   

2010年5月10日

廣岡香奈子さん(5/10)

廣岡香奈子さん(新発田市・ダイニングひな店主)

新潟の古い城下町、新発田で江戸時代から続く
格式ある老舗の割烹=北辰館=。
    
その伝統の味を気軽に楽しんでもらおうと
4年前にオープンしたダイニングひな。
 
廣岡香奈子さんはこの店の店主です。100510_1.jpg

 「最初は両親の提案と言うか・・
  一言だったんです。
 新発田は沢山割烹や料亭や
  居酒屋が在るけれど
 ぱっと入れて大人がゆっくり寛げる
  店が無い・・って。
 で、いきなり、
  =お前がやれ=(笑)・・と。
  でも、元々そういうお店が
 やってみたくはあったんですよね・・
 私、割烹の娘ですから。」

香奈子さんは親譲りの伝統の味を基本にしつつも
現代風な和の内装や地元の食材を使った創作料理など
=新発田の味=を新しいスタイルで提案しています。

100510_2.jpg 「新発田は、いえ、新潟はと言っても
  いいんですが
 食べ物、食材が質、量ともに充実
 してるんです。
 地元のものの間違いない
 素材の味ですね。
 
 だから、ここで出したい料理は、
 伝統の味でもあるけど
 もっと素材自体の味を生かした、
 料理の腕に溺れない味かな?」


「そういう食べ物をお出しすることで
 幅広い年代の方に喜んで戴きたいんです。
 70~80のご夫婦に自分の時間を楽しんでもらったり
 子育ての終ったご夫婦にゆっくり食事して戴いたり
 ファストフードとは一味違う味を若い方に知ってもらったり・・」

料亭は敷居が高いって皆さん言われますけど
それをうちのような店で慣れて戴くと言うか・・

「伝統をカジュアルにしたいんですよね。」

そう言って香奈子さんはにっこりと微笑みます。

「食べるっていうことは・・人間が一番安心したり
 ほっと出来たり、あたたかくなれたりする時間だと思うんです。
 最近、朝ごはん一緒に食べるお家も減ってるじゃないですか?
 だから、お客賛意はそういう雰囲気で食べていただける・・
 そういう=場(ば)=を作ってみたいなあ・・と。
 100510_3.jpg
 そうして、色んな世代の、
 地元の方からまず
 ふるさとの味覚と料理のよさを
 知ってもらって・・
 そうすれば、伝統の味を
  守ることにもなって
 幾分、親孝行にもなるのかなあ
  (笑)・・・。」

だから・・美味しいと思う料理じゃなければ
スタッフがその料理の美味しさに自信が無ければ
笑顔でその魅力も伝えられないし
寛げる雰囲気だって出せないと思うんです・・・

柔らかな笑みの中に確かな情熱を込めて語る香奈子さん
 
「何より今は、お客さんに、お帰りの時
 =おいしい=と言ってもらえるのが何より嬉しいんです。
 本当に涙が出てくるぐらい(笑)。
 
 たぶん、料理を商うひとたちって・・この・・
 =おいしい=っていう4文字に全てをかけてるんだなあ・・
 
 最近、それが、ようやく判ってきたのかも知れません。」

伝統の味を守るこころと新たな創造の情熱。
若い主人が守る新発田ならではの料理は
今、新たな伝統を作り始めたところです。

2010年6月 7日

宮尾浩史さん(6/7)

宮尾浩史さん (新潟市豊栄・農業)

「農家のせがれだったしね・・親の面倒は見ないとと思ってた。
 あと、加島屋(新潟市の鮭・海産物食品生産販売店)で
 働いてた時、食べ物を作る喜びと言うか・・・その、
 人の命を支える力は安全な食い物からだと教えられて。」

新潟市北区で農園を営む100607_1.jpg
宮尾浩史(みやおひろふみ)さん。
9年前に脱サラし、専業農家になりました。
農家になってからずっと、化学物資に頼らない自然環境にこだわった農業を実践しています。    

 「身の回りに在るものを生かす・・
 それだけなんなだけども(笑)
 5~60年前までは
 何処でもやっていたことなんだね。
 家畜の糞や身の回りの草、
 其れこそ水底の泥まで
 肥料にし循環させ・・・育った作物のわらやいろんな部分は
 醗酵させて肥料にして、また家畜の餌にして・・・
 ず~っとそうやって農業をしてきたんだな、ここで。」    

100607_2.jpg訥々としかし情熱を感じさせる口調で語るとおり
宮尾さんの飼う鶏の餌は、
青草やくず米など
ほとんどが周辺にある資源や農作物の余剰物の一部。    
まさにこのふるさとにある
=自然の恵み=が
安心・安全な生産物を作り出しています 。
 
「これをね、昔からやってた自然内での大きな循環?
 それを今の世の中に合うようなかたちでやっていきたい。
 そして、子どもたちにも続けられるように・・」   
     
 「ここ(豊栄)は湿地なんですよ、
 湿地だから育つ野草とか動物とか菌とかがある
 =葦(よし)=なんかもいっぱい自生してて
 昔は壁材や屋根に使ってたんだね、何処でも。
 
 でも、今は誰も使わないから藪になって生えてる(笑)
 それをね、使って循環させるんだね、自分で・・・
 
 =葦(よし)=だけじゃなくて、生えてるところの水底の泥?
 その中の菌を使って醗酵させて堆肥にして・・田や畑に戻す。
 ここに何千年も生きている菌だからねえ、強いよ(笑)
 
 こういうやり方の良さを沢山のひとに知ってもらいたいとも思うなあ。」
 100607_3.jpg
・・ここまで来るのに色んなひとや、何より自然に世話になった。
だから、今度は自分自身がひとや自然の役に立ちたいんだな・・
 
ふるさと豊栄の野の一角で大地と自然と向き合う宮尾さん。
 
「目に見えない生き物の
 たくさんの繋がり・・・かな?
 ここの暮らしは
 そこから生まれたんだと
 時々思うんで。
 村も伝統も祭りも、この農村の生業(なりわい)の中から。
 いや、人間だけじゃない自然の大きな繋がり。
 だから暮らしはいつも自然の中にあるんだろうなあ、と思う。
 
 それを沢山のひとと共有して行ければなあ、と。

 俺自身がそうやってここまで育ててもらったからね。
 ひとだけじゃなく沢山の生き物とか自然に。」

農業を通して大きな調和や発展や平和だって・・
生まれるんじゃないかなあ?
最後、そう言って微笑んだ宮尾さん。
 
その手が支える、大地のにおいがする農業には    
この地の自然がしっかりと息づいているようです。    

2010年6月14日

神田智昭さん(6/14)

神田智昭さん (燕市・金属加工業)

金属加工工場の立ち並ぶ県央燕市で100614_1.jpg
厨房用品卸業を営むのは
神田智昭(かんだともあき)さん。    

ステンレス二重構造のラーメン容器  
 「メタル丼」を製品化し、    
今、全国から注目を受けています。

 「私が何よりラーメン好きでして(笑)
 燕三条系のラーメンは
 もう全国区ですし・・
 何かコラボ出来ないかと
 思っておったんです。

 そこに、最近、燕のステンレス製品の
 新商品で二重構造の
 マグカップがやはり有名になりましてね。
 じゃあ、此れを丼でやったらどうなんだろう、と。

 旧知のプレス加工工場と一体化で開発してみたんです。」   

100614_2.jpg冷めにくく持っても熱くないのが、
このメタル丼の最大の特徴。
そのうえステンレスの強度も持ち合わせていますから・・

「使って頂ければびっくりするほど
 機能性が高いと思っています。
 これに賭ける意気込みも結構大きい
 ですねえ(笑)

 街自体が元気がないと工場も
 皆元気がなくなりますから
 燕ラーメンと
 此の燕のステンレスのコラボで
 一緒に全国制覇しちゃおう、と、本気で考えておりますよ(笑)」

そんな神田さんの思いに応えるかのように・・
最近では「メタル丼」を扱う地元ラーメン店も増え始めてきました。    

 「燕はね、色々な金属加工の技術が満載なんです。
 ステンレスだけでもプレスに溶接、金型、そして研(みが)き。
 色んな職人の様々な技術が此処だけでコラボできる。
 そんな意味でも先が楽しみな製品だな・・と。

 今後は燕ラーメンのほうからもこの丼に合わせたような・・
 そうですね、メニュー開発などして貰えれば何より、かな。」

100614_3.jpg

贔屓目でなく使ってもらえば皆ビックリすると思いますよ・・
そう言って神田さんは幾分自慢げに目を細めました。

 「この温かみの在る器、丼でね・・
 使う皆さん全員に
 わくわくして戴いて。
 在る意味使う人、お客さんにもね
 =幸せ=になってもらえると・・・
 嬉しいんですがねえ。」

様々な工夫、日々の努力、
積み重ねた伝統を生かす発想
伝統産業である燕の金属加工技術は
今も尚、日々進化をし続けています。

ふるさとの底力を信じる造り手の思いを乗せて。    

2010年6月21日

小倉壮平さん(6/21)

小倉壮平さん (新潟市岩室・NPO法人いわむろや館長)     

岩室温泉に今年オープンした観光情報施設「いわむろや」。

岩室温泉開湯300年の歴史に裏づけされた「おもてなし」をテーマに、
岩室温泉地区を 中心とした西蒲区の歴史、伝統文化、
観光資源等に関する情報を広く発信・提供していく施設・・・

その初代館長が、小倉壮平さんです。100621_1.jpg

学生時代にアートイベントを通して    
岩室温泉と出会い、    
卒業後も街づくりに携わってきました。    

 「最初は何も無いところだな~と(笑)
 ただ、イベントを通じて
 色々な方にお会いするうち
 あ、ここは=あったかいところ=
 なんだな・・と思いまして。
 其れが最初で、
 また、ターニングポイントでした
 でしょうか。」

岩室を舞台にしたアートイベントは其の後も続き
小倉さんは卒業後もその運営にかかわってきました。
その中で=ここ(岩室)の役に立ちたい=という思いが
徐々に強くなり、今の仕事に就こうと思った・・と、小倉さん。

「やっぱり、人が魅力なんですね、岩室。
 イベントを通じて地元の方と気持ちと気持ちが繋がって・・
 まあ、より=好き=になったんです、ここが(笑)」    

100621_2.jpg外から来た自分、旅も大好きだった自分だから
ここに来る人たちの気持ちも欲しいものも判るかも知れない・・
だから自分が=観光客と岩室の人の心=を繋ぎたい...。 

・・小倉さんは今の仕事への思いを率直に語ってくれました。

「岩室って素朴な感じの場所なんです
 けど温泉としては芸妓さん居たりして
 歴史とか品格のあるところなんです
 よ。
 だから新しく変わるだけじゃなく
 今在るものをそのままで元気にしていく・・
 まあ、今の色のアイディアも盛り込んで、ですかね(笑)。」

そう語る小倉さん、これまでも
若い感性を取り入れたイベントを企画    
地元と協力して数多く行っています。

「まだまだ認知不足ですけれどね、
 地元の皆さんと一緒になって
 みんなで=のれる=イベントをやりたいですね
 其れで地元が盛り上がれば町も変わるでしょうし。」    

「岩室のひとが伝えたい思いと
 ここを訪れるひとが求めてるもの
 その接点を見つけたいし出来ると思うんです。
 何よりも暖かいひとの気持ちを持って帰ってもらう・・
 訪れるひとが癒されたと思う旅・・ですか。
 それをお手伝いするのが仕事だと、思っています。」

岩室のみならず弥彦、燕、長岡・・・
100621_3.jpgこの地域の魅力的な観光資源を活用し旅人に喜んでもらえる=もてなし=とひいては街の活性化を目指して・・
 
目標は=温泉のお湯のように心温まる街=。    
小倉さんの挑戦は始まったばかりです。    
     

2010年7月 5日

迫一成さん(7/5)

 迫一成さん (新潟市・Tシャツショップ経営者) 
 
「僕、最初は、よりなーれという
 にいがたTMOのショップから始めたんです。
 (西堀ローサに)個人ショップ出したんですが
 そのとき上古町に作業場を置きまして・・・」
 
新潟市の上古町通りで     100705_1.jpg
オリジナルTシャツショップを営む
迫一成(さこかずなり)さん。    
 
歴史ある商店街
上古町(かみふるまち)を元気な街に...    
そんな思いを胸に、
若者ならではの視点で
様々な活動を行なっています。    
 
「ここはお年寄りと若い人が
 混在してるでしょ。
 その=混じる=感じが
 何より魅力ですよね。」
   
100705_2.jpg今、迫さんは上古町商店街の理事でもあります。
ホームページの立ち上げから    
マップの制作までその活動は様々。    
幾つかのイベントも積極的に企画しています。
 
「夏の灯篭とか、本町商店街と
  一緒になってやってみたり
 門前市や去年は巻の鯛車飾る
  イベントもやりましたね。

 理由は・・・ここは、とても良いところで大好きな街ですから
 たくさんの人に上古町を訪れてほしいから・・
 あえて=街の活性化!=なんて強く意識はしないんですけど(微笑)」

そんな迫さんたちの活動に触発されてか、
最近では上古町に新しいショップも増え始めてきました。    

「実際、僕の店以外に、=いい店=がいっぱいあるんですよ。
 古くからの店も新しいショップも・・来た人にはそこを見て欲しい。
 そういう自信があるからここに店を出してるんですから(笑)」

上古町に出て6年近く・・色々な事を企画するたびに
=変化=が感じられる街なんですよ・・と、迫(さこ)さん。

初めて尋ねてくれたお客に=がんばってるね=と言われる・・
そんな機会が着実に増えているのを感じる・・とも。

「やっぱり、この街の魅力って言ったら100705_3.jpg
 お洒落でのんびりしてて個性的で・・
 他に無いものがすごく
  =素直(すなお)=にある・・のかな。
 言葉にはしづらいけど、
  混ざった魅力?」

「来た人が楽しんで
  リピーターになってくれて
 来たことの無かった人も噂を聞いて
  目指してきてくれる街。
 自分も含めて、
  ここにいる店の人たちが、
  古い店も新しい店も・・
 =いいところでしょう?上古町=と
  胸はって言える・・そういう街になってくれれば嬉しいですね、本当に。」

今もとても楽しく、幸せに仕事が出来てますから
この気持ちをずっと持ち続けて行きたいと思うんです・・と迫さん。

「そのためには、日々、チャレンジが必要ですよね(笑)。」

新しい力と古くからの歴史が仲良く混在する街。
色々な意味で=新潟らしさ=が色濃く残る上古町。
 
迫さんはじめ、この街に生きる人の思いを乗せて    
上古町の魅力が、今、多くの人に発信されています。    

   

2010年7月12日

近藤洋平さん(7/12)

近藤洋平さん (新潟市・旧新津市・和菓子職人)     

「この団子は・・私が和菓子始めたときにはもうありましたからね。
 母親が買ってきてくれたのを食べた記憶もありますよ。」

昭和30年代、100712_1.jpg
新津駅の盛況とともに人気を博した
新津名物の「三色だんご」。    

駅前にある老舗菓子店=羽入=の
工場長近藤洋平さんは、
半世紀に渡りその味を守り続けてきました。     
     
「昭和30年代ですか、私が始めた
  ころが一番作ってましたでしょうか。
 朝は毎日4時から仕込みで土・日は
  5~600個は作りましたかねえ。
 
 新津の街も鉄道の方で賑やかでね・・街の三分の二は鉄道の関係で・・
 それからずっと今まで、味を変えずに毎日作っております。」   

100712_2.jpg最盛期は市内の3つの店舗で製造していた三色だんごも、    
今ではここ、羽生菓子店で作られるのみになってしまいましたが
それでも平日150箱が完売する人気を誇っています。   

 「難しいって思うことも
 今は・・無いですが(笑)
 だんごの硬さはその日の気温とか
 天気で変わりますから
 硬さとか水気とか、調節するのが
 勘所のような。

 もう淡々とね、長年のあれで、いつもどおり作るだけですが
 ただ、毎日、作るものを美味しく、とね。
 作ってる人間なら誰でも思うこと・・ですが(笑)
 まあ、そうやって、忙しいことが楽しいですねえ・・職人ですし。」

趣味なんか休みのときに映画見るくらいのものですから・・
そう言ってふと笑う近藤さんの年季の入った表情。   
 
「形が変わっていて箱入りですからねえ。
 珍しさもあって人気も出たんだと思いますが
 正直味は抜群だと思っていますよ、特に胡麻とか・・
 やっぱりお客から旨いと言われるのが一番・・ですから。」

一緒に働く若いひとには是非この味を継いでほしいし
お客の来る限り三色だんごは新津の味で在ってほしい。
そして、昔のように鉄道の街として新津が賑やかになってくれれば・・・

それも一番の願いですかねえ、と、近藤さん。

「時代が時代で100712_3.jpg
 ものはいっぱい溢れてますから
 昔みたいな珍しさは少ないだろうとは
 思うんですがね。
 それでも、続く限りは作り続けて
 行こうと・・。
 美味しいと言ってくださる方が
 あるうちは。
 淡々と、今までどおりに、
 ですね(微笑)。」
 
かつて鉄道のまちと呼ばれた新津・・
駅のホームで飛ぶように売れた名物三色だんご。
 
その味は、時は流れ街が変わって行っても    
これからも多くの人に愛され続ける事でしょう。
 
味と伝統を守るひとの手がこのふるさとにある限り。    

 

2010年7月19日

橋本嘉人さん(7/19)

橋本嘉人さん (新潟市~旧豊栄~・トマト栽培農家)
    
新潟市北区。    
100719_1.jpgトマトの収穫が行なわれています。
     
橋本嘉人(よしひと)さん。    
この地ならではの自然環境を生かし、    
農薬や化学肥料をおさえた
「豊栄トマト」を生産しています。    
     
「親爺が昭和50年くらいから
  ハウストマト作ってまして・・
 それがとても旨かったんです、
  で、親爺の技術は素晴らしいな、と。
 誰か継がなきゃ勿体無い、
 と思いまして。」
     
 甘味と酸味のバランスが絶妙と言われる橋本さんのトマト。    
 県の品評会で最高賞を受賞するなどそのこだわりが評価されています。    

「このトマトは農協で栽培の為の基準が在る程度決められていて
 肥料とか水のやり方、管理方法とか、一応それに準じてるんです。
 それで初めて=豊栄トマト=と言えるトマトに成るんで。」

100719_2.jpg豊栄トマトの特徴は桃太郎系の水分の多いジューシーさ
でも水っぽくなく甘さもあり酸味とのバランスが取れている・・
とても濃い味の美味しいトマトなんです・・と、橋本さん。

何よりお客さんに喜んでもらえるトマト作りが大事だから、と、
トマト作りの気構えをさらりと述べてくれました。

「家にまで買いに来てくれるお客さんにね、
 毎年喜んで、=今年も美味しい=って言ってもらえる
 そんなお客の顔が今年もこれからも見たいからね。
 そのために作るのが=僕のトマト=かも知れないなあ(笑)」

「まず、地元に知ってもらいたいって願ってます。

 産地が豊栄のトマトは旨いって事を
 意外に判らずに食べてる方も多いと思うんですよ。

 そうすれば今後、後継者もね増えてくれるかも知れないし・・
 高齢化は進んでますからね、だから、もっとトマト作りも
 今以上に魅力的になって行かないと。」     

豊栄トマトを食べてくれる方に感じてほしい事は?という問いに
 
一言、=愛情ですかね(笑)= と、100719_3.jpg
言い切った橋本さん。

 「愛情かけて、手間かけて、
 作るんですよ毎日。
 だから、そこを感じてもらえれば
  一番嬉しいですねえ。
 天候に左右されたり、
   毎日気の抜けない作物なんで
 美味しくて=美しい=
  トマトを作るのに日々精進です。

 町村合併で豊栄市の名前は
  消えてしまったけど
 その名がトマトに残ってくれて
  とても嬉しいんです。
  だからこそ、その名前に恥じないよういいトマト作らなきゃね・・ 」

そう言って笑う橋本さんの愛情が込められた豊栄トマトは
今日もにいがたの食卓に笑顔を育んでいます。    


 

2010年8月 2日

大嶋美樹子さん(8/2)

大嶋美樹子さん (新潟市 風呂敷専門店おおしまや) 
  
新潟市中央区にある
風呂敷専門店「おおしまや」。

この店の店長が大嶋美樹子さん。
若い世代ならではの感性で風呂敷の新しい使い方を提案しています。
    
「私自身、実家が呉服屋だったんです。
  で、元々インターネットで唐草模様の100802_1.jpg
  風呂敷を販売していたんですけど・・・

  唐草模様って途切れてないでしょ、
  図案がつる草で
 で、延命とか長寿とか子孫繁栄の
 意味があって・・
 最初、其れに感動して
  意味を解説しながら
 ネットで売り始めたんです。」

その後、販売実績が増え、現在の店舗を新潟駅南に・・
現在は若い人にも人気のショップになっています。

「昔からの伝統の風呂敷の柄って、
 ひとつも縁起の悪いものは無いんです。
 で、それぞれの柄、模様に
 色々な祝い事に合わせた意味もあって・・
 その時々にあわせた風呂敷を祝い事に贈るという
 日本古来の風習が元々あったんです。」

新潟は結婚式の=松の葉(軽いお返しの品)=に
風呂敷を贈るという風習が昔からあったので
若い方にも案外、風呂敷は馴染もあったんですよ、と、大嶋さん。

100802_2.jpg「昨今のエコブームもあって、
 今、風呂敷は若い人に
  見直されてるかも(笑)
 風呂敷でエコバッグ作ったりも
  出来ますし結び方を覚えると
  其れこそ色々な使い方が
 いろんな場所で出来るんで
  楽しいんですよ。」

風呂敷の使い方講習会も
定期的に行なっている大嶋さん。   
風呂敷が持つ魅力を多方面から
若い人中心に発信し続けています。

「買物紙袋が使われるようになってから
  風呂敷は脇役になっちゃったのかも知れませんけど
 一度使ったら使えなくなる紙の袋と
 繰り返し使える風呂敷だったら・・
 やっぱり風呂敷が素敵かな(笑)。

 普段小さく畳んでおいて、必要に応じて
  包むものの形に応じて自分の思う形に出来る・・
 そんな自由さもいいなあ、と思うんです。」

「新潟には亀田縞や小千谷縮など100802_3.jpg
 新潟特有の織物、
 生地がありますよね。
 そういう生地のよさを生かした
 風呂敷とその使い方や
 文化みたいなものを
 これからの子どもたちにも
 知って欲しいな、と
 今は思いながら色々頑張って
 みようと(笑)。」   

ただ売るだけでなく
風呂敷を広める活動
その中から生まれてきた
人間関係みたいなもの
そういうのが今一番の宝かも知れません・・・

最後、インタビューにそう答えて
大嶋さんは柔らかく笑いました。
    
先人の知恵が詰まった新潟の風呂敷文化は
それを心から愛するひとたちの手によって
にいがたの地で新しい世代へと伝えられています。 


※松の葉・・・ 北信越独特の風習・結婚式の軽い引き出物
         本来は縁談の際、使者によって先方より届けられた「風呂敷」を、
         承諾する場合は受け取り、断る場合は返すといった具合に、
         両家が穏やかに意思を確認できる方法だったという。

ふろしき・おおしまやHP
http://www.geocities.jp/niigataoshimaya/
 
 

 

2010年8月 9日

池田 治さん(8/9)

池田 治さん(長岡市 農業・ながおか百笑会・アイス制作販売) 
 
ウコンやアスパラガスなど    
長岡の地場産野菜で作られた「ながおかアイス」。    
地元農家の有志達が企画しました。     
  100809_1.jpg
そのリーダーが池田治さん。    
自ら積極的にPR活動も行なってきました。    

「一つは、
 ここ長岡の野菜のPRのために・・
 もうひとつは自分たちの
 活動認知ですね。

 会は百笑会(ひゃくしょうかい)って
 言うんですが。

 作る農家は野菜も果物も
 一生懸命なんですよね
 楽しく笑いながら造りたいし買う皆さんにも知って欲しい、と。
 で、企画したのが地元野菜のアイスでしたから、」

100809_2.jpg地元で販売していても長岡にどんな野菜があるのか知らずに
また、地元で作られる野菜の味を知らずに買ってる場合が多い
だから、興味を持って選ばれる野菜を作りたい・・

「それがいちばんの目標であり夢ですね。」

新しい商品開発にも力を注ぐ
池田さん。    
枝豆やスイカのアイスクリームなど    
季節限定商品の登場も予定しています。    

「実際食べていただくと、ウコンやアスパラガスは
 皆さん、最初、不思議そうに召し上がるんですが(笑)
 単に珍しいだけでなく、しっかり=美味しい=
 で、ちゃんと其の=野菜の味=がする・・と、言って
 喜んで戴いて・・ええ、もう三年になりますね。」

「一応地域活性という目的ですから地元中心で・・
 今は道の駅などにも置かせていただいてますから。
 訪れる方にもぜひ味わっていただいて・・
 それも、長岡の野菜をPRしていく要素になれば・・と。」   

長岡の野菜にはここだけにしかない種類品種もあり
独特の旨さがあるんです、と、池田さん。100809_3.jpg

産地としてはまだまだ小さな規模ですが、いつかは野菜の大産地といわれるようになるのが目標です、と

地域に掛ける熱い思いを語った若き農業の担い手・・

池田さんの地域への思いが、    
そのまま、ながおかアイスに込められています。    
     

2010年8月30日

仁木輝雄さん(8/30)

仁木輝雄さん (新発田市・種権種苗店・パワーリーフ栽培)

今、健康野菜として
密かに注目を集めているパワーリーフ。100830_1.jpg

南米原産のツルムラサキ科の植物で
カルシュウム、亜鉛などが豊富に含まれ、大正時代に漢方薬として渡来した多年草です。
  
その発祥は、
県北の城下町新発田市。     
江戸時代創業の地元種苗店(しゅびょうてん)の店主、     
仁木輝雄さんが生みの親です。     
      
「基本的に私どもは種苗店ですから
 新しい野菜、植物作りは使命と思っております。
 常に新しいものを模索しておりまして・・
 
 今の時代、安心安全な野菜が実はありそうで少ない
 そんな中、かつて漢方薬だった、このパワーリーフ。
 食べたら美味しく、虫もつかず病気にもなりにくい
 今の時代にマッチしているんではないか?と思いまして。」

100830_2.jpg農家が米に変わる収入源を模索している今
消費者にも生産者にも喜ばれる作物を改良、提案することは
私の家業の使命のようなものですから・・・と、
日焼けした慈顔に笑みを湛えて
仁木さんは言います。
 
このパワーリーフをまず地元から消費して食べて、
そしてこれを原料とした産物を地元企業で開発し、
新発田があらゆる意味でパワーリーフの発信地になること・・

各種イベントでの試食会、小学校給食での採用など、     
最近では市や町が一体となって     
パワーリーフの特産品化への取り組みを行なっています。     

「日本の食文化は今西洋化しておりますね。

 昔はマグネシウムやカルシウムなどの微量元素を
 それこそ自然の野菜から摂取していたわけですが
 今はその野菜そのものの摂取量が少ない。
 
 このパワーリーフは100グラムあたりの微量元素の量が
 他の野菜に較べてもかなり豊富です。
 健康づくり、とくに子どもたちの健康には大事な微量元素。
 これを摂ることが出来ると自負しておりますよ。」

「食育を兼ねた市民の、子どもたちの健康づくり
 これを展開した安全な=食作り=ですか・・
 市も商工会も今新発田全部でこの取り組みが進んでおります。

 パワーリーフが新発田の力からひいては新潟の力
 最後には日本全国に健康の力になって広まっていけば嬉しい。

 そのためにはまだまだ品種改良も続けねばと思っておりますし
 寒さに強くとか、家庭菜園でも出来る簡便さですとかね。」

現在、パワーリーフに継ぐ=ワインリーフ=という新野菜や
珍しい牛蒡、茄子などの品種も改良、生産中ですから
これで新発田の農業を活性化させていければ・・・
 
仁木さんの夢はまだまだ大きく広がって行きます。
 100830_3.jpg
「パワーリーフを食べて、
 まず=健康=に。
 そしてこのパワーリーフから
 新しい発想を、ね
 地元の産業が
 生み出していくようになる。
 
 新発田のメイン野菜として
 全国に展開が、
 正直、今の夢ですね、
 大きい話ですが(笑)」
 
新発田の新しい特産品を自らの手で。
温故知新の新野菜パワーリーフの魅力が
この地から全国に発信されて行きます。     
      

2010年9月 6日

飯塚恵子さん(9/6) 

飯塚恵子さん (上越市 スイーツ専門店・菓子製造)      
 100906_1.jpg
上越市にあるスイーツ専門店 
「パティスリー リ・リ」では、
今、米粉を使ったケーキや焼き菓子が評判です。   

この店の店主が
飯塚恵子さん・・
8年前ふるさと上越にお店を開きました。     
     
「昔はこのあたり
  一面田んぼだったんですよ(笑)
 区画整理や減反で無くなっちゃいましたけど・・・
 その思い出をまず無くしたくないな・・と思ってました。
 
 で、帰ってきてから、私が育ったこの場所で
 ここで作ったモノを使って美味しいケーキ作りたい、と。

 だから米粉、それも上越産のお米にこだわったんです。」

 店の名前 リ・リはフランス語で米という意味。    
 地元の米粉にこだわったケーキや焼き菓子は    
 30種類以上にもおよびます。    

オープン当初は、まだ=米粉=と言う言葉も
一般的ではないような状況でしたが
色々な試行錯誤を繰り返し、
上越産の米粉でお菓子作りを進めてきた飯塚さん。
 
100906_2.jpg「なにより、近所のね、
  信頼できる人が作った
  お米です。
 安全な、美味しいものを
  作るってことは
 まず、そういう処から
  始めなきゃ、とも
  思ったんですよね。
 眼には見えないところだけど、
  一番大事じゃないか・・と。」

米粉で作ったケーキは焼き上がりの匂いが香ばしい。
クッキーにすればさっくりとして、ちょっと硬めの食感が・・
ロールケーキのスポンジはもっちりとしてきめが細かくて・・

米粉のお菓子の美味しさになると
一段と眼が輝くように活き活きと飯塚さん。
まるで自慢の我が子の紹介のように語ります・・

「やっぱり、上越らしい新潟らしいもの、
 そういうのを作りたかったんですね。
 若い人が地元から離れていったりとか
 住む人もだんだん歳とっていったりとかあって

 あと、上越って言われてもあんまり判らないでしょ?
 新潟のどこに在ってどういう街なのか・・・

 だから、ここの出身の人たちが、ああ、上越にはこれがある。
 自慢できるスイーツ、地元のお米のお菓子がある。
 そういえるくらいのお店にしたいんです、頑張って(笑)」

今、米粉は
100906_3.jpg新しいジャンルの食品として
ブームを起こし始めています・・
ただ、ひと時のブームではなく、
この後もずっと
上越を代表するお菓子が
生まれくれればいい・・
 
「そのためには、
 頑張らなきゃと思っています。
 出来れば60過ぎても
 ずっと現役で(笑)
 この店で仕事して=美味しい=といわれるケーキ
 米粉のケーキやお菓子を作りたいです。」

もちもちっとした「美味しい食感」が、    
お米の新しい魅力を引き出す米粉ケーキ・スイーツ。
上越の新たな名物を目差して
飯塚さんの努力の日々はこれからも続きます。
 

2010年9月27日

小松寿雄さん(9/27) 

小松寿雄さん (とんかつ太郎三代目店主) 
    
昭和の初めから、新潟名物として    
多くの人に愛されてきた「新潟タレカツ丼」。    

その発祥の店が「とんかつ太郎」。    
小松寿雄(こまつひさお)さんは     100927_1.jpg
この老舗の三代目です。    

「子供のころから、
 親がこのカツ丼やってました
  んで・・継ごうか、と思った
  切っ掛けは、
 まあ自然とでしょうか。
 まあ、大変は大変な
  商売なんですけどね(笑)」

そう言いつつも子供のころ、
このカツ丼はあんまり食べさせては貰わなかったなあ・・と、笑います。

100927_2.jpg「米と肉、素材のよさを生かし
 切るのが特徴でしょうか・・
 美味しいものを美味しく
  食べる・・
  まあ、フランス料理の
 ヌーベル・キュイジーヌみたい
 なもので(笑)

 揚げてタレにつけるという
 シンプルな料理ですからね、
 何よりも素材の良さを大事にしたいんです。」

新潟名物の「卵でとじないタレカツ丼」。    
最近では、この新潟スタイルが全国的に認知され    
県外からの来店者も増え続けています。    

 「単純に美味しかった、と感じ取ってもらえればそれでいいんです。
 新潟のよさをこのカツ丼旨いなと思うことで感じ取ってもらえれば。

 まあ、今、後継者が居ないのであれですが・・
 それでももう20年は頑張って、なるべくこの新潟カツ丼を
 もっともっと根付かせて行きたいとは思っていますね。」 

うちだけじゃなく100927_3.jpg
色々な店に出てもらって
新潟カツ丼事体のクオリティーを底上げしてもらって・・
どこで食べても新潟カツ丼は旨い、と。
 
その上で各店の特徴が主張しあい競い合うような
食から発するエネルギーが町おこしになるような
 
「そんな風になってくれたら、私たちは、=幸せ=ですねえ(笑)。」

新潟で育ててもらった店だから
新潟に貢献したいといつも思ってるんですよ・・と、小松さん。

「景気が悪い時こそ食文化で活気をつけられれば
 まあ、その手助け程度しか出来ないんですが・・・」

そう謙虚に語る小松さんですが
あるポリシーは絶対に守りたいと言います。
 
100927_4.jpg「支店を出さないという事
 ですね。
 東京に支店出して、
 そこで食べて戴いても
 それはたぶんうちのカツ丼
 じゃあないんです。
 新潟(ここ)に来てもらって
 食べて戴いて・・
 初めてうちのカツ丼の味
 なんですよ、多分。」
 
とは言え、新潟に来れないお客さんの要望にもこたえるため
冷凍カツ丼の通販もポリシー守りながら多くのひとに
味わってもらえるように、と現在手がけ始めた小松さん。
まだまだ多忙な日々はこれからも続きそうです。
 
B級グルメブームの中、あくまで地産地消の味にこだわりながら・・

新潟で愛され続けてきた伝統の味は    
いま、全国からこのふるさとに沢山のお客さんを呼び込んでいます。  

2010年10月 4日

宮崎千香美さん(10/4) 

宮崎千香美さん (燕市 玉川堂・槌起銅器制作)

燕市の伝統工芸品「鎚起銅器」(ついきどうき)を
200年に渡り作り続けてきた玉川堂(ぎょくせんどう)。

江戸時代創業のこの老舗に、
初の女性職人が誕生しました。
宮﨑千香美さんです。

「もともと伝統工芸や金属加工に興味があったんです。
 学校で一応金属加工の基礎を一通り学ばせてもらって
 中でも鍛金が一番興味を魅かれまして。」

学校の授業で見た101004_1.jpg
玉川堂の仕事のビデオに強く魅かれた宮崎さん。
採用募集を待ち、卒業後一年頑張って今年の春、入社しました。

1枚の銅板を金槌で叩きながら形を作る「鎚起銅器」は、
高度な技術が必要・・・宮﨑さんの修行も日々続きます。

「金属の一枚板が
  人の手によって形を変えていく、
 在る意味=もの=になって行くんです。
 機械に無い=人の手仕事=の素晴らしさ・・
 それが何よりもいいなあ、と思います。」

「製品の一部、磨く部分とか今担当させてもらっていますが
 磨くにしても傷ひとつが製品の価値に関わるわけですから
 凄い技術の塊なぶんだけ値段は決して安くないものですし・・
 買って頂ける方も厳しい目で選ぶと思うんですね。
 だから、もっともっと勉強を重ねないと・・・」

101004_2.jpg真摯な眼差しの宮崎さんは
槌起銅器初の
女性職人の立場をこんなふうにも語りました。

「伝統の長い産業に・・女性
 職人が入ったということで
 話題になって、(槌起銅器を)
 知ってくれる人が増えて・・
 この銅器の良さを残していく
 ことに繋がれば
 より多くの方にお求めお使いいただけるきっかけになれば
 私はとても嬉しいんですけども(微笑)」

今は、日々仕事を覚えるのが精一杯。
失敗も多いがそれを次の仕事に生かせるように。
早く全ての工程をまかされる職人になりたい・・

決意あふれる眼差しで淡々と語った宮崎さん。
そこには女性だからという気負いは感じられず
真摯に製品と向き合う職人の表情がありました。

「伝統の器ですから、101004_3.jpg
 やはり私より上の世代の方
 そういう方に愛用されている
 ものが多いんですね。
 いつかは若者向けの、
 女性的感性のデザインや
 使用目的に適う、
 そういう槌起銅器を
 自分の力で考えて
 作って行けるような職人に・・・
 成る事が出来れば、
 いいなあ、と(微笑)」

職場の職人さんは、皆、尊敬する先生。
此処に居る、そして此処で作ることを誇りに思うし
そんな工芸が燕にあることももっと知って欲しい・・

伝統の技術を学ぶ熱い思いを胸に
宮﨑さんが叩く金鎚の音は今日も鳴り響いています。


 

2010年11月 1日

若杉純行さん(11/1)

若杉純行さん (新潟市・パン製造業) 
  
大正時代創業のパンの冨士屋。
新潟市の繁華街古町通りに店を構え
手づくりにこだわったパン作りを行なってきました。

現在の製造責任者が若杉純行さんです。

「入社して、30年になりますかね。
 入った当時は物凄く忙しい店で・・・
 流れ作業に乗っかってるだけで何が何だか。
 もう最初は訳がわからないくらい忙しくて。」

冨士屋の先代から教わった事は101101_1.jpg
=手作り・伝統・無添加=
パンの材料は日々変わり、進化していくけれど
その中でも製法はしっかり昔のままで
手作りの良いところを重視した安全な美味しいパンを・・

「お客様には・・食べて幸せだと
  思っていただけるパンを。
 安心して食べられる
 幸せなパン、ですね、やっぱり。」

そう言って笑顔を見せる若杉さん。

「いま、古町は寂れていると言われていますが
 あくまでここで冨士屋をやって行きたいんです。
 昭和20年ごろ、ここに店を出した先代のね、
 夢とか心とか継いで・・実際古町は人が居なくなった訳じゃない。
 ここで一つのブランドとして店を守って見せますよ。

 その為にはなにより私たち個々の店舗が
 魅力ある店にならなきゃ駄目なんですね。
 あそこに行けば美味しいパンがいつでも食べられる。
 お客様にまずそう感じていただくこと。
 それを頑張って、それで古町に昔の客足が戻れば・・と。」

101101_2.jpg熱く想いを語る若杉さんは、
日々のパン作りの
傍(かたわ)ら
現在、調理学校での講師も行ない昔ながらの古町の味、
冨士屋のパンの味を
惜しげもなく未来の職人達に伝授しています。

「専門学校の学生には、まず
 パン屋の厳しさと楽しさを・・・
 何よりも=作る喜び=をね。
 今の若い人に少しでも伝えて行きたい。
 あと、今は色々なパン屋もあって
 作り方も様々になってはいますが
 基本の技術を一から、しっかり。」

今でも冨士屋はお客様の足が途絶えぬ店ではあるんですが
今の名物、食パンとクリームパン以外の新商品も
自分が現役のうちに幾つか作ってみたい、とも語る若杉さん。

伝統を守りつつ101101_3.jpg伝統に留まらぬ
真摯な職人魂が
とびきりの笑顔のなかには
溢れているようでした。

「新潟ならではのパンって、
 多分、そうですね・・
 お米と同じように
 毎日食べても飽きないパン。
 うちの食パンはそういう
 パンだ、と思ってますよ。」

夢は、この新潟古町で冨士屋の伝統を守り
新潟に住む皆さん全員に知ってもらえる
=美味しくて安心なパン屋=に・・・

新潟の歴史ある名物パン屋はこれからも  
若杉さんの手で守り続けられて行きます。

多くの人に愛され続ける味と共に。

2010年12月 6日

椎谷一繁さん(12/6)

椎谷一繁さん (新潟市・カナーズ・ジャパン~革製品製造~ )
   
新潟市西蒲区
ランドセルのリメイクを行なっている工房があります。
     
椎谷一繁さん。
これまでに数多くのランドセルを
実用的なカバンへと変身させてきました。

 「このリメイクの場合、101206_1.jpg
  小さなランドセルにするのは
 どこでもやってるんで・・
  それだと人の真似に
  なっちゃうでしょ。
 作るなら違うものを
  作りたいな、と、
  まず最初に思って。
 設備投資から始めて・・
  何個も失敗しましたけどね。」

「ミニランドセルって
 飾りにしかならないでしょう。
 これは実用的かばん、小学校6年終った後
 お父さんお母さんお祖父ちゃんお祖母ちゃん・・
 そして本人も・・一生使うことが出来るわけで。
 最高です、いや、最高でしょ(笑)」

101206_2.jpg小学生時代の思い出が
詰まったランドセルは
誰にとってもたった一つの
思い出の品。
椎谷さんはそのランドセル一つ一つを手作業で実用のかばんによみがえらせています。
 
 「思い出は一番大切なものですから、其れを残してあげたいですね。
 でないと6年間終ったらランドセルは捨てられて
 カバン自体も可哀想なんで。」

「新潟というより、全国の、ですか。
 全国のひとに、思い出のランドセルを
 作りなおして日常のカバンに活用してほしい。
 せっかくの思い出なんですから。
 そう思って、いま、懸命に頑張ってます。」

そう言って笑う椎谷さん。
かばん作りはある意味文化だと思うし
自分はアーティストのつもりで頑張ってる、とも。

「自分で整えて想像して作るんですから
 今まで在ったものではない方向に。
 芸術を気取るとか言うんじゃないですが・・。

 新潟はカバン屋として全国に展開しているところが
 まだ無いんです・・なので、この企画で勝負して。
 地場産じゃあないですが、新潟にはこういうものがある、と
 大袈裟ですが世界にアピールしていきたいです(笑)。 」

実際、夢ですが、101206_3.jpg
GACKTあたりに持ってもらって
六本木を歩いてもらえれば・・なんて考える時もありますよ、と
笑顔で語る椎谷さん・・
夢は大きく広がります。

思い出を大切にものを愛する心を持った作り手によって
お洒落に生まれ変わった
ランドセルは
日本中にまた新たな思い出を作っていくことでしょう。

 

■カナーズ・ジャパンHP
 http://www.canars.com/

2010年12月29日

林均さん(12/29)

林均さん (長岡市・パティシェ)

長岡駅前に店を構える洋菓子店 = パリスパイ=

この店の店主が林均さん。101229_1.jpg
全国でも珍しいミルフィーユの専門店を一昨年、ふるさと長岡でオープンしました。

フランス語でミルは千を、
フィーユは葉を意味し
四角く広げた小麦粉生地を
バターに乗せ
何回も折りたたんで作り上げる独特の食感のお菓子。

林さんは洋菓子に憧れて
大阪で修行
その後フランスにも渡って腕を磨いたパティシェです。

101229_2.jpg「お盆とか、実家に帰って来て(長岡)駅前を歩くと
 降りてすぐの駅周辺が
 活気が足りない感じだったん
  ですね。
 自分もひとつふるさとの
 役に立てないかな・・と。
 そう思ったのが店を始めた
  きっかけなんです、ここで。」

 

「なによりもまず・・食べて幸せな気持ちになっていただければ(笑)
 ちょっと感動してもらええれば、もっと嬉しいですけど。」

注文を受けてから仕上げるこだわりのミルフィーユ。
その評判は口コミで広がり、県外からのファンも増え始めています。

うちのミルフィーユの特徴はシュークリームのように手で持って
気軽に食べられるところ、と、笑う林さん。

「今までのミルフィーユってお皿の上にのせて
 フォークでちょびちょびっと食べるのが主流だったんですね。
 シュークリームみたいにパクッとそのまま食べられるように・・
 気軽に楽しく、ですね、ミルフィーユ食べてもらえるように。
 公園のベンチに座ってなんか食べてもらえれば最高ですね。」

もちろん製法も箱バターを使うところから注文をうけてから作り
作り置きをしないことなど味にこころを込めたこだわりを実践する林さん。

「まだ、店を始めたばかり101229_3.jpg
 ですから・・
 今後、ちょっとずつでも
 地道に確実に
 広げて行きたいですね。
 まず、地元の方に
 愛される店になりたいです。
 
 その先は長岡から
 全国にこのミルフィーユ
 発信して行ければなあ、
 なんて思っています。」

気軽に食べられる出来たてのミルフィーユ。    
長岡に新しい名物が誕生しました。  


次回のワンダフル新潟人は放送日を移動し
  1月4日(火)21時58分からの放送となります。

2011年1月10日

根津茂樹さん(1/10)

根津茂樹さん (十日町市・呉服、和装小物販売)

十日町市にある和装小物の店
こまもんやコモド ・・コモドとはイタリア語で
=気軽に=というような意味の言葉。
     110110_1.jpg
髪飾りから風呂敷、雪下駄まで
着物の産地ならではの
和装小物商品を揃える
この店のオーナーが
根津茂樹さんです。   
    
「東京にいた時はコンピューター関連の仕事を・・
 ただ、自分自身
 機械と向き合う仕事は
 向いていないかな、と。
 あと、地元に帰って来いという親の希望もありまして
 本当は1年くらい気分転換で帰ってみようかな、くらいの
 軽い気持ちで戻ってきたんですどね(笑)」

気づいてみたらこんな店を出してしまいました・・と
照れくさそうに笑う根津さん。

先代からの着物店を引き継ぐ形になった根津さんは
=和文化の魅力を多くの人に伝えたい=と
10年前にこの和装小物店をオープンしました。

「私自身、ファッションが元々好きと言うのも在りますが
 やっぱり、絹の織物というのは 世界一だと思うんですね。
 民族衣装としても人間が 身につけるものとしても。
 そういったものに関われること自体が嬉しかったし・・・。」

110110_2.jpg着物の街として知られる十日町は、生産量で言えば国内中堅どころなのですが、
ピーク時には年間600億あった出荷額も今は40億強という状況だと言います。

そんな和装文化の衰退のなか、根津さんは
これではいけないと思ったと語ります。

「着物は高いし着るのが面倒だというふうに
 多くの方が考えられていると思うんですね・・
 それなら、まず、入りやすい店を作ろう、と。
 和の小物、そういうものから皆さんが
 和に親しんで頂ければな、と思いまして。
 =コモド=という店名も其処から(微笑)」
 
誰にでも入りやすい和のお洒落・・・
それがまず第一の目標だったんです、と根津さん。

「最初は・・商品揃えるとき若い人向けにしたんです。
 着物文化自体をカジュアルにして、着物全般というか
 和の商品全体を扱っている事をアピールしたかったんですが・・
 でも、実際店を始めてみたら若い人もご年配の方も
 丁度半々くらいになっちゃいましたねえ(微笑)」

課題は110110_3.jpg今後も
色々出てくるだろうけれど
もう一度十日町の着物が、
最盛を誇った頃のような活気を取り戻せる一端になれば・・

なかなか難しい事ではありますが、それも大きな目標でしょうか、と落ち着いた表情で語る根津さん。

「なにより、十日町の着物は
 まだ一点一点が
 多くの人の手を通して作られておりますからね。
 そういうたくさんの人が関わってようやく
 一枚の着物が出来上がるということもね・・
 感じて戴けるきっかけにこの店がなれれば、と(微笑)。」

伝統の着物の街、十日町ならではの和装小物。
それを商う誠実で実直な商売人の手が
着物の文化を再び身近な存在に引き寄せています。

 

2011年2月 7日

近 めぐみさん(2/7)

近 めぐみさん (村上市・雑貨店経営)

村上市の観光名所を背景に
地元の女の子達がモデルを努めるカレンダー
・・・「村上こまち娘」。  

このカレンダーを企画したのが
市内で雑貨店を営む近めぐみさんです。

「村上はけっこう学生とか110207_1.jpg
  いっぱいいるのに
 ちょっとそういうもの
  (おしゃれとかファッション)に
 目が向いてないように
  思ったんですね。
 もっと=若い子のちから=
  っていうか・・・
 出来ることがあるんじゃない
  かと思って。」

中学、高校生の女の子と村上の風景をコラボした
このカレンダー=村上こまち娘=。
2011年版は発売と同時にほぼ完売。 
早くも、2012年版の制作に向けた準備が始まっています。

「村上って・・誰でも知ってる風景のほかにも
 地元の人間も案外知らない景色がまだあるんです。
 其れを今回は試しに出してみようかな、と(笑)。」

110207_2.jpg地方でもやる気と素材(女の子にしろ洋服にしろ)があれば
こういう事が出来る・・これを見て他の場所でも
ああ、=ここでも何か出来るかなあ=って思ってくれるきっかけのアイテム・・
このカレンダーはそういうものになってくれればいいと思うんです・・・

近さんはやわらかく笑いながら今後を語ります。

「街の懐かしいところ、新しい発見、
 地元じゃ慣れすぎて気づけないような部分?
 あと、女の子たちもいかにも女の子って言うのだけじゃなく
 今の子にしか無い今しか撮れない日常の瞬間?
 そういうのを切り取れたらいいなあ、と思います。」

「他の地域でも同じような企画をして
 お互いに交換し合ったりも出来るかもしれないし
 逆に他の地域の違う人たちがこのカレンダー見て
 感じたり思ったりする視点もすごく知りたい・・
 参考にして取り入れて行きたいですね。」

村上の街はふるい町並みの残る110207_3.jpg
歴史のある街だけど
結構新しいものにチャレンジするひとも多いと思う・・
その融合さみたいなのがすごく魅力なんですよね・・と、近さん。

「今年度版は12ヶ月で12人、
  ひと月一人の女の子。
 でも、女の子中心だけど
  ちょっぴり男の子も
  出せたらなあ・・と(笑)。
 まず、細く長くでも続けて行きたいし行けたらなあと思います。」

新潟には、村上には面白いカレンダーがあるよね、って
認知されるくらいまでやれたら面白いなあ・・

最期にそう言って笑った近さん。

地域の魅力を新しいスタイルで...
近さんの活動はこれからも続きます。
 

2011年2月14日

伊藤ミヨコさん(2/14)

伊藤ミヨコさん (弥彦村・分水堂菓子輔店主店主)

弥彦村特産の枝豆「弥彦むすめ」の餡を
白い生地に包んで焼いた「パンダ焼き」。

地元菓子店「分水堂菓子舗」の店主
伊藤ミヨコさんがたった一人で作っています。

「最初は弥彦村のね、110214_1.jpg
  宣伝のために作って
  みたんだね。
 白い生地と弥彦むすめの
  枝豆とが合うんだわ(笑)。
 色合いも、またいい味と
  香りがして・・・」

この地で長く菓子店を営んできた伊藤さん。
弥彦村の活性化に一助に、と商工会からの依頼もあり
白い生地に緑の枝豆、弥彦むすめを餡にした
新しいパンダ焼きを独力で開発しました・・・

もちもちとした食感が評判の「パンダ焼き」
去年開催された「全国物産展おやつ部門」で
見事グランプリに輝いています。

110214_2.jpg 「おかあさん、旨いよ、
  美味しいよ・・ってねえ。
 言ってもらうのがなにより
  嬉しいんだわね。
 いっぺ(沢山)買ってもらうと
  もっと嬉しくて
 おまけしてあげたいんだけど
  ねえ・・
 とにかく今沢山のお客さんが
  来てくれるんで
 なかなかそうも出来なくて
  悪い気もしてね(笑)」

菊祭りなど弥彦の大きなイベントの時には
外国人のお客さんのリピーターって言うのかね
来てくれたりもして・・何か嬉しいねえ・・・

お客さんに喜んでもらえるように
110214_3.jpg味を落とさないように頑張って行きたいねえ・・・

伊藤さんは満面の笑みで語りました。

「あと、何年出来るかは、
  まあ、わかんないけども。
 まじ、健康第一、
  そして笑顔でね。
 お客さんに好いて
  もらえるように毎日毎日、
 頑張って焼いていこうと思うわねえ。

 パンダ焼き有名になれば、弥彦に来る人も増える・・
 神社お参りしてあっちこっちの店に行って・・・
 そうなってくれるのが何よりなんですよ、本当に。」

「毎日明るく頑張って、大勢の人に来てほしいねえ。
 ああ、弥彦行ったら弥彦むすめの枝豆食べられる
 パンダ焼き食べられる、と、ね。(笑)
 言ってくれるお客さんが大勢来て下されば・・・
 私、毎日喜んでますね、ええ。(笑)」

闊達な伊藤さんの暖かい手とこころが産む
弥彦村の新たな名物が
古い門前町に新たな賑わいをもたらしています。

 

2011年2月28日

小林政敏さん(2/28)

小林政敏さん (長岡市 栃尾のあぶらげ製造)

長岡市栃尾地区の名産品「栃尾のあぶらげ」を製造する小林総本舗。
この伝統の味を先代である父から受け継いで守り続けてきたのが
小林政敏さんです。110228_1.jpg

「やっぱり父の影響は
  大きかったですね。
  それとやっぱり
  地元の名産なんで、
  其れに携われればと...

  栃尾のあぶらげのといえば、
  やっぱりその大きさと厚さが
  特長で、
  あとは揚げてる油なんかも、
  なたね油を使ってたりして、
  やっぱり香りがいいですし、焼いた時もすごくいい。(笑)」

去年発足した「栃尾・食と農の連携プロジェクト会議(あぶらげプロジェクト)」の
会長に就任した小林さん。
地元の農家や飲食店などの協力を仰ぎ、
地元産の大豆を使った「オール栃尾」のあぶらげづくりや、
あぶらげを使った新しいメニューの開発など、
地域の活性化を目指した取組にも力を注いでいます。

110228_2.jpg「あぶらげ自体の値段が
  大きい割に安いかなと、
  ずっと前から思っていたん
  ですけど...
  大豆も作ってみたいなとも
  思っていたんですね。
  自分では作れないんで...
  で、あぶらげプロジェクト発足
  の話しを聞いて、
  あっ...これだと思って
  参加しました。
  栃尾のあぶらげをもっと有名にしたいんですよね。
  出張に行って、全国のいろんな物産展に出させてもらって...
  栃尾のあぶらげをまだ知らない人も多いんですよ。
  それで=オール栃尾=のあぶらげづくりが出来れば、
  其のブランド力をもっと高められるかなって...

  それに、栃尾は田んぼも畑もやる人が少なくなって、
  土地も大豆をつくれる場所もあるのに...
  逆にそういうところに=大豆買います=って言えば、
  大豆つくる人も出てくるかなって思って...
  で、あぶらげを売ることによって、大豆をつくる人も潤って、
  栃尾の活性化もできれば...という思いもあって」

プロジェクトはまだまだ110228_3.jpg
スタートしたばかり、
これからが正念場だと
小林さんは言います。

「油揚げ=といえば
  栃尾でしょと言われたい...
  全国いろんなところに
  =油揚げ=変わったの
  結構ありますんで...
  でも、その中でも一番は
  栃尾でしょって...
  日本全国の人に栃尾のあぶらげを知ってもらうことが夢ですね。」

地元の名産で地域の活性化を...
小林さんの奮闘はこれからも続きます。

 

2011年3月 7日

井口彰子さん(3/7)

井口彰子さん 十日町市 裂織デザイナー

着物などを細かく裂いて、再び織り、新たな生地へと再生する「裂織」(さきおり)。
その「裂織」を使って、帯や雑貨などの作品作りを行なっているのが、
雪と着物の町「十日町市」で生まれ育った井口彰子さんです。

「=着物=って敷居が高い110307_1.jpg
  とかってイメージが強くて、
 私たちぐらいの世代は
  なかなか手にとらないん
  ですよ。
 その中で=私が欲しいもの=
  を作りたいと思って
  始めたんですけど...

 裂織って
  横の縞だけの模様が
  結構一般的なんですけど、
 柄を織り込んだものとか、
  鮮やかな色味のものとか・・・
 私なりの作品づくりを心掛けていて・・・
 そういうのは全国的にも珍しいって良く言われます。

 手にとってもらって初めて『それ、実は着物なんですよ』って言うと
 『えっこれ着物なんだ?』ってなるんで...
 そこから『着物って素敵なんだ』とか『こんな柄も作れるんだ』って、
 そういうところから少しでも着物の世界に興味をもってもらえればと・・・。」

110307_2.jpg東京のファッション業界での
経験を生かした
独自の作品作りを行なう井口さん。
バッグやかんざし、
ヘッドドレスなどの
華やかな作品の数々は
若い世代から注目を受けています。

=着物=って色んな要素が
すっごいぎっしり1枚に
詰まっているんですよ。
どんな子でも好きになる要素が...
そういうのを気付いてもらえたら...

=裂織=って普段着で使ってもらうものだし、
どんな用途にも使えるのが魅力で・・・
デザインや柄に「しばり」がないので、
和と洋の両方で使えるものを作って・・・
日本人はもちろん外国の方にも興味を持って欲しいと思ってます。

最後に『今後の目標は?』と問いかけたスタッフに、
穏やかな笑顔で話してくれました。110307_3.jpg

「県外の人に会った時とか
 『十日町から来ました』って
 言うと、
 『ああ、着物の町十日町ね』
 ってよく言われるんですが、
 そういう時改めて、
 十日町が着物で育ってきた
 歴史は全国に知れ渡って
 いるんだなと凄く感じて・・・
 それは先輩達が
 積み重ねてきたものなんですけど・・・
 今自分が実際に着物の世界に居て、
 その歴史を次の世代へ引き継がなきゃなという思いはあります。

 私自身は=職人=って言うとおこがましいかもしれませんが、
 やっぱり職人でいたいですね。=裂織=という織りが好きなんで、
 沢山の人にその魅力を知ってもらいたいですね。」

着物の町十日町に、
新しい"和の文化"が芽吹いています。

2011年3月14日

早福百合さん(3/14放送分)

早福百合さん(弥彦村 和カフェ「社彩庵」店主)  地震の為、放送されませんでした。

県内でも有数の観光地として知られる弥彦村。
この温泉街にある名物カフェ「社彩庵」の店主が早福百合さんです。
母親が営んでいた土産物店を改装し、5年前にこの店をオープンしました。

「大阪の専門学校を出て、110314_1.jpg
  京都で食べ歩きをして、
  1年ちょっと修行をして...
 でも殆ど食べ歩き(笑)...
  そこで原材料を探して
  準備をしてました。

 小さい時に
  お土産屋手伝ってて...
  で...電車が1時間に
 1本ぐらいしかなくて...
 観光でいらっしゃった方に
 "弥彦には休む所が無い"って
 言われてて...
 それでこの店を出そうと...。
 =弥彦にゆったり休める場所をつくりたい=と思ったんですよね。

110314_2.jpg美味しい...と
言ってもらえるのは
もちろん嬉しいんですけど、
やっぱりここに来て
"落ち着ける"とか
"ゆったり出来る"とか、
そういうイメージを持って
帰っていただけると
この店をやった甲斐があるなあと...。」

店の改装を手掛けたのは、
十日町市で古民家再生に力を注ぐドイツ人建築家"カール・ベンクスさん"。
今まで弥彦にはなかった独特な"和の空間"と
素材にこだわった手づくりの和菓子が評判になり、
幅広い年齢層から愛される店になりました。

「母がこの建物を残したいと...で、110314_3.jpg
 ちょうどテレビでカールさんの
 建物を紹介していて...
 あっこれだと(笑)...

 私が京都に行っていたと
 いうのもあるんだと
 思うんですけど、
 弥彦の落ち着きって
 京都とどことなく
 似ているなって...
 神社の目の前っていうのも
 あって...で、京都の風情とかを
 こっちに持ってきても受け入れられるんじゃないかなと...。
 色々な要素を考えたら...このスタイルに落ち着いたんですよね。

 5年やってて、今では若い子たちも沢山来てくれるようになったし、
 昔から弥彦は=年配の方が多い=ってイメージがあったけど、
 それが変わってきてくれて、まわりも変わってきて...
 ちょっとは役に立ってるのかなとは思っています。」

110314_4.jpgそう言いながら、気さくな笑顔を見せてくれた早福さん。
最後にふるさと弥彦への思いを
語ってくれました。

「弥彦から離れたくは
 ないですね...
 生まれた時からずっといて...
 この場所で、
 この建物だから...
 ずっとやっていきたいし...

 私の店が、弥彦に来てくれるきっかけになってくれれば...
 弥彦の賑わいに一役買えれば...
 弥彦が活気付けばいいなと...本当それだけですね。」

人々の心を癒す"和の空間"が、
弥彦の魅力アップに一役買っています。

 

2011年3月21日

東 賢一郎さん(3/21放送分)

東 賢一郎さん(長岡市~旧三島町~ のこぎり職人) 地震の為、放送されませんでした。

およそ160年の歴史を誇る   
長岡市三島地区の手引きのこぎり。    
    
東賢一郎さんは110321_1.jpg
この「三島ののこぎり」作りを
継承するただ一人の職人です。   
    
 「昔は、この、のこぎり作りが
 産業の米(中心)だったんね。
 あらゆるものに線ひいて
 切るって仕事があった。

 ただ、替え刃ののこぎりが
 出てきてね。
 今、高い手作りののこぎりが廃れてしまった。」

其れでも職を変えて一年生になんのは嫌だったからね・・

そう言って笑う東さんは職人の貌(かお)。

のこぎりの研ぎをやり在庫を処理したりして
しのぎながら頑張っているうちに・・

「最期は、俺一人になってしまったね。
 まあ、良い事か悪い事か判らんけども
 そこで需要と供給のバランスってえのが・・
 取れてまた幾分喰えるようになったというか(笑)」

110321_2.jpg値段は今の替え刃のこぎりと競争だ、と言いながら
東さんは三島ののこぎりを熱く語ります。

「切れ味はまあ、
 最近の替え刃とも
 変わらんさ。
 ただ、使いやすさがまったく
 違うんだね。
 金(かね)削って
 本(もと)厚くして
 中を剥(す)いてあって・・
 昔からののこぎりはね。」

スムーズな切れ味を生みだすその繊細な技は多くの人から評価され、   
大手百貨店を始め全国から注文が相次いでいます。

「褒め言葉は、ただ、=切れる=ってね。
 言われると嬉しいね・・刃物は。
 後は、講釈(理屈)はいらんわね。
 
 幾ら安くても切れねば詐欺と言われる。
 幾ら高くても切れれば名人って言われるんだが。
 
 刃物の一番おっかねえとこは・・そこなんだね。」

そう職人の意地をや心構えを語りつつも
東さんは新たな製品の開発も考えています。

「(伝統を)守るとこは守る・・110321_3.jpg
 でも、新しい製品でも
 勝負したいねえ。
 今までみたいに刃と
 柄を溶接しないで
 手間かけずに
 安く切れ味のいい・・

 のこぎりの売上は
 今、年間100億くらい
 あるんだと・・
 替え刃のやつに
 負けないやつを造りたいね。
 切れ味でも使いやすさでも
 値段でも・・・」

「其れが夢だね・・夢がなくちゃ・・
 仕事やる気も無くなってしまうがね(笑)

 そのためには造るだけでなくて
 商人にもならんばならねえわね。
 頭も下げないと駄目だわ。

 それでも三島ののこぎり屋の親爺が・・
 もってきたもんは間違いねえ、と言われるように。
 何年掛かるかは判んないけども・・ね。」

この地に伝わるものづくりの伝統を   
今日も守り続ける職人が
そこに・・・確かに生きていました。

※放送予定でした3月21日分のワンダフル新潟人は
報道特別編成のため休止とさせて戴きました。
NTTDOCOMOの携帯アーカイブではご覧いただけます。

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