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伝統工芸・伝承 アーカイブ

2006年12月18日

川村将さん(12/18)

川村 将さん (川村庚堂漆器店 3代目店主)

2代目の両親と共に、村上の伝統工芸品「村上木彫堆朱」を手がける川村 将さん。
県内の伝統技術の若手後継者を集め「工継舎」を結成して展示会を行うなど村上木彫堆朱(ついしゅ)のPRに積極的に努める傍ら、伝統工芸職人としての技を磨く毎日です。1

「親父と並んで仕事してるとやっぱり意識しますね(笑)。つい、あれを盗もう、とか思って・・」

母は彫師、父は塗師・・優しい両親であると同時に職人である二人を見て育った川村さん。
現在は父と同じ塗師として、同じ工房でその技を磨き、競っています。

「村上といえば鮭・・と皆さん言います。それを、村上といったら堆朱、となるようにもっと多くの方に堆朱の魅力や何かを伝えていきたいと、思うんですよ・・・」

伝統的な木彫堆朱を継承しつつ、指輪やピアスなど若者向けの作品造りにも取り組み新しい時代のニーズをも模索しつつ・・川村さんの静かで充実した製作の日々はこれからも続きます。2_4

2007年2月12日

山上あづささん(2/12)

山上あづさ さん (村上市「山上染物店」14代目)

 北限の茶処として知られる村上。そのお茶を使った工芸をご存知でしょうか?20070212_1
 「茶染め」と呼ばれる伝統ある染色品です。
 「山上染物店」は350年もの長きにわたりその伝統を守ってきた老舗。
 その店舗は国の登録有形文化財に指定されています。
 14代目のあずささんは自分なりの「茶染め」をこう語ります。

 「北限の茶処っていうと・・なんとなく情緒的語感がありますよね。
 そういった感じを茶染めの中に出せないかな~とか思いますよ。」
 
 デザインから型作り、そして染めまでひとりでこなす茶染め。
 あずささんの作品はなんとも言えない「渋さ」のなかに
 どこかモダンを感じさせる風合があるような気がします。

 「村上にはもうたくさん名物や歴史的な工芸がありますけど、
  その中でもやっぱり『茶染め』って言われるようになったら・・いいなあ!と(笑)。」

 そう言ってちょっとはにかんだ笑顔がとても印象的でした。
 あずささん・・これからも頑張ってください。
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2007年5月 7日

足立照久さん(5/7)

足立照久さん (曲物職人 足立茂久商店11代目)

杉などの木の板を曲げ撓め器にする・・ 20070507_1
蒸籠(せいろ)やわっぱ等の「曲物」。    
その曲物を江戸時代から作り続けているのが足立茂久商店です。    

足立照久さんは、この店の11代目。    
10代目であるお父さんの一久さんと共に    
伝統の技を守り続けています。    

「ものを造るのは好きでしたし・・
あと、僕くらいしかやる人間いないんじゃないかな~とか思って。」

伝統を守り日々製作に励む傍ら
日本全国のイベントに参加、製作実演を行ったり
新しい形の曲物の創作に挑んだり・・と
照久さんのフィールドは大きく広がります。
「新潟の寺泊に来てくれればこんなに凄い器がある。
日本全国の人にもっと知ってほしいです。
だから・・頑張ります(笑)。」   

寺泊に生まれた新しい伝統は、今、全国に向けて。
照久さんの製作と修行の日々はまだまだ続きます。    20070507_2

2007年8月13日

西脇謙吾さん(8/13)

西脇謙吾さん (「マルニ」オリジナルジーンズ製造・販売)
  20070813_1.jpg
妙高市・・・ジーンズにミシンをかける一人の男性。
西脇謙吾さんはオリジナルブランド「マルニジーンズ」を    
製造、販売しているジーンズショップ経営者です。    
昭和47年、先代の父、西脇正信さんが
ジーンズショップ「マルニ」を上越市に開店、
二代目となる謙吾さんは地元妙高市ならではの
自然、環境と和のテイストを生かしたジーンズを作り上げました。
 
「まず最初にアメリカに行きましたね・・ジーンズの本場を見に。
そこで思ったんです・・大量生産じゃなく少量、手作りでやらなきゃ
伝わらないものがあるんじゃないか?って・・。」
 
オリジナルジーンズ制作は夢であり父の遺言。
ふるさとの大自然の中で穿いてもらえるベーシックなジーンズを・・
そう考える謙吾さんのジーンズづくりはあくまで手作業。
ヴィンテージジーンズと同じ力織機で作った生地にこだわり
素材、工程を突き詰めることで、より特徴的に個性的に・・
進化を続けながらのジーンズ製作の日々が続きます。
 
「日本の織物文化は世界に誇れるものなんです。
たとえば藍染め・・そういう日本をジーンズに取り込んで
新しいスタンダードを目指してやってきましたね・・

私たちはふるさと妙高の自然に抱かれて生きてると思います・・
そんなふるさとの色、趣向、自然そのものを常に取り込んで
ジーンズを作っていきたいですね、これからも。」
     、    
ふるさとの息吹と和のテイストを活かした独特な風合いのジーンズ    
全国の百貨店でも販売され、確実にファンも増え続けています
直販することで得られる愛用者の思いや好み・・
生産者の顔の見えるジーンズを売るというこだわり。
それが一番の支えかな・・と語る謙吾さん。
 
ラベルに刻まれた妙高山のエンブレムは
謙吾さんの造る喜びと誇りの思いの象徴のように
堂々とマルニジーンズを飾り続けていくことでしょう。
このジーンズを、そしてジーンズ造りを
地域の次世代につなげたいという謙吾さんの思いと共に・・。
  20070813_2.jpg
マルニのジーンズがいつの日か
ふるさと新潟・妙高市のシンボルのひとつになる・・
そんな日が来る事を夢見て。
西脇謙吾さんのジーンズはこれからも進化し続けることでしょう。

2007年8月20日

春花さん(8/20)

春花さん (古町芸妓)
 
新潟市古町、江戸時代からの港町である新潟の花街です。 20070820_1.jpg
古くからの料亭が立ち並ぶ界隈はいまだ花街文化の香りを残し
かつては祇園、新橋と並ぶ「日本三大花街」とも称されました。
    
春花さんはその伝統を受け継ぐ古町芸妓。
最盛期には400人を超すといわれた古町芸妓の
芸と粋を受け継ぎ宴席を華やかに彩ります。    
    
「新潟にもこういう世界があったんだ~って
 最初思いました・・で憧れて、やってみたいな、と思って。」
 
高校卒業後、この世界に飛び込んだ春花さんは
こぼれるような笑顔をカメラに向けながら語ってくれました。
 
「だから、伝統とかも最初はあまり意識しなかったんです。
 でも、今は・・嬉しい重さみたいなものも感じますね。」    
    
日本舞踊市山流に裏打ちされた質の高い芸で知られる古町芸妓。
最近は、日本全国のイベントや海外でも、その艶やかな姿を披露しています。
そんな会場でお客さんから、「じゃあ、新潟に行ってみようかな・・」と
掛けられた言葉が、とても嬉しかった・・と、はにかむ春花さん。
 
昔から芸を磨いてきたお姉さんたちがあって
今、新潟芸妓の伝統がここに残っている・・
そのことを強く意識するようになってから
やっぱり意識が変わっていったかも・・とも、語ります。
 
「芸を見て戴くだけじゃなく、いかにお座敷を心地よくするか。
 それが芸妓のつとめだと思うようになりました・・・。
 伝統文化と・・=おもてなしの心=・・ですね。」
 
「これからも古町芸妓の灯を絶やさぬように。
 歴史を刻んでいくことが出来るように。
 目の前の課題とか夢をかなえたい。
 いまはとにかく芸が上手になることですけど・・
 しっかり頑張ってみようと思っています。」    
    
凛とした表情で語る春花さんの眼差しにうかぶ
古町芸妓の粋と気概・・それを支える「もてなしの心」。   
その美しさが、これからも永遠に輝き続けることを。
柳都(りゅうと)新潟が持つ深く優しい佇まいそのままに・・・。
 
♪新潟恋しや白山さまの・・
     松が見えますほのぼのと・・ 

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2007年8月27日

松井治二さん(8/27)

松井治二さん (長岡市山古志・闘牛勢子)
 
山古志に古くから伝わる「牛の角つき」は
二頭の牛が向き合い力の限り戦う闘牛。
古くは滝沢馬琴の南総里見八犬伝にも記述された
1000年の伝統を誇る民族行事で  
力強く牛がぶつかりあう様子は、勇壮無比の一大奇観 です。    20070827_1.jpg
    
その牛を操る勢子の第一人者が松井治ニさん。    
息子の富栄さんに技を伝えつつ 伝統を守り続けて来ました。    
    
「成ろうと思って勢子になったんじゃあないからね。
 自然にさ、産まれたときから牛と一緒で育って・・
 自然に3代150年、続いたんかね。」   
    
国の特別無形文化財にも指定されたこの「牛の角つき」も
中越地震による集落崩壊の危機に
あわや絶えかけそうにもなりました。
しかし松井さんたちは
自分たちの仮説住宅よりも仮説の牛小屋を・・と、
山古志のすべての牛を救うため奔走
今年、ふるさと山古志での角つきを復活させたのでした。
 
「この、角つきが・・地震のとき、そのあとも
自分たちを支えてくれたんかも知れないねえ。
そして、今、前のように=角つき=が出来る。
あたりまえの事があたりまえに出来る。
こんなに幸せなことはないですよ。」
 
楽しげにまた感慨深く語る松井さん・・
復興の槌音高い山古志で、
勢子の後を継ぐ息子さんとともに
伝統を静かに守り続けます。
 
「これから?・・また牛といっしょにうちへ戻って・・山へ戻って・・
 山ん中で一緒に暮らしながら・・
 応援してくれたひとたちをこの角つきで元気づけてやりたいねえ。
 ここまで1000年なくならないで続いてきたんだ。
 皆の気持ちがそうさせたんだね・・・
 だから、この先も1000年続くだろうと・・思いますよ。」  
 
角つきの勢子の極意は、あくまで自然のうちに、
力を抜かず、その瞬間を精一杯牛とともに戦うこと。 20070827_2.jpg
どんな苦難にもけしてくじけなかった
山古志の人々の姿を彷彿させる躍動感そのままに・・。
 
むせ返るほどの夏の緑につつまれた山古志に
牛の角つきに興じる人たちの歓声が響きわたります。

2007年9月17日

高橋宏明さん(9/17)

高橋宏明さん (三条市・手づくり家具職人)
 
三条市。    
工房の片隅で椅子の製作を行なっている一人の男性。    
高橋宏明さんは「手づくり家具作家」。    
自然素材にこだわった、その作品の数々は    
全国からも注目をあびています。    
     20070917_2.jpg
「最初、木を扱うことがやりたくて・・
 飛騨高山の木工学校へ進んだですが
 そこでたまたま手づくり家具と出合ってたんです。」   
    
宏明さんのお父さんはカンナづくり職人
カンナの切れ味は刃ではなくその船(木工部)の部分で決まる・・
木工の手作業のなかでも一番難しい部類に入るのが
カンナづくりなのだそうです。カンナをつくる親父の姿を見て育った自分が
木工の道を目指したのはある意味必然だっtかな・・・
静かで奥行きの在る表情で語る宏明さん。
20070917_1.jpg   
「親父がカンナづくりですからね・・
それを誰より上手く使う仕事がしたかったのはありますね。
あと、手づくりの家具職人は自分の道具も自作するんですよ。
だから、今の仕事には凄く親父の影響ありますね。」
 
どんなお父さんですか・・と聴いてみると
「職人ですね、仕事が好きで好きで仕方ない感じ(笑)」
と、語る宏明さんの表情はとても優しげでした。
 
「木は生きていて常に変化しています。
 だから動いたなら動いたなり、変わったなら換わったなりに
 どうにかなるように造るのが手づくり家具だと思います。
 地元の木材を吟味して・・いわば地産地消でね
 それに三条だから鉄が入ってもガラスが入ってもいい。
 物として価値のある長く使えるものを造りたいですね。
 それにね、地元の材料で作った家具はね・・
 その風土気候にぴったり合っていい感じに歳をとるんです・・本当に。」
 
製品に付随したパーツづくりが大多数だった三条の木工に
家具としての製品づくりを持ち込んだのは自分じゃないかな・・
なんて自負は少しありますよ・・と含羞を含みつつも宏明さん。
それは言ってみれば親子二代の職人の意気・・
三条というものづくりの街ならではの技術と伝統は、
今新しい形での成果を生み出そうとしています。
  20070917_3.jpg
後進の育成をも含め宏明さんの手づくり家具造りは
これからより進化し成熟し続け・・その優しい肌合いの製品は
全国いたるところでこれからも愛されていくことでしょう。

2007年10月29日

広井一恵さん(10/29)

広井一恵(かずよし)さん (小千谷市 広井養鯉場)
  20071029_1.jpg
中越地方の山間部に位地する小千谷市、
町の特産品であり伝統でもある錦鯉の育成を
85年以上も続けてきた広井養鯉場。    
     
 その9代目が、広井一恵(かずよし)さん、     
 父、国安(くにやす)さんと共に、    
 小千谷の伝統産業を守り続けてきました。    
     
「小さい頃から親父の背中見て育ったからね。
もう、錦鯉やるのは当然だと思ってたし・・長男だしね。」
 
淡々と語る一恵さん、伝統に対しての気負いも衒いも無い・・
この仕事を選んだのも続けるのもあくまで自然体・・
そこにはこの地に根付いて生きている生産者の意気地が見え隠れします。
この小千谷の地も専念の中越地震では大きな被害を受けました。
しかし一恵さんたちの錦鯉作りはその被災のなかでもたくましく生き続けたのです。
 
「・・生産面積も半分になったし、施設も直さなきゃなんなかった。
でも、俺も親父も止める気はなかったね・・かえって続けなきゃと思ったよ。
で、地震のあと、特に感じるんだよね・・原産地ってこともあってかな。
いろんなところからお客さんが来るたびに、俺等、なんというか
伝統を守ってるんだなあ・・って、親父の前のその前からず~っと・・ね。(笑)」
    20071029_2.jpg  
 親子二代の錦鯉作りにかける思い・・その伝統への誇りは
震災の苦難を乗り越え、今年行なわれた「全国若鯉品評会」で    
 最高位の国魚賞をはじめ数々の賞を受賞しました。
 
「賞もらう鯉は確かにいい鯉なんだよね。
でも、いい鯉ってのは・・難しいんだね。
それ以外にもいっぱい、いい鯉あるからさ。
うん、難しいんだよ・・(笑)。」
 
小千谷の山懐に抱かれた自然のなか・・
長い歳月変わらずに 続けられてきた錦鯉作り。
その伝統について父と飲みながら語る夜もよくあるよ・・と
少しはにかんだ笑顔で語る一恵さん。 
日本だけでなく世界中の人に錦鯉の美しさを知ってもらう、
それがこの先の夢かなあ・・とも。
  20071029_3.jpg
  小千谷の自然のなか泳ぐ宝石錦鯉は
これからも伝統を守る人々の手で作り育てられ続けていくことでしょう。  

2007年11月20日

藤岡あゆみさん(11/19)

藤岡あゆみさん 阿賀野市(旧水原)越後亀紺屋藤岡染工場・染色職人。
  20071119_1.jpg    
阿賀野市にある「越後亀紺屋藤岡染工場」。   
創業260年を誇る老舗・・・藤岡あゆみさんはこの店の若き職人。   
水原の地で伝統の技を守り継いでいます。
   
「大学の産業デザイン学科で学んだ平面構成が
とても、面白くて・・勉強って言うより=好きなこと=だったかも・・。
だから家業をつぐんだ!って強く思ってはいなかったです。
興味のある方向に進んでいったら此処まで来ちゃったのかなあ。」
 
きびきびと働く職人姿もまだ初々しいあゆみさん。
8代目であるお父さん、跡継ぎのお兄さんと共に
日々染物の制作に勤しむ日々・・・
職人としてのお父さんは?との質問に
・・お兄ちゃんには厳しいけど、私には甘いかな(笑)・・と
屈託無く応えるあたりは如何にも今時の若いお嬢さん。
  20071119_2.jpg
「田舎の染物屋さんは何でも出来ないと駄目。
そうそう他所に出す、頼むって出来なかったから・・・
だからオールラウンドな仕事が出来なきゃ・・だったんですね。」
 
「今は難しいものを作れば作るだけ・・
出来上がりを見るときがとても楽しいです。
ただ、体がまだ慣れていないのかな。
染めるときの体の動きって、使ったことのない筋肉使うんですよ。
それが、一番大変・・かなあ(笑)。」
   
あゆみさんの現在の制作テーマは「新しい文化の創造」。   
彼女の作るオリジナリティあふれる製品の数々は   
伝統の染物に新たな魅力を生み出しています。   
   
「今は半纏の生地でカバンやインテリア・グッズを作っています。
使って戴く方に=染物って凄く身近なものなんだね=って
ほんとうに身近なものなんだってことを感じて欲しいな・・と。
 
自分が納得できる色を出すのって、気候・温度・湿度で違うし・・
凄く難しいのは確かなんです・・でも、やっぱり、=好き=だから・・(笑)。」   
    20071119_3.jpg
あゆみさんの情熱と若い感性は
支えてくれるお父さんお兄さんの職人魂に裏打ちされて
阿賀野市の染物文化に 新しい1ページを築こうとしています。   

2007年11月26日

番場賢介さん、番場賢さん(11/26)

番場賢介さん、番場賢さん (伝統工芸士 加茂 番場たんす店)
20071126_1.jpg                         
日本でも屈指の桐たんすの産地、
加茂市にある「番場たんす店」は   
大正15年創業という歴史をもつ老舗・・   
その伝統の技を守りつづけているのが、   
番場賢介さんと賢さん   
親子で伝統工芸士の称号を持つ名工です。   
   
「職人としての父・・ですか。」
 
私たちの質問に隣に座ったお父さんを見て
一瞬恥ずかしそうな表情を見せながら賢さん。
 
「妥協しない人です。・・どうしてここまでと思うくらい。
 素材から全て自分の目が届かないと駄目な人。」
 
と、応えてくれました・・何代も続いた職人の家ならではの
親子像が一瞬垣間見えました。
 
「家業でしたから・・半分は家を継ぐと思っていました・・。
 けど何より=ものづくり=が好きだったから・・。
 形のない素材から完成品を作り上げたときの
 何ともいえない喜びは、造る者でなきゃわかりませんよ。」
20071126_2.jpg  
=ものづくり=への思いを語る賢さんの傍らで
眼を細めながらも頷く父、賢介さん・・
地域の産業発展のために後進の育成にも力を注ぎ   
賢さんをはじめ、二人の伝統工芸士を育て上げました。   
   
「バブルの頃にねえ・・大手だけが儲かって大きくなって・・
 だけど作り手の中小は滅びかけたですよ・・ここ(加茂)もね。
 =ものづくり=がなくなったらどうするんです?
 売るだけ、流すだけでいいのか・・・と思ったですね。
 だからこそ少ない作り手をなんとか増やしていこうと思った。
 それだけです・・それが大事なんで。」
 
地道に自分なりの=ものづくり=を懸命に。
本物をそして良いものを造らなければ
何時か伝統は必ず滅びる日が来る・・・
だからこそ、この技を伝え続けるのが使命だ・・と。
 
20071126_3.jpg それは伝統を守る職人の矜持(きょうじ)...   
番場さん親子の熱意が冷めることのない限り
加茂桐たんすの伝統は続くことでしょう。

2008年3月31日

吉川真嗣さん(3/31)

吉川真嗣さん (村上市・有限会社きっかわ・村上町屋商人会代表)
 
県北の城下町村上市・・3月に行われる「町屋の人形さま巡り」。    
080331_1.jpg今では全国にも名前が広がり毎年10万人もの人が訪れます。
 
「人が訪れてこその街・・ですからね、
 それに力を注ぎたかったんですよ。」    
    
発起人は吉川真嗣さん。    
伝統ある村上の町屋を守り、公開している    
村上町屋商人会の代表(会長)です。
 
「近代化は城下町である村上が形を変えること・・そう思っていました。
 でも、ある人からそれは=大変な事=なんだよ、と・・(笑)。
 で、古いものを生かしながら街が元気になる方法を考えた・・」
 
歴史の街の底力を示しながら・・・町屋という得がたい財産を生かして
活気ある、街の人々が語り合える街づくり・・それが原点と吉川さん。
だから訪れるひとにも町屋や人形を見る以上に自分たち街の人間と語り
生活空間の中へ入って思い出を残していって欲しい・・と願うとも。
 
080331_2.jpg「ですから、目指すのは観光の街じゃあないんです。
 住んで誇れる、訪れて喜んでもらえる活気のある街に・・ね(笑)。」
 
家業は、地元の名産「鮭の酒びたし」づくり。    
父、哲鮭(てっしょう)さんとともに、    
鮭と人形様で村上の良さを全国に発信しています。    
    
「家業は父がまだ社長ですからね・・
 本当に鮭に取り付かれた親父で・・(笑)。
 鮭料理自体も、古臭い家庭料理だ・・と
 思われていた時代もあったんですね。
 でも、そうじゃない、大切なものだ・・と
 父なんかが気づいてここまで来た。
 ・・私の町屋も同じなんですよ・・多分。」     080331_3.jpg
    
夢は村上を活気ある街に。
古いものが古いものじゃなく、それこそ
新しいものに無い魅力を放って生き続ける街に・・
古き良き村上の風情はこうして今も、    
確実に新しい町おこしに繋がっています。 

 

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2008年5月 5日

坂井源一さん(5/5)

坂井源一さん  "にいがた県央マイスター(三条市 伝統的鍛冶技術・鋏製造)

新潟県央・・金物の生産地三条市。   
080505_1.jpgこの地で鋏製造を行なっているのが   
「にいがた県央マイスター」坂井源一さん。   
   
彼が作り出す作品は海外でも認められ、   
ニューヨーク近代美術館に永久保存されています。   
   
「作るなら本物を作らねばいけません
 中途半端がいちばん良くない。」
 
古武士のような風格で語る坂井さん。
職人としての矜持が言葉の其処彼処に滲み出ます。
 
「超高級なものでもとてつもなく安いものでも・・
 帯に短し襷に長し・・中途半端では滅びます。
 同じ安いものでもここ(三条)だけが相手じゃない。
 今は世界的に競争があるのだから
 ・・・なら、あらゆる場合で人に負けぬものを作れ・・と
 社員には常々言っておりますよ。」
 
080505_2.jpg既に作り手がお客を選べるような時代ではない。
だから要求されたものをいかに供給していくか
その努力が生き残るための必須の条件です・・と
淡々と語る坂井さん・・一流の生産者が言う言葉だけに
そこには磐石の重みが感じられました。    
   
鋏製作、後進指導などで幅広く活動する坂井さんは   
鍛冶体験道場の初代館長を勤めたり、   
学校や企業での講演会等も行なっています。   
   
「道具は体の一部・・それが判る方が増えて欲しいし
 また、それを増やす努力をしております。」
 
「使う人の心と体そして切られるモノ・・
 花にしても植木にしてもそのいのちを切るのが
 私の作った鋏という道具なのですから
 鋭く一撃で断つために・・
 言うなれば」=慈悲=のようなこころでしょうか。
 こころをもってモノを切る道具を作りたいですし
 それを判って使ってもらえれば・・と、常々。」080505_3.jpg
 
「そういう道具は使い手の負担をも軽くする・・
 そして無用の力を抜いて使えるようになる・・と
 思っておりますし、お求めになったお客にそう思って
 使って戴ければ・・正直うれしいこと・・ですね。」

 三条の物づくりへのこだわり。
そしてそれを支える職人の矜持と精神性。
あたかも古の武士道の如き・・   

今も此の地からそのこだわりは世界へ伝えられています。 

2008年6月 2日

栗山嘉啓さん(6/2)

栗山嘉啓(よしひろ)さん  (木製デコイ製作者 三条市) 
   
水鳥のおとり猟で使われるデコイ。   
080602_1.jpgそのデザイン性からアンティークとして
またお洒落なインテリアとして人気です。   
   
栗山嘉啓(よしひろ)さんは
この木製デコイ造りの日本での第一人者。
昔から大工道具の三種の神器といわれた
=墨壺=つくりの伝統技術を生かして
日本のデコイに芸術性を与えました。   
   
「墨壺職人は彫りだけで普通絵付けはやらないんですが・・
 私はデザイン関係の仕事で絵も描いていたものですからね・・」
 
10年前三条に帰ってきた始めたデコイ作りの切っ掛けを
淡々と朴訥な表情で栗山さんは語りはじめます。
 
「このデコイも墨壺も=轆轤(ろくろ)=仕事なんですよ。
 木一本から削りだして・・最後絵をつけて・・手間ですよねえ(笑)。
 最初はね・・アンティークの輸入デコイが、横浜あたりのね
 お洒落なブティックなんかに置いてあって・・凄い値段したんですよ、あの頃。
 こりゃあいけるんじゃ・・と両親が乗り気になってましてね。」
 
080602_2.jpgもっと良質でしかも手に入れやすく作れるんじゃないか・・・
その一点から始まったみたいなところもあるんですよ・・と栗山さん。
かつての三条市は全国でも有数の「墨壺」の産地、   
父、茂さんは腕のいい墨壺職人・・・   
栗山さんのデコイは無論その技を受け継いでいます。   
   
「形状作りはすべて墨壺と一緒なんですよ。
 むしろ=かたち=だけならデコイのほうが簡単・・かなあ(笑)。
 三条の伝統を受け継いで・・ですか・・。
 子供の頃から木工師の家に生まれて
 当たり前に墨壺こしらえてましたから(笑)。
 当たり前に木でモノを作ってるから・・なあ(笑)。」
 
「絵を描く仕事を一旦別に経験して墨壺も作っていた自分だから
 すんなりデコイが出来たかな程度のね、自負はあるんですけど・・
 
 これからこういう作品・仕事はね・・・
 作家性が大きなウェイトを占めるんだろうなとも・・今思ってるんですよね、
 大量生産なら世界中何処でも安く出来ますよね
 でもそういうモノじゃない・・ゼロから完成まで自分が責任をもったデコイ。
 ユーザーの心に響くモノをつくらなきゃ駄目なんだな・・と思ってます。
 自分も・・・=職人=ですからね、三条の(笑)。」   
   
 父譲り先達譲りの職人魂が穏やかな表情にもしっかりと浮かび・・ 
 三条市の木工技術は新しいスタイルで今も全国に発信されて行きます。    
 
080602_3.jpg注 轆轤(ろくろ)~広義の意味で木工用旋盤のこと。

2008年9月 1日

吉田節子さん(9/1)

吉田節子さん (上越市 吉田バテンレース)


  080901_2.jpgアメリカで復元された古典レースが
ドイツのバッテンベルグにおいて貴族の愛好者に認められ 
育てられた工芸品・・バテンレース。
 
1898年、高田(現上越市)で冬の女性の内職として取り入れられ
その後高田は世界でも有数のバテンレース生産地となりましたが  
時代の趨勢と機械化により徐々に衰退していきました。
   
上越市に残る、創業110年を誇る吉田バテンレース。   
吉田節子さんはこのバテンレースのデザインから仕上げまでをこなす   
現在日本で唯一の職人です。    
   
  080901_1.jpg「昔、私が小学校の頃は、
 街の女性は全部と言ってもいいほど
 このバテンレースを編んでいたんですよ」
 
一人っ子だったので何の疑問も無く父の後を継いで
此処までレースを手作りしてきただけなんですけど・・と
優しげに微笑みながら語る節子さん。
   
かつては上越の地場産業として栄えたバテンレース
一時期は途絶えかけたかにも見えたこの伝統工芸が   
最近では、その繊細な美しさが改めて見直され、   
ファッション雑誌でも注目されています。   
   
「デザインとか流行じゃあないものですから(笑)
 逆に飽きのこない、手作りの良さがあるレースなんですよ。
 立体的で厚みがあって・・他とは違う趣きのある面白さが
 作っても使っても感じてもらえるものだ・・と。
 
日々の仕事に追われて此処まで来た感じはあるから
最後の後継者なんて大それたことは思ったことはないですけど
今、製作キットの通販とかも始まりましたから
今後若い方も含めて後継者が育ってくれるように
そっちの指導にも出来る限り頑張りたいですね・・。」
 
勉強、勉強、幾つになっても・・ですよ。
080901_3.jpg日本で最後になっちゃったんだから
それも宿命だと思って色々頑張たいですね・・
出来る限りいいものを作り続けたいな・・と思ってます。

そう語る節子さんの手で上越が誇る統工芸品は   
再び新しい時代を歩み始めようとしています。   

2008年11月24日

手塚太一さん(11/24)

手塚太一さん (阿賀野市 フィッシュレプリカ制作)     
081124_1.jpg本物の魚から型をとって作られるフィッシュレプリカ。     
     
その製作を行なっている日本で唯一の職人が     
阿賀野市の手塚太一さんです。 
 
「天然自然の魚って、既に極めて貴重なんですね。
 自然に見えても養殖されて放流されたものだったりとか。
 だからこそ自然の中の魚は守らなきゃ・・・
 釣り師はセルフコントロールできること・・自然の中でね
 それで釣るのが基本・・
 
大の釣り好きでもある手塚さんはまずこのように語りました。
この思いがフィッシュレプリカを作ろうと思った切っ掛けのひとつ・・
ただ、其れだけでは無い思いもあったなあ・・とも。
 
081124_2.jpg「とは言っても、このね自然のなかの生きている魚ね・・
 此の本当の美しさが見られるのは現場に行った釣り師だけなんですね。
 例えばニジマスなんかでも、こんなに美しく躍動的なのか・・とね
 綺麗に驚きますよ・・となれば、其れをみんなに見て欲しいじゃないですか。
 正直、皆に見せたい、自慢したいってのも内心在ったからね・・(笑)」
    
そう言って=本音すぎたかな=・・と屈託無く笑った手塚さん。      
 そんな手塚さんが手がけるフィッシュレプリカは    
専門誌でも注目を受ける完成度の高さ。
     
自分の釣った魚を自然のまま残したい...という
手塚さんと同様の思いを抱く釣り人達からも     
多くの支持を集めています。 
 
「環境が綺麗なところだけに綺麗な魚が居るかっていうと
 実はそうでもないのが不思議なところでね・・・(笑)
 水清ければ魚住まずじゃあ無いけど、
081124_3.jpg あんまり綺麗じゃない水の中にも綺麗な魚は居るの。
 もう、だからぎりぎりの環境に強く生きてたりしてるんですよ。
 そんな力強さも残して行きたいんだな・・この仕事で。」
 
まあ、本当は・・・プロの釣り師になりたかったんだけどね・・
と言って笑う手塚さんの瞳は少年のように見えました。
 
「日本での認知、フィッシュレプリカは、まだ低いんですよ。
 アメリカやヨーロッパでは、ある部分魚をあんまり殺さずに楽しむ
 そういう観点からも此れ、広まってますからねえ。
 まあ、此れからも作って行こうかな・・・この魚の美しさを
 皆に見せたいし見てもらいたいと思うからね・・。
 
 ・・・此れは・・釣り師の性(さが)かも知れませんね(笑)」
 
自然が生み出す美しさは手塚さんの手によって
カタチとなって残され、多くの人を魅了し続けています。     
 
081124_4.jpg

2009年4月13日

猪俣一博さん(4/13)

猪俣一博さん(上越市 家具職人・組子家具製作)
 
090413_3.jpg
 
障子やふすまなどに見る事ができる組子(くみこ)。     
釘を使わずに木を組み付ける日本の伝統技術です。     
     
猪俣一博さんは、     
上越市にある建具店の2代目。     
その繊細な技を受け継いできました。     
090413_4.jpg     
「高校卒業時、サラリーマンはどうかなあ・・と思ってまして(笑)
 公務員の方が周囲に多かったものだから、サラリーマンのイメージが
 凄く真面目一方な人じゃないと駄目なんじゃないか・・と(笑)。」
 
高校卒業時家業を継ぐことを選んだのは
案外そんな理由も大きかったかなあ・・と猪俣さん。
最近になってようやく=周囲の環境がわかるかな=とも。
 
「ある意味、良い職人がどんどん減ってるんですよ。
 特に此の組子なんか少ないですね作れる職人が。
 だから残さなきゃ・・と強く思ったのも・・・最近ですか。」
 
090413_1.jpg和室の減少による家具職人の仕事の減り具合・・
将来のことを考えつついろいろな若手の職人さんと一緒に
現在は生産協同組合も結成している猪俣さん。
間伐材を使った家具の製作にも取り組んでおり     
組子技術を取り入れた作品の数々は、     
多くの人から高い評価を受けています。     
     
「造り手の気持ち伝えるにはまず製品にすることです。
 其れを見て買って使って戴いて其の上で
 職人のこめた気持ちを伝えられたらと思いますね・・」
 
「組子の美しさは技術的な面白さもあるけれど
 なにより=光と翳(かげ)の調和=と言うのでしょうか。
 日々刻々変わっていく表情の面白さなんだと思います。
 例えば朝日と夕日でもう翳(かげ)の雰囲気が違う。
 後ろに張られた障子の色合いが変わる・・・
 光に合わせて表情がね・・豊かに変わっていく。
 其処なんです・・・組子の美しさの素晴らしさはね。」
 
「間伐材を使う事も元々杉でしか作れない組子のあり方を
エコと結び付けていったら自然に出て来た発想で・・
職人の知恵・・とでも言いたい位の当たり前のことなんですよ。
だから此の職人の技術や思考法を後の世に残して090413_2.jpg
伝統を生かすことが未来を変える・・という実例を
より多くの人に知ってもらいたいんです・・其れが今の夢かな。」
 
後継者に沢山来てもらう為にも良いものを作らなきゃね・・
そう言って易しげな表情で微笑んだ猪俣さん。
     
伝統の技が今、新しいカタチとなって・・・     
上越から世界に発信されています。     

2009年6月 1日

横井栄子さん(6/1)

横井栄子さん (村上市~旧朝日村~ 「朝日村繭の花の会」代表)
       
 
村上市朝日地区の特産品「繭の花」。      
090601_1.jpg 地元の工房では、      
 製作体験を行なうことが出来ます。      
       
 その指導にあたっている人が      
 横井栄子さんです。      
       
 「養蚕農家は、今、繭(まゆ)の値段が輸入で安くなって
 専業ではもう食べていけないんです。
 それで、繭に付加価値がつけられないかと思いまして。」
 
そんな理由でクラフトを始めたのですが
いざやり始めたらこれがとても楽しくて・・と笑う横井さん。  
 
かつては養蚕が盛んだった朝日地区も      
 安い輸入繭に押され、農家は次々と養蚕をやめて行きました。      
 そんな中、横井さんが見出したのが「繭の花」でした。      
       
作ってみたい・・と言うひとが増えて居ることを実感し
朝日地区での学校の親子活動で此の繭の花作りを
教えはじめたりする流れを見るうち工房を本格的に開いて
この繭の花作りを専業にしようか・・と思ったそうです。
 
090601_2.jpg「本来は絹糸になるべきもの・・ですよね。
 でも現実それでは食べていけないし暮らしが成り立たない
 付加価値をつけてこれで食べていける・・という環境。
 それによって養蚕が続けられる場所が残せる。
 そのことが一番の目的で理想でもあるんです。」
 
養蚕の行なえる土地はとても環境の良い場所でもあるんです。
それに自然にやさしい産業でも勿論あるんですよ・・とも。
 
「例えば今子供たちに繭の花で作れる帽子とかを
 入門用に教えているんですが・・これの原型は
 私が子供のころ白詰草で編んだ花のかんむりなんですよ。
 
 今の子供たちにはそういう体験がないでしょう?
 だから、逆にこの繭のクラフトで経験した造り方で
 今度は自然の中で本当の花を見て触れた時に
 
 =あ、ああやって編んで遊べば楽しいんだ=って
 
 思ってくれれば・・なんて思いもあるんですよね(笑)」
       
 横井さんの作る繭の花・・その柔らかな質感と暖かい雰囲気
 繭の毛羽立つ感覚や変わらない色などが評価され
 最近ではこの地をを訪れ体験する人も徐々に増えてきました。
 
「若い人が、この繭の花つくりで・・養蚕が続けられる。
 この地域の繭を使って作るこのクラフトで
 養蚕農家の暮らしが続けられるようになってくれれば。
 そこまで目標にしてこれからも頑張って続けて行きたいですね・・・
090601_3.jpg 沢山のお客さんが全国から来てくれるような
 ここの=名産=にして行きたいです・・大変だとは思いますけど(笑)」     
       
 朝日地区の養蚕技術は製品としてのかたちを変えながらも      
 絶えることなく次世代へと引き継がれています。      

2009年7月27日

山本貢弘さん(7/27)

山本貢弘さん (十日町市・和紙(紙漉き)職人)      
 
十日町市犬伏地区。 工房で紙を鋤く一人の男性がいます。     
      090727_1.jpg
 山本貢弘さん。                     
 この地域に伝えられてきた伊沢和紙の伝統を6年前から受け継いでいます。     
      
 「小学校の時卒業証書に使おうという提案があって
 私も自分で此の紙、小学校の時漉いたんですよ。
 最後の職人さんに教わりながら・・・。」
 
 昭和30年代に一度は途絶えてしまった伊沢和紙。     
 地元小学校の卒業証書に使おうと     
 多くの人の熱意の下、平成2年に復活しました。      
      
 平成になって此の工房が出来た時
上越の鉄工所に勤務していた山本さん。
元々陶芸に憧れていたという興味の素地もあって此の工房の主となりました。
 
 「小学校の和紙づくりを進めて来たけやきの会という皆さんと
 原料づくりおから大本の楮(こうぞ~和紙の原料の木)の栽培まで
 一緒になってやらせて戴いてます・・一年中此処で紙弄ってますよ(笑)」
 
と、柔和な表情で語る山本さん。
 
090727_2.jpg「辛いとは思ったことは無いですね。
 此処の伊沢和紙は一度途絶えてしまったものですけど、とても歴史のあるものでしたから、復活させることは大事だ・・と思って就いた仕事ですし、今は昔ながらのやり方もね、今後復活させたいんですよ、木の灰使って紙漉くとか。独りですからとりあえずゆっくりと、一つ一つ。」
 
昭和30年代に最後の職人が和紙作りを止めて50年。
そのブランクを埋めて伊沢和紙を再生するには
数多くのひとの努力があったから・・だから頑張らなきゃ。
 
そういって山本さんはまたにこやかに笑います。
  
「最後の職人さんのおじいちゃんに言われました。
 =根気仕事だから長く続ければ続けるほど良くなる=ってね。
和紙作りって一枚一枚集中して心込めないと駄目なんですよ。
 そしてそう言う気持ちで漉いた紙にはこころも移ると思うから。
それが使う人に伝わってくれれば一番・・嬉しいですね。」
 090727_3.jpg
犬伏地区は=Uターンしてきたくなる土地=          
 事実工房の周囲では遊ぶ子供たちの声も数多く聞こえるとても=居心地のよいふるさと=・・と語る山本さん。
 
「ですから、合併した十日町市も含めてね。
 この故郷の人にまず伊沢の和紙を
 持って欲しいんですねえ・・ひとり一枚(笑)。
 地元の人にまず=いいなあ=と思ってもらえる。
 それがとりあえず今の一番の=夢=ですね(笑)。」
 
 犬伏の伝統技術は これからも・・・絶えることなく受け継がれていくことでしょう。     
      

2009年8月 3日

岡田和也さん(8/3)

岡田和也さん (新潟市 岡田ロウソク店) 
     
 新潟市中央区。和ロウソク作りに情熱を注ぐ男性がいます。     
      
 岡田和也さん・・・新潟の地で半世紀ぶりに、     
 植物性の「櫨(はぜ)蝋」を使った和ロウソクを蘇らせました。     
      090803_1.jpg
 「小さい頃、職人だった父の背中を見て
此の仕事をやるんだな・・とは思ってたんですが。一度は外に出たいとも思いましてね・・
 3年ほど東京で畑違いのホテルの仕事をして戻ってきて一から修行しなおしました(微笑)。」  
  全てが手作業で作られるこの櫨(はぜ)ロウソク 手で蝋を塗り重ねながら徐々に太くしていく 「手掛け製法」と呼ばれる伝統的な手法で作られています。     
      
 「元々は亀田に在るロウソク店から
 手作りのロウソクで地産のものを・・という注文がありまして。
 その時、近辺で手作りが出来るのがうちだけだったんです。
で、原料が櫨(はぜ)というのも興味がありまして
是非に、ということで親爺と2人で再現始めたんですが・・・」
 
090803_2.jpg実際、手作業でロウソクを造り続けてはいたものの
原料が現在のパラフィンワックスとは異なる天然素材。
 
和也さんも師匠である職人のお父さんもまったく経験が無く
唯一製作の現場を知っていた祖母の話をもとにして
試行錯誤をくりかえしようやく製品化が出来た・・と語る岡田さん。
苦心を重ねた分だけこの櫨(はぜ)ロウソクへの思いいれは深い・・とも。     
「本物の和ロウソクは芯も手巻き、蝋も手で塗っていきます。
 だから灯りに表情が生まれるんです、炎がまばたく・・っていうのかな。
 それに結構明るくて煙も植物性の原料なのであまり出ません。
 だから使うと、いや=燈(とも)す=とね、空間がいつもと変わりますよ。
 その変わった空間の明るさや雰囲気を楽しんで欲しいなあ・・。」
 
新たにインテリアや雰囲気作りのためにも090803_3.jpg
和ロウソクを生活の中に取り入れてもらえたら・・
表情のある美しい=灯り=を楽しむ余裕のある暮らし
そんなことのお手伝いになれたらいいですね・・と岡田さん。
 
「本物のよさ、ロウソクは火をつけてみないと判らないですからね(笑)
 是非、一本でも本物に火を=燈して=みて欲しいんです。
 ロウソクってこんなに綺麗な灯りなんだってわかりますから(微笑)。」
 
半世紀ぶりに灯(とも)された「櫨(はぜ)蝋」の灯(あか)り。
若い職人の情熱によってその伝統はこれからも守り続けられていきます。     

2009年8月31日

笹川良子さん(8/31)

笹川良子さん(長岡市寺泊 紙芝居作家・伝承者)

長岡市寺泊地区。    
昔懐かしい紙芝居が演じられています。    
     
笹川良子(りょうこ)さん。    
090831_1.jpg地元に伝わる民話や伝説を元に    
オリジナルの紙芝居を製作しています。    
     
「最初は、普通に昔話の語り聞かせを1年ほど・・

そのうちの、子供たちから=お話に出てくる道具のあれあはなあに?=
などと質問されるうちに、じゃあ、絵を付けたら・・と。」
 
 元々主人が日本画を描いていて道具とかもなんとなく在りましたし・・
そう言って柔らかく笑う笹川さんの周りにはいつも子供たちが・・
 
「この地域には昔話が多いんですよ・・
 最初は12人くらいのお年寄りの方から聞いて
 昔話の保存を考えて始めたことなんです。
 その時ちょうど児童員に仕事もしておりまして・・。
 これを子供たちに語って聞かせればより広く伝わるし
 伝説の保存にもなるかなあ、と・・」
 
090831_2.jpg笹川さんが今までに作った紙芝居はおよそ70作。    
その作品は冊子となり地元の小中学校や図書館にも置かれています。    
     
 「地域の地名や人名が出てくると
 こどもたちの興味も大きくなるようですね。
 これが地域への思いを育てる糧(かて)になれば。」
 
「昔話の中にはきちんと教訓があるんですね。
 それも地元の地名に根ざしたような地縁的な。
 昔話の中にはここの良いところも悪いところも
 しっかりと残されているんです・・其れが民話ですから。
 それ、そのままを子供たちに残してあげたいですね。」
 090831_3.jpg
こどもたちからのお礼や励ましの手紙がなによりの宝物
これからも昔話をお年寄りから聞いて、紙芝居にして・・・
100年先にも語り伝えられるように頑張りますよ・・と笹川さん。
 
「親子3代で一緒に見て聴ける紙芝居をやりたいですね。
 そういう事の出来る場所も作れればと思います。」

寺泊で語り継がれてきた民話や伝説・・・
笹川さんの絵と言葉で新たな息吹を吹き込まれて    
これからも伝え続けられていくことでしょう。

2009年9月 7日

野口基幸さん(9/7)

野口基幸さん (新潟市・巻 鯛車復活プロジェクトリーダー)
    090907_1.jpg
 新潟市巻地区に    
 江戸時代末期から伝わる「鯛車」    
     
 10年以上前に途絶えた    
 この郷土玩具を復活させたのが    
 野口基幸(もとゆき)さんです。    
     
 「自分が小学校2年生の時に
 曳いた思い出があるんですよ、鯛車。
 で、大学の卒業制作で作るモノを考えてて あ、やっぱりこれだな・・と(笑)。」
 
090907_2.jpg制作に当たっては地元に残る資料を
いろいろと調査研究した、と野口さん。
江戸時代末に作られたという鯛車の骨組みを
町内のお寺で見つけたときには
昔の技術と言うのは凄いな・・と改めて感じたとか。
 
   「一応、まだ残ってはいるんです、昔のものも。
 ただ、紙の色が退色してあせてしまっているんですね。
 青森のねぶたの色彩をテレビで見ていて
やっぱり鯛車も本来の色で蘇らせなければ。
正直そういうふうに思っちゃいました。」
 
 鯛車製作の講習会も    
 定期的に行なっている野口さん    
 郷土の伝統を若い世代へと伝えています。    
     090907_3.jpg
 「自分の街からこの文化、形になった文化を
なくさないためにも作り手を増やさなきゃ・・・
 昔、鯛車曳いた思い出のある大人は懐かしさもあって作ろうと思ってくれるでしょうけど
 子供たちにはまったくはじめて見るもの・・ですからね。
 これを作って、曳いて・・それで巻の文化や歴史を感じとってもらえたら一番だなと思うんです。」
 
「巻のね、全部の家に一台づつ鯛車があったら・・
  街を上から見たら・・真っ赤に染まって見えないかなあ・・
 なんて思います(笑)、だから頑張って増やしたいですね=鯛車=。」  
    
 ふるさとが真っ赤に染まる日を夢見て    
 野口さんの活動はこれからも続きます。    

2009年10月 2日

平井沙織さん(10/2)

平井沙織さん (新潟市・鍛金作家) 
   
 新潟市古町通り。   
 金属を叩く鎚の音が聞こえてきます。   091002_1.jpg
    
 平井沙織さんは鍛金作家。   
 新潟の鍛金技術の高さに魅せられ   
 この世界に飛び込んできました。   
    
「元々はこっちの大学に進学したのがきっかけ・・というか
最初、鍛金ってコトバも知らなかったんですよね。
でも燕、三条の鎚起銅器制作の盛んなのを見て
そこの作家さんや作品を知っていくうちに
この日本一の技術に実際に自分で・・って思ったんです。」
 
世界に誇ると言っても良い地元の鎚起銅器技術。
正直一から見て触れるチャンスはそう多くは無い・・・
そう思ったらもう=勉強=というより=喜び=でしたね。
 
091002_2.jpgそう言ってにこやかに微笑しつつ目を細める平井さん。
新潟市の古町通りに工房兼店舗を構えて3年余。
 
「ある方からの誘いがあってここに出店したんですけど
今は本当に、昔から続いてる=いい通り=だなあって(笑)
だから、この工房も古町を盛り上げられるお手伝いになれれば。
 
あと新潟の作家さん、手仕事のですね・・いっぱい居るんですよ。
そういう方の作品を紹介する場所でもありたいなあ・・。
 
此の工房兼店舗で平井さんの手から作り出される作品は
主に=針やま=(縫い針などを刺して保持しておく道具)。
そのどこか温かみのある個性的な作風は少しづつファンを増やし始めています。   
    
「小さい頃、ものを作って遊ぶのって、当たり前だったでしょ(笑)。
 粘土に折り紙に、工作に、編み物・・それって今少なくなったですよね。
出来あいのものを買ってきて遊ぶ、でも、そういう作ることは大事なんです。
 
大きいことは言えないんですが、私がここで=道具=、
まあ=針やま=ですけど手作りで作っているってことが、
誰かが=手を動かしてみよう=と思う切っ掛けになれば・・なんて時々思って。
だから生活に密着したこれ(針やま)をずっと作ってるのかなあ(笑)」  
 091002_3.jpg
「大きいことはいえないんですけど・・これからも、そうですね、
子供が出来て、孫が出来て、私がおばあちゃんになってもね。
ずっとここでこういう道具を作り続けられればいいなあって(笑)
 
もう新潟・古町が私の故郷みたいなものですから。
ここを離れずにずうっと・・=ちょこっとずつ=でも何か・・
作って発信していきたいなあ・・なんて思ってます。」
 
新潟の「ものづくり」の技術が
新潟の伝統の商店街の一角で   
今も日々新しい魅力を生み出しています。   

 

2009年10月 9日

中山雅子さん(10/9)

中山雅子さん (新潟市~旧白根~・白根絞り継承者)
    
愛知の鳴海絞り、大分の豊後絞りと並び
かつては全国に名を馳せた伝統の織物が新潟にあります。
 
それが=日本三大絞り=の一つ=白根絞り=。
 091009_1.jpg
明治後期の最盛期には白根市の女性の8割が生産に従事し
その売上げは米の生産量を上回り街の予算の47倍にもなった
旧白根市の優れた特産物のひとつでありました。
 
戦後一度は途絶えてしまったこの白根絞りを   
20年ほど前に復活させたのがサークル「ふきのとう」。   
中山雅子さんはその初代代表です。   
    
 「最初はねえ、街の婦人学級の活動してる時に
 普通のものだけではつまらなくなって(笑)・・研究材料探したんですよ。
 そしたら=昔、行商の人が持ってた大きな風呂敷の柄、模様=って・・
 あれは何だったんだろうね・・って、そこから始まったのよ(笑)。」
 
091009_2.jpg=絞り染め=じゅあないかとは判ったものの誰も知る人が居ない。
町中の古い文献を集め、=絞り=だの=藍=だのと言う言葉を
それこそすべて集めているうちに、日本三大絞りとかつて言われたことや
250年もの伝統がある絞り染めだという事が判って・・
じゃあ、此れはなおさら復活させねばと思った・・・中山さんは語ります。
 
「でも、最初は、先生どころか知ってる人探すだけで大変で。
 たった一人、タミコさんというおばあちゃんがね、その、絞りの
 =やたら=という技法を知っていて・・それが最初でしたね。」

 いまは市の無形文化財にも指定されている白根絞りは
=やたら=という女性向きの文様と=柳=という男性向きの文様が特徴   
 現在でも「ふきのとう」のメンバーがその技法を今に伝えています。   
    
 「浴衣一枚でも本当は模様ひとつじゃ収まらない・・出来ないの。
 だから、古い浴衣や布や、そういう昔の白根絞りのね、ものを探して、研究して(笑)
 ひとつひとつ復元しながらなんとか今ここまで形になったんですよ。」
 
「より多くのひとに知ってもらいたいのね、この白根絞り。 
 ですから今は店売りも始めさせて戴いてますし、
 年一回のこのサークルの作品展も開かせていただいて。
 生活の中で使って戴くのが一番なんですよ、こういうもの。
 今は白根以外の場所から習いに来てくれる方が多いんですけど
 やっぱりぜひ地元の方に、この白根絞り、継いで貰いたいわねえ(笑)」
 
そう語る中山さんの=夢=の一つは、白根の名物、大凧合戦の
各町内の法被(はっぴ)が、皆、白根絞りの法被に変わること。
 
「夢みたいな話でしょうけど、白根の奥さんがね、
 みんなで自分の旦那さんの着る法被を絞りで作るのよ。
 旦那さんの着る法被を奥さんが作れるように・・・
 昔、白根の女性の8割は白根絞りが作れたんですから(笑)」
 
091009_3.jpgこの復活した白根絞りの灯を絶やさぬよう、これからも
ずっと未来まで守り続けて行くのが復活させたものの使命。
笑いながらそう言ってまた中山さんは作業の手を動かし始めました。
 
復活・再現された郷土の宝は
きっとこれからも伝え続けられて行くことでしょう。

2009年12月 4日

洗谷純希さん(12/4)

洗谷純希さん (新潟市 宝飾加工職人)

新潟市にある宝飾加工専門店「洗谷貴宝」。
明治時代から続く老舗です。
この店の伝統と技術を受け継いできた洗谷純希さん。
宝飾加工に情熱を注ぐ若き職人です。


「宝飾の修理を長いことやっていたんですよ。
今でもそうなんですけど...。091204_1.jpg
修理ってすごく技術が磨かれるって言うか...
一から全部作るより大変なんで...
それでだんだん色んな「作り」を覚えたんですよ。


それに修理の品って、お客さんの思い出が込められている物が多いんですよね。
そんな=思い出=を大切にして、
ずっと使ってもらえるような、
『丈夫で使い心地が良い』物作りにこだわってきたんで...。


この仕事を20年位やってきたんですけど、
地金を自由に曲げたり切ったりして、
頭の中で完成したものが目の前で形にできるって言うのが、
すごく今楽しいですね。


日本で最高峰と言われるジュエリーコンテスト『ジャパンジュエリーアワード2009』では、
3点の作品を入賞させ、その技術の高さが広く認められた洗谷さん。
現在では後進の指導にも力を注いでいます。


091204_2.jpg「実は新潟には宝飾品を作っている職人さんが多いんですが、
そのことはあまり知られていないんですよね。
それをコンテストで入賞して注目されることによって、
たくさんの人に知ってもらいたいですよね。
もちろん、新潟のこの分野の技術を上げたいって気持ちもありますし...。
挑戦することで頑張る気持ちにもなれますし...。

それから、この業界=あととり=がいない職人さんが多いんですよ。
今のまま行くと20年後には新潟の職人さんが凄く減っちゃいますんで...。
でもこの仕事ってすごく良い仕事だと思ってますので、
若い人にも其の良さを知ってもらって、新潟の職人を増やしていきたいですね。」

 一言一言を噛締めるかのようにゆっくりと語る洗谷さん。
その目は宝飾品のようにキラキラと輝いていました。

「新潟には技術の高い宝飾加工職人が091204_3.jpg
多いってことがわかれば、
その技術を利用してくれる人も増えると思うんですよ。
その方が安く上がりますし(笑)
アフターもききますし...
満足のいくサービスが提供できますし...。

いずれは、海外の一流ブランド品を身につけるのと同じような気持ちで、
新潟の職人が作った宝飾品を身につけてもらいたいですね。」

『質の高い新潟の手仕事』を多くの人に発信したい...。
洗谷さんの情熱が新たな職人を育てています。

2010年1月15日

中島洋巳さん(1/15)

中島洋巳(ひろみ)さん (村上市岩船・中島木箱工場)
 
県北、村上市の海沿い・・・漁港岩船港を望む場所に、    
牛乳入れなどの=木箱=を製造して40年の工場があります。

「いや、造船がね、木からFRP(プラスティック樹脂)に変わってねえ。
最初に、木箱作るようになったきっかけは、それなんですけどね。」

工場長で親方の中島洋巳(なかじまひろみ)さん。 
元々は船大工だった先代の木工技術を受け継ぎ    
様々な=木箱=製品づくりを行なってきました。     
 100115_1.jpg
「最初はそれこそ地元の牛乳業者の依頼で作って・・・
そのあと牛乳箱、仕出の配達箱、パンの箱・・
色々作ってたんだけど、それもプラスチックになってねえ。
でも、また、最近=木のぬくもり=みたいなのが見直されるようになって、また売れるようになりまして。」

=木のぬくもり=が見直されるようになった最近インターネットでの販売を始めるようになってからは全国から注文が相次ぐようになった、と、中島さん。

「親爺が船大工だったから、手でかける鉋(かんな)の技術とか
見覚えで覚えた手仕事の=味=って言うか・・・・
手作りは一番=味わい=があるんだと思ってます。」

100115_2.jpgすべて職人の手仕事で作り出される=木箱=
材料のほとんどは地元の杉の間伐材を使っています。
手に取った瞬間、買ってくれたひとが笑顔になるように・・
一個一個心を込めて作る=木箱=には
確かに手仕事ならではの優しさや存在感が。

「注文してもらってね、
オリジナルの木箱も作るんですよ。
そこの部屋のスペースにきっちり収まる=箱=。
ジャストのサイズの=箱=を作るんですよ・・。
そんなときはお客さんからアイディア貰うことも多くてね。
使ってくれる人と一体になれるような気がして。
それも、=木箱=づくりの魅力なんですかねえ(微笑)。」

最近はこの=木箱=づくりの温もりと
その手仕事に憧れた若手職人も工場に入ってきました。

・・・木で出来るものはたくさんあって、キリがないけれど
ものづくりが好きな子だから、この子と一緒に頑張って
いろいろ新製品も作って行きたいね・・・と、中島さん。

「今、自分の娘やこのあたりのおばちゃんもね、
ここで働いてくれてるんですよ、100115_3.jpg
だから・・この先・・・
ここでいつまでも皆で働ける場所としてね、ふるさとで。
守っていければそれもいいなあ、と・・・。」

北国の漁港に根づいた船大工の伝統。
それが今に息づいた手作りの=木箱=。
=木のぬくもり=を感じさせるそれは
ふるさとのぬくもりとくらしを守る力でもありました。

「ここでしか出来ない=木=の良さみたいな・・
沢山のひとに使ってもらえたら幸せですよ。」

村上生まれの=木箱=は作る人の思いも乗せて・・・
今日も全国に、世界に向けて送り出されています。

 

2010年3月 5日

飯塚昇さん(3/5)

飯塚昇さん(燕市・キセル職人)

「欲しい人が居てくれるから作ってるんだね(笑)
 欲しいと言う人に分けてあげられるのが嬉しい。
 まあ、単純なことなんですがね。」100305_1.jpg

江戸時代から200年以上も続く
燕市の伝統産業、キセルづくり。

その技を現在に受け継ぐ
たった一人の職人が
飯塚昇(いいづかのぼる)さんです。
   
「ひとつの道具なんですよ、元々
 今は趣味的に眺めたりされる方も
 多いんですが。
 細工まじまじと眺めて楽しまれたりね・・・
 だからますます手抜きなんか出来ないねえ。(笑)」

一徹そうな風貌に時折笑みを浮かべる飯塚さん。

「キセルや矢立は燕の産業の大本だとも思うんだね。
 それに、まあ、手で作るもんだから・・
 心がこもってるもんだと自分では思うし
 そういう気持ち感じて大事に使って戴ければ
 まだまだ頑張れるような気がしますよ。(笑)」

100305_2.jpg伝統にのっとった手作りの味わいが滲み出るキセル。

今やその芸術性が高く評価される中、飯塚さんは    
全国各地の伝統工芸品展への出品も積極的に行うなど、    
キセル文化を後世に残す活動も行なっています。

「昔の名人上手の作ったモノの
  真似事をしてるようなもんです。
 ただ、出来れば一本でも多く、
  一日でも長く作っていたいねえ。
 刻み煙草ももう一種類しか出回らなくなって、煙草吸うのも
 肩身が狭いような世の中だから、先のことは判りませんが。(笑)」

 「いつまでも、その、愛用してくださる方が居るうちは・・
 身体が動くうちは、好きなことをして好きなものを作ってますから
 喜んで造り続けて行きますよ・・まあ、今は跡継ぎは居りませんが
 若いのがひとり居るんで、此れが覚えてくれればとも思いますし
 まだまだ頑張らないとねえ、後期高齢者になっちゃったけど(笑)

 ただ、何時まで経っても100点満点の奴は・・なかなか出来ないねえ(笑)。」

100305_3.jpgキセルは江戸から400年の文化であり嗜好品であり民芸品でもあり・・
だから、日本の文化として燕の工芸品の文化として守っていくのが使命。
口には出さずとも飯塚さんの強い眼差しはそう語っているように思えました。

燕の伝統工芸は今も絶やされることなく全国へ発信されています。
一徹で自然体な職人、飯塚さんの熟練の手によって。

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