メイン

文化芸術 アーカイブ

2007年6月 4日

外山康雄さん(6/4)

外山康雄さん (画家)

新潟県南魚沼市。    
アトリエで絵を描く一人の男性がいます。     20070604_1
    
外山康雄さんは、    
野の花の魅力に魅了され、描き続けている画家。    
県内外で数々の個展も開催されています。    
 
「この場所(南魚沼)は、まだ外に出れば自然のなかに花が無尽蔵にありますから・・
 それに人も優しいんですよ。・・・私が描きたいと思っている花をね、
描きに行くまで咲かせて残しておいてくれるんです・・皆さんが。」    
    
画集を発行したりと、幅広く活動する外山さん。    
2002年には古民家を再生したギャラリーも開設しました。    
    
「誰もが心の中に持っている花の名前を、
 私の描く花を見て、そして思ってくれれば素敵ですね。
 そんなことを思ったりしながら・・花を描いていきます。」    
    
外山さんが描いた季節の花は    
いつまでも色褪せる事なく咲き続けています。
雪国の山深い故郷にひらく可憐な花弁の色そのままに・・20070604_2

2007年7月 9日

小林史佳さん(7/9)

小林史佳さん (津軽三味線奏者)
 
新潟市にある音楽練習スタジオ、     20070709_1
三味線の乾いた音が鳴り響きます・・
一心不乱に撥をあやつる奏者・・小林史佳さん。
津軽の弾き三味線を全国に広め
一世の名人と称された初代「高橋竹山」の本流継承者です。    
    
「学校を出て・・普通に就職したんですよ、最初。
 でも、ある時、人生に絶望して・・って言ったら大袈裟かもしれませんが
 会社辞めて新潟に戻ってきたときに、竹山先生の最後の舞台の三味線を
 ビデオで見たんですね・・魂が震えましたね。」   
小林史佳さんのお母さんも津軽三味線奏者・・高橋竹山の直弟子でした。
自分のなかで子どものころから母にやらされていた・・というイメージが強かった津軽三味線。
会社を辞め新潟に帰郷して再び手にとって見たとき初めて本当の三味線に出会えた・・
小林史佳さんはそう語っています。
   
そして高橋竹秀の名でプロデビュー・・2003年からは本名の小林史佳に改め
地元新潟を拠点に、年間およそ100箇所でライブコンサートを行ないながら
CDアルバムをリリース・・フランス・パリでの公演やハワイでのコンサートなど
その活動は、海外にまで広がっています。   
    
「新潟に産まれた人間の三味線ですから・・
 新潟の自然のひとつひとつが、音のひとつひとつになって
 聞く人に届く・・そんな演奏がしたいですね。
 それが・・目標のひとつです。」
2006年には弦楽四重奏とのコラボレーションアルバム=Ballade=をリリースし20070709_2
伝統の津軽三味線を継承しつつ、日々新たな分野をも模索する
=新潟生まれの津軽三味線= 小林史佳さん。   
その音色は今、確実に新潟から日本へ、そして世界へ響き渡っています。    

2008年2月18日

宮川愛一郎さん(2/18)

宮川愛一郎さん (新潟市 ダンスカンパニーNoismダンサー)
新潟市を拠点に世界各国で活動を行なっているNoism。  日本では数少ない市が運営するプロの舞踏芸術集団です。    
「りゅーとぴあ」の専属ダンスカンパニーとして2004年に結成されました。     
      20080218_1.jpg
ダンサーの一人、宮河愛一郎さん。     
チームのエース的存在です。     
     
「高校時代は演劇課科だったんですが・・  ダンスの成績の方が良かったんですよ(笑)。  口惜しい反面、のめりこんで続けているうちに  止めるに止められずのめりこんでいって・・卒業したあとに  やるなら、ニューヨークへ行くぞ・・と。」 求道者のような風貌で淡々と語る宮川さん。 鍛え上げた肉体に裏打ちされた芸術家の魂が 滲み出てくるかのような重さのある語り口です。 「海外では当たり前の事なのですが・・  Noismは新潟市が持っているダンスカンパニーですよね。  2004年の発足のときにちょうど帰国していたのもあって  たまたま遊びにいって雰囲気の好さとかに惹かれて・・
」 「作品により振り付けが何を求めるか・・  アーティストである自分の表現と同時に  振り付けの求めるものをやろう・・としますから・・  人の作品でお客さんの印象をどうこう言うのは名難しいんですが  舞台芸術に足を踏み入れたときから  =見たことによって感動して夢をもってほしい=んですね。  ありきたりだけどそれが始まり、それが全てですね。  それだけは、忘れないようにしています。」     
     
多くの人にコンテンポラリーダンスの面白さを知ってもらいたい。     
宮河さんは忙しいNoismの講演活動の合間、 個人のパフォーマンス公演にも力を注いでいます。     
    20080218_2.jpg   
「人に何かあたえたい・・というよりも  僕自身が(単独公演を)やることで受けたい、換わりたい。  ・・今のままじゃ駄目という気持ちが常にあるから。  結果はいまはわからないです・・ただ何年かしてからわかるものだと思う。  今、やらないと変わらないですからね・・・精神面で。
」 プロの芸術家としての苦悩、矜持・・そして強い意志 宮川さんたちNoismメンバーの手によって 世界レベルの芸術が今、新潟で確実に着々と育っています。 「なによりも、僕達を=見て=ほしい・・  それがすべてです、それでわかる・・と。  それがプロダンサーなんです。」
20080218_3.jpg

2008年7月14日

山本真希さん(7/14)

山本真希さん  (新潟市 りゅーとぴあ専属オルガニスト)。

080714_1.jpg

新潟市の信濃川河畔・・りゅーとぴあ。
日本最大級のパイプオルガンが存在します。

 時に豪放に、時に繊細に嫋嫋と あまたの旋律を詠う此の名器の専属オルガニストが山本真希さん
 国際大会3位入賞などの実績を持つ日本有数の演奏者です。

「前任のオルガニストに推薦してもらって此処のオーディションを・・ いいホールで大きなオルガンがあるってことだけは聞いていましたから。 その頃ずっと海外に居たもので国内の情報には疎くて(笑)」

端正な表情に柔らかな笑みを浮かべながら・・真希さんはパイプオルガンの魅力を語ります。

「パイプオルガンにはその名前の通りパイプが沢山・・ その一本一本が幾つもの音色を出せるんですよ。 それを組み合わせていくことで果てしない可能性がある・・ 静かさやダイナミックさ、パイプオルガンの作り出すいろんな表情を 聴く人に是非感じて欲しいと思っています。

 あと、このホール全体を包む、聴く人を包み込む=響き= 私も最初それを感じてパイプオルガンを好きになったので その感動も是非、伝える演奏が出来たら・・と。」

あまり馴染みのない=パイプオルガン=をもっと身近に...。
山本さんは、コンサートやオルガン講座を定期的に行い、
幅広い普及活動にも力を注いでいます。

080714_2.jpg

「クラシックやパイプオルガンって・・・一見面倒そうですが 決して聴いていて難しい楽器じゃあないんですよね(笑)。 それを親しみやすくするのも私の大事な仕事・・そう思って。」

新潟りゅーとぴあのパイプオルガンはスペイン在住の北ドイツ出身者が設計、地域、年代、その歴史によって音色がすべて異なるといわれるパイプオルガン。りゅーとぴあの其れはドイツの力強さとスペインの華やかさを兼ね備えた明るくはっきりとした力強い音色なのだ・・と真希さんは言います。

そして、このオルガンの音色が新潟の沢山の人に愛され聴かれることで本当に=にいがたの音=になる日が来るのが目標なの・・とも。

「まだ、こんなに素晴らしいオルガンが=此処=に在るという事を 知らないひとが多い、と覆うんです、今のところは。 誰でも聴きに来れる親しみやすいプログラムのコンサートも 開催していくつもりですから・・皆で聴きに来て知ってほしいですね。  =にいがた=にこんな素敵な=パイプオルガンの音=が在ること(笑)。」
080714_3.jpg
ホールに響き渡る透明な音色...。 そこには音楽を愛する気持ちが込められています。

2008年8月25日

吉野明雄さん(8/25)

吉野明雄さん (柏崎市えんま通り商店街 写真店店主)  
柏崎市「えんま通り商店街」    
去年の中越沖地震では大きな被害を受けました。    
080825_1.jpg    
この地で写真店を営む吉野明雄さん。    
地震発生後2日目から、    
変わりゆく町の様子を撮りつづけて来ました。    
    
「最初は人の不幸を撮る気持ちにはなりませんでしたね。
 ただ、ある処から仕事として撮らないか・・というお話が来て。
 実際私も被災者の一人でしたから先立つものも欲しいですし(笑)
 実際最初は、仕事のつもりでしたから後ろめたさもあったんです、
 ただカメラを向けた近所の人たちが~アンタが撮ってくれてよかった~と・・ね。
 ああ、自分じゃなきゃこの写真は撮れないんだ・・と。」
 
一枚の仕事の写真に対して5枚は=自分の=写真を撮ろう・・
そう吉野さんは決意して復興写真を撮り続けたそうです。
 
080825_2.jpg震災直後、炊き出しのカレーライスに並ぶ無表情の=ひと=の群れ・・
その一人ひとりが自分がカメラを向けることで笑顔に・・・
苦しいときなら苦しいときなりの笑顔になってくれる・・
その表情を追おう、こころの復興を撮り続けよう・・と思った。
穏やかに語る吉野さんの表情には、実際に震災を体験し
それを乗り越えた人だけが持つ不思議な力強さがありました。
 
去年の11月には横浜で震災写真展も開いた吉野さん。    
復興へと歩む町の姿を全国の人たちにも発信ししています。    
    
「写真は記録なんです・・見た人がどう受け止めるか・・それでいい。
 撮り方は自分のスタイルですがねえ・・あくまで=記録=なんですよ。
 
写真家、とお呼びすればいいのでしょうか、と言うスタッフの問いに
街の写真屋の親爺でいいんだけどさ・・と笑った吉野さん。
 
この街の人たちの、こころの復興を撮りつつ、
自分も故郷=えんま通り商店街=の
新しい街づくりにこれからは頑張って行きたいとも語ります。
 
「ひとに優しく、特に子供と年寄りに優しい街に・・ね(笑)。
080825_3.jpg 路地があって井戸があって、いつ何があっても誰が何処に居るか判る・・
 そういうコミュニケートな街にしなきゃ、とこの震災で思いましたよ。
 気配りと助け合い・・これがこの震災で一番学んだことかな(笑)。
 
震災以降吉野さんのカメラバッグにはいつも懐中電灯。
 
どんな時でもこの灯りで誰かの不安を取り除けるかもしれないからね・・
 
そう言って莞爾として笑う表情に覗く、何かを乗り越えて来た逞しさ。
 
自分の撮る一枚の写真で、ふるさとに再び笑顔を...    
吉野さんは今日もシャッターを切り続けます。  

2008年9月15日

白澤美佳さん(9/15)

白澤美佳さん  (新潟市出身 ヴァイオリニスト)     
親しみやすいクラシックを中心に
 美しいメロディを奏でる13人の美女たちのユニット
「高嶋ちさ子と12人のヴァイオリニスト」。     
    080915_1.jpg    
 メンバーの一人白澤美佳さんは新潟市出身。
このユニットでのコンサート活動の他にも     
地元と東京を中心に全国で演奏活動を行なっています。     
     
「高校は桐朋の音楽科・・入学するのが夢でしたから
 中学校時代学校の授業殆ど行かずに東京にレッスン行ったりして(笑)
 母が音楽教室やってて、子供の頃から気がつけば音楽・・だったんですよ。
 でピアノとヴァイオリンどっち専攻するのって聞かれて・・人のやってない方に・・と(笑)」
 
「ヴァイオリン弾いてて・・辛いこともあるけど楽しいですよ(笑)
080915_2.jpg 最終的に自分は此れしか出来ないって思いもありますから・・
 今、こうやってヴァイオリン弾けることが何よりまず=幸せ=(笑)」
 
単純に聴いてくれるひとが喜んでもらえれば、自分も楽しいし
人に感動してもらえればもっと嬉しい・・そう言って艶麗に微笑む白澤さん。
クラシックにより親しんでもらいたいという想いも込めて
映画音楽の吹き替えからテレビ番組の出演まで幅広く活動中で     
単にクラシックのジャンルにとどまらない活躍が期待されています。     
     
「高嶋ちさ子さんのユニットに入って・・やっぱりクラシックも、
 今は、弾くだけじゃ駄目なんだな・・と。
 喋れて芸事も出来てネタも無きゃいけないんだ・・と(笑)
 クラシックマニアのお客さん以外に初めて聴きにきてくれた人・・
 そういうお客さんに飽きずに聞いてもらう楽しんでもらう努力・・
 エンタテイメント性みたいなものを凄く学んだ気がしますね。」
 
「私自身・=どクラシック=だけじゃ物足りない部分がありますし・・
 いろんなジャンル勉強するためにも色々やってみよう・・と。
 新潟でのコンサートも毎年開催させていただいてますが
 まず、なにより自分の生まれ育った街、其処に住んでる人たち
 家族や友人に自分の成長を聴いてもらいたいのがあるし・・
 産まれた街の人に愛される音楽をやって行きたいんですよ」
 
080915_3.jpg「クラシックは聴いて見ると凄く楽しいんですよ・・ちょっと敷居が高い感じあるけど
正直=なんでポップスのほうが売れんだよCD!=とか思っちゃうくらい・・
だから、その楽しさを広めるための努力もしていきたいな・・これからも。」
 
飾り気のない口調で屈託無く語る白澤さん・・
彼女の奏でる音色が思わず聴いて見たくなるほど
魅力的な笑みが時にに弾けるように浮かびました。
 
「今が、今の音楽活動が一番楽しいし、大切だと思ってます
 だから、死ぬまで楽しく弾きつづけていられたら・・なあ・・って思いますよ。」

白澤さんの奏でる美しい音色は     
これからも沢山の人に届けられていくことでしょう。    

2008年9月22日

佐藤伸さん(9/22)

佐藤 伸さん (絵本作家 新潟市)

080922_1.jpg両手を絵本に見立てて
即興のお話しを読み勧める    
新しい遊び「おてて絵本」。    
    
その普及活動を行なっているのが、    
新潟市の絵本作家佐藤伸さんです。    
元は広告のプランナー・コピーライターだった佐藤さん
仕事として=父親の子育て参加=を謳った
ムックを作るという企画に関わるうちに
絵本作家の道を目指すようになったそうです。
 
「まあ、そのとき僕が妻の産休明けで
 なんとなく専業主夫してたこともあったんですがね(笑)」
 
そういって佐藤さん・・別名=サトシン=さんは柔らかく笑います。    
    
「その仕事で始めた絵本作りの中で、昔子供の頃にやった
 =おてて絵本=の遊びをひょっ・・と口に上(のぼ)せたんですよ。
 で、そのとき=え?それって何?面白いの?=って反応があって・・
 ああ、みんなこんな楽しいこと知らないんだ・・もったいないな。
 じゃあ、是非にも広めてみなきゃ・・と思ったんですね。」
080922_2.jpg 
子供の表現力を引き出せる遊びとして    
全国誌やテレビでも注目を受けている「おてて絵本」。    
今年の7月にはハンドブックも出版されました。    
    
「純粋に親と子、子供と大人がコミュニケーションできる・・
 子供が手を広げて其れを見ながら作るお話に
 大人が相槌うって一緒にふくらませて聞いて話して・・・
 想像力と創造力の両方がですね、多分育つんです。
 ひとと話す、ひとにお話を聞かせる行為によって・・。」
 
この時代パソコンやネットなどでの
新しいコミュニケーションは増えても
本来人間同士の会話で形成されて来たものが
080922_3.jpg無くなってきていますよね・・それを育てる為にも
こういう大人と子供の一緒の会話による=遊び=が
必要なんじゃないかなあ・・・と、佐藤さん。
 
その中で大人だって今まで見つけられなかったものを
発見する場合が多いんです・・と自らの経験も語ってくれました。」
 
「子供の中にあるものが・・ぱあ~っとね。
 外にあふれ出してくる喜びみたいなのが
 =おてて絵本=にはあると思うんですよ。
 それをね、数多くのひとに知って欲しい・・
 今はそれが一番の目的・・ですかね(笑)」
 
小さなてのひらが語る大きな夢・・
新しい「遊び」のスタンダードが    
新潟から全国へ発信されています。

080922_4.jpg

2008年9月29日

岡村智子さん(9/29)

岡村智子さん (新潟市 インド古典舞踊家)

080929_1.jpgインドの舞踊はある種哲学的要素をももった
素晴らしい表現芸術・・この奥が深いインド舞踊を習う人が
最近、新潟でも増え始めているそうです。

その、県内唯一の指導者が岡村知子さん。
4年間に渡る本場での修行後、ふるさとに拠点を移して活動しています。

「元々テレビ見ててもヨーロッパの端正な美しさより
 アジアのごちゃごちゃ~が好きだったんですよね(笑)
 会社勤めて一年目、カルチャースクールで習ってたんですけど
 本気でやるならインド行かなきゃ・・と思って・・また其の頃
 習ってた先生のも薦められたんですよね・・インド修行(笑)」

入社一年目のOLだった岡村さんは一年ほどの気持ちでインドへ
しかし現地でインドの古典舞踊にふれるうち、
此処で区切りが付くまでは、と舞踊にのめり込んで気付けば4年。
帰国後本格的にプロの道へ進むことになったのだそうです。

「最初は一年やって・・普通に何食わぬ顔で
 社会復帰しようと思ってたんですけどね(笑)」

080929_2.jpg岡村さんをここまでとりこにしたインド古典舞踊の魅力・・
其れはまず第一に気の遠くなるほど深い身体表現。
其れは言って見れば哲学の域にまで至るもの・・・
その魅力をより多くの人に知ってほしいと岡村さんは語ります。

「インド舞踊って言われても
 普通の方はなかなかイメージが出来ないようで、
 アラブとかタイの踊りとイメージごっちゃになったり・・
 最近は流行のヨガの一種と思う方も多いみたい(笑)

 ただ此れは凄く奥のの深い身体表現なんですよ。
 その哲学的解釈なしでは絶対に踊れないし
 まあ、自分の内面と向き合い続けることでもあるんです。
 だから、自分が踊るたび、成長するたびに踊りは変わります。
 見る人も同じ、向き合う人の感性で幾らでも見方は変わる・・
 其処がいちばん伝えたい部分なのかなあ・・」

080929_3.jpg国内外での公演も積極的に行っている岡村さん。
その華麗な演技は本場インドでも高い評価を受けています。

新潟はまだ誰もインド舞踊を本格的にやってないから
自分の足跡がそのまま歴史になる・・そんな自負もありますね・・と
ちょっとはにかんだ風情で語る岡本さん。

インド舞踊を伝えることはインドの文化・哲学を知ってもらうこと。
身振り手振りのひとつにも深い意味を込めた悠久の歴史の身体表現。
「踊り」から伝えられる異国の文化が少しづつ新潟に浸透し始めているようです。

2009年5月11日

とき ゆうじさん(5/11)

とき ゆうじさん (マウイホーン奏者 新潟市出身)   090511_1.jpg
   
「良く、とき・ゆうじは芸名ですか?と聞かれるんですが
 此れは本名をひらがなにしただけなんですよ(笑)
 佐渡出身でもないです、新潟市内ですから・・」
     
そう言って笑うときゆうじさんは
日本でも数少ないマウイホーン奏者。
ハワイ産まれのリード楽器、マウイホーンを手に     
地元新潟と首都圏を中心に活動しています。     
     
「此れは広義のバンブーサックスになるのかな・・
 ハワイで作られた楽器なんですね・・
 私も昔から色んな楽器を弄ってるんですが
 此れがある時期東京で噂になりまして・・
 渋谷の駅前で此れを売ってる外人さんが居る・・と。
 
090511_3.jpgつい衝動買いしたものの手付かずだったマウイホーンでしたが
その素朴な音に魅せられて此れを単なる玩具で終らせたくないな・・と
ときゆうじさんはマウイホーンを使ったライヴを始めます。
その素朴な竹の響きが奏でるシンプルなメロディは     
「ひらがな音楽」と名付けられ数々のCDもリリースされるようになりました。
 
「僕は音楽の楽器ってのは・・・空気に色を付けるものだと。
 で、考えたいったら此の楽器に合うものは何かなと言ったら
 決してシンセサイザーじゃない・・アコースティックな楽器かな・・
 
 で、現在のようなギターや生の太鼓や・・というユニットが出来たんです。
 だから、聴いててドキドキハラハラするような音楽じゃないんですよ。
 空気が柔らかく聴く人を包み込むような音楽・・というのかな。
 そういう空気に自然となっていって・・それが=ひらがな音楽=(笑)」
     
「ひらがなの気持ちで奏でるから、聴いてくれる皆さんもひらがなの気持ちで・・
力いっぱい全力で・・ってものじゃない、さり気なくわかり易く・・。
小学生が聴いてすぐ=あ、ぼくでも出来る?=と思えるような
090511_2.jpgそんな音楽が理想・・・最近はそんな風に思っておりますよ。
 
聴いたら眠りに誘われていくような癒し・・というのかなあ。
それが音楽で表せた感じもね・・・上手く言えないんですが」
 
ときゆうじさんはそう言って穏やかそうに笑いました。
 
ひらがなの気持ちで奏でられる奇を衒わぬ自然体のメロディー    
マウイホーンが生み出す「癒し」の音色は    
新しいスタンダードナンバーをつくり始めています。

2009年9月14日

泉田佑子さん(9/14)

泉田佑子さん(書家 加茂市)  
   090914_1.jpg
加茂市。    
巧みな筆さばきで文字を綴る一人の女性。    
     
泉田佑子さん。    
ふるさとであるこの地を拠点に活動する新進気鋭の書家です。    
     
「何よりこの加茂の街が好きなんです。
私を育んだふるさとで応援してくれる皆さんもいて。
そんなもの全てに囲まれ励まされて
今の私の書があるんだ、と、思っています。」
 
慎ましやかに、にこやかに微笑む泉田さん。    
ですが、いざ筆をもち紙に向うとき
その表情は真摯な表現者の其れに変わります。
 
090914_2.jpg「私が書いたものを見てくれたひとが
涙をながして感激してくれた・・ことがあるんです。
私の書いたものが誰かの役に立つんだ・・
そう思った瞬間、これ(書)でやって行こう・・と。
 
個展の開催から舞台公演のポスターの題字、 商品のロゴデザインまで幅広く手掛ける泉田さん。 書の新しいあり方を提案しつづけています。    
     
 「基本は私がどれだけ出会ったひとの心を汲み取ることが出来て
 どれだけその方とこころを通わせることが出来るか・・・
 私のものを単純に伝えるというのではなくて・・
 依頼していただいた方と2人で創っていきたい。
 それが、私の=書=のモットーなのかなあ・・と。
 
 いろんな人の思い、生き様、人生の記録。
 それを書き表すのが私の仕事だと思っています。」
 
「大きいことで言えば090914_3.jpg
 =筆一本で世界の人のこころを繋げること=
 具体的には世の中で使ってもらえて、
 みんなの目に触れる字を沢山書きたいですね・・
 大河ドラマとかハリウッドの映画のタイトルとか(笑)」
 
ちょっと大風呂敷かな、と言って
泉田さんはまたにこやかに微笑みました・・・
まるでその書のように豁達でのびのびと。  
     
ふるさとの地から世界へ・・人の心を書で潤したい。 
泉田さんの活動はこれからも続きます。    
     

2009年12月25日

山口冬人さん(12/25)

山口冬人さん (阿賀町~旧津川町~ 写真家)  
   
阿賀町を拠点に活動する写真家、山口冬人さん。     
      091225_1.jpg
ふるさと奥阿賀の美しい風景に魅せられ四季折々の自然や風物などを撮りつづけています。    
     
「自然に溢れたいい場所なんですよ。
ただ、地元の人間でさえこういう風景を知らなかった。
そんな場所も沢山あったんですね、撮り続けていると。」

山と川に囲まれ水と空気が綺麗なふるさと・・・
その素晴らしさをなんとか知って欲しい。観光客だけでなく、まず地元の人たちに。     
     
そう思い続けてふるさとの風景を撮りつづけ、 
5年がかりで撮りためた作品がこの秋、
写真集として自費出版で刊行されました。 
山口さんの情熱がカタチになった写真集です。

091225_2.jpg「国体の新潟開催が今年でしたから
それにあわせて、もう超スピードで(笑)・・
レイアウトから観光関係へのセールスまで本当に手作りというか、独りでしたから。
思った以上に大変でしたけど(笑)。」

それでもこのふるさとの素晴らしさをどうしてもたくさんの人に知ってもらいたかったから・・
そう言って笑う山口さんの表情はとても満足そうでした。

「自然の素晴らしさは何処にも負けないな・・と
写真撮っていて改めて思いましたよ。
川があり山があり空気と水が旨い・・・
大地と川の織り成す景色の凄さですか。
今は、あと=雲塊=ですね、テーマとしては。
山の上から望む雲の群れ、美しいですよ・・本当に。」  

現在は地域の集落を舞台にした撮影会の開催なども行いつつ
この写真集を通してふるさと阿賀町の観光アピールを続ける山口さん。
写真家としての思いは、という質問に最後、こう答えてくれました。

「なによりも・・・撮り続けることですね。091225_3.jpg
一日、一日は=一期一会(いちごいちえ)=です。
昨日も一年前も同じ写真は二度と撮れないですから。今日を、今を撮り続けていたいですね、ふるさとの。」

ふるさとを愛するひとりの写真家の手によって奥阿賀の美しさとその魅力はこれからも沢山の人へ発信されていくことでしょう。   

2010年1月 8日

若林美津枝さん(1/8)

若林美津枝さん(プロダンサー・佐渡市)

佐渡市・・・軽快なリズムに乗り
ダンスのレッスンが行なわれています。
      
指導を行なっているのは若林美津枝(わかばやしみつえ)さん
この地を拠点に活動するプロダンサーです。

「最近は何処で舞台に立っても100108_1.jpg
=佐渡のダンサー=って言われるんですよ。
私、一個人として認識される以上にそう言われるのが嬉しいです。」

ダンスを始めた中学生のころからずっと思っていたこと。
佐渡から、地方からでも世界に通用するダンサーになる。
そう決心したことを、今、少しづつでも証明出来ていると感じられることが
今、なにより嬉しいかな・・と、若林さんは言います。

「実際、2000年から全国のコンクールに出場して今思っているのは・・
=此処は田舎だから時代遅れだから都会には敵わないのかな=って
気持ちが常に在ったんです・・でも、佐渡って逆にある意味=何も無い=んですね。
だからこそオリジナリティのある唯一のものが作れるんだ・・って。
欠点だと思っていたことが逆に優位なんだ・・と、気づきました(笑)。」

100108_2.jpgだとしたら、佐渡を拠点に活動することで
ご自分の表現に何が生まれると思いますか?という問いに
ふと小首をかしげて微笑んだ若林さん。

「知らず知らずのうちに、ですけど・・豊かな自然、ゆっくりした時間。
気持ちの良い雰囲気、そういうものが滲み出てくるんだと思っています。
これは、私だけじゃなく、私の生徒たちのダンスでも同じなんですよ。
演技を始めるとどこのステージの上でも、=ゆったりした空気=が流れ出しちゃう(笑)。
これって、やっぱり、=佐渡で踊っている=からなんだなあ、と思います。」

9年連続で参加している全国ダンスコンクールでの1位受賞
ジャズダンス世界選手権で6位など実績を残してきた若林さん。
現在では佐渡から新潟、東京、台湾と、その活動の幅を広げています。

「16歳から一応ダンスを教え始めて・・正直私と同世代から上のひとたちには
ここから外に出て行ったときに=佐渡出身=ですって言いづらかった気持ちというか
そういう感じをもっていたひと、多かったんじゃないか、と思うんです。
これからは、私の場合、踊りを通じて、故郷の空気とか醸し出せるものに
誇りをもってやっていきたいし、そういう思いも生徒たちに教えてあげたいですね。」

「ダンスを、踊ることを教えるだけじゃなく、ダンスを介して人間的に何を学ぶか。
ただ技術的なことだけだったら学ぶ価値はない、と、今思っていますから。」

ダンスを教え始めた頃は、100108_3.jpg
ただ只管に生徒を見続けていたけど
あるとき、=逆に先生は常に生徒に見続けられているんだ=と教わった。
だから、今は100%あらゆる意味で生徒たちの見本になるような先生で在りたいし
表現者としての自分は、より佐渡を題材にした作品を・・
金山、能、自然、そして、今テーマにしている=朱鷺=とか
オリジナリティにあふれた=佐渡=での自分の表現を深めていきたい・・・

「その中で、日本に限らず世界中から、佐渡に私の踊りを見に来てくれる・・
そういう人が沢山増えてくれたら、佐渡にいながら世界に発信できたら、
そして、常に教える子供たちの前を、手本として歩いていけたらと願ってます。」

世界に羽ばたく佐渡の文化が生んだパフォーマンス。
それは故郷の地にもより深く大きく根を張って育ちつつあります。

青空を翔る朱鷺とそれを慈しむ佐渡の自然のように。
 

2010年4月19日

藤田市男さん(4/19)

藤田市男さん (新潟市・エッセイスト)

「・・気がついたらエッセイストになっていたんですね(笑)。」

インタビューに答えて柔らかに笑うのは
100419_1.jpg新潟市を拠点に活動するエッセイスト藤田市男さん。

家族をテーマにした心暖まる作品の数々は 
幅広い年代から支持を受けています。
 
 「実際、会社員が務まらなくなって
 辞めたあと・・
 ものを書くのが好きだったんで
 書いてみたんですが
 その反応が良かったんで
 嬉しくなったんですね(笑)。

 で、読んでくれるひとも多くなって
 大きいところでも書けるようになって・・
 反応が大きくなるたびにもっと嬉しくなって、
 ・・・今こうなってるというか(笑)。」

100419_2.jpgエッセイの執筆の傍(かたわ)ら、講演会やラジオ番組の出演なども積極的に行なう藤田さん。
家族とのコミュニケーションの大切さを多くの人に語り続けてきました。

最近では自著のエッセイを手作りの絵本にする活動も。
娘さんの誕生の時の=親爺の思い=を綴った=ちいさな手=という作品です。

「娘が生まれた喜びみたいなものを素直に書いたもので・・
 誰に読ませようと思って書いたわけではないんですけどね。
 ただ、今になって思えば・・娘が読んでくれればなあ、と(笑)。

 家庭の中でお父さんって静かで幾分邪魔にされたりもするでしょ
 そんなお父さんでも子どもにこういう思いを持っているんだな・・と
 知ってもらえればいいなあ・・なんて思っています、今は。」

淡々と微笑みながら、優しげに語る藤田さん。
藤田さんのエッセイも講演も、そしてメディアで語られる言葉も
決して構えたり力んだり上から目線ではありません。

「読んでくれるひとの反応を意識して書いてはいないんですよ・・
 書くほうに意図的なものがあると
 エッセイって・・気持ち悪く(笑)なるんです。

 私の思ったことを淡々と書くだけで、
 それで読んでくれるひとと、何か感じてくれるひとと、
 波長が合えばね、それでいいんです。
 だから・・偉そうなことは書けないし書きたくない・・ですねえ(笑)

 あと、自分が書いてて=気持ち良く=ならないように(笑)。
 書いてる自分が気持ち良いと、読んでくれるひとは、
 ・・・たぶん=気持ち悪い=ですから。」100419_3.jpg

そのままの自分がそこに在るように書き話し伝えること、
それが藤田さんのエッセイの、いや、藤田さんというひとの
大きな魅力なんだろうなあ・・そう感じさせる言葉が
それこそ無理なく自然にゆるやかにあふれてきます。

「ラジオとかテレビにも
 最近出演依頼来るようになって
 ・・それこそいろいろな事を
  聞かれるんですね、
 人生相談みたいなものまで・・ 聞かれたりね。
 そういうときも=いいじゃない?そのままで=って言っちゃう(笑)」

なぜならそれがその人を肯定する答え・・だから。

そういって、また藤田さんはふんわりと笑いました。

「目標は・・いまは、正直、無いんです(笑)。
 かっこいいこと言うわけじゃないけれど、有名になろうとか売れようとか。
 
 でも、時に、読者やラジオのリスナーから思いもよらない答えが返って来る。
 =あのエッセイを読んでもっと生きようと思いました=とか・・聞くとね。
 エッセイを書いてて本当によかった・・と、無駄じゃなかったなあ・・と、

 だから・・ひとりでも=この本があって良かった=と言ってくれる人がいること。
 たぶん其れがここまで書いてきた、そしてこれからも書いていく理由・・でしょうか(微笑)。」

 あくまでも自然体で綴る家族への思い...ひとへの優しさ。
 等身大のエッセイスト、藤田さんの活動はこれからも続きます。

 

■手作り絵本=ちいさな手=に興味のある方は・・
 
■藤田市男公式ブログ


    

2010年4月26日

松崎友紀さん(4/26)

松崎友紀さん (新潟市・即興舞踏家)    

「最初は舞台役者目指してたんです。」

真摯な瞳、独特の雰囲気で語る女性。
「水と土の芸術祭」への出演など、
 地元新潟市を中心に精力的に活動を行なっている
 即興舞踊家・・・松崎友紀さんです。100426_1.jpg

「佐渡出身なんですよね、私。
 で、なかなか佐渡弁(笑)が
 取れなくて・・
 故郷の匂いってどうやっても
 捨てられないのかな・・と。
 でも、何でもいいから
 舞台に立たなきゃ、
 いえ、立ちたいな・・と、思って。」

その頃教室で学んでいたダンスに
何時の間にかのめり込んでいったのかなあ・・
と、松崎さんは語ります。

「最初は、即興舞踏って訳ではなかったんです。
 でも、即興というか、こういう踊りの表現は
 それこそ、あらゆる場所で踊れるという発見・・?
 今までの自分の全てが表現できるってこと?
 そこに辿りついたというか・・そうなっちゃいました。(笑)」
 
 松崎さんの踊りのルーツは新潟の大地と文化。
 それがある意味すべてなのかも・・とも。

100426_2.jpg「新潟に居ると
 普通に落ち着きますよね(笑)
 空気も食べ物も水も美味しい・・
 ちょっと動けばすぐそこに
 まだ自然が生きてて。
 そんなことが全部表現に
 繋がってくるのかなあ・・

 踊りって人工的なものじゃない・・と、
 私は思うんです。
 自然の何かに
 近づいていくものだから・・・。」

芝居から踊りの道を目指し始めた頃
東京に暮していた松崎さんは
あることに気づいて再びふるさとを再認識した・・
それが今ここで踊る理由のひとつだと語ります。

「東京の暮らしの中で=五感=が鈍ってるなあ・・と(笑)。
 コンビニの食べ物が無意識に美味しいと思えるとか
 人に何かモノを渡す時でも感情が消えて行為だけがある・・とか
 本当の、子供のころの=五感=を取り戻したいなと思いました。」

「匂いや空気や音、雰囲気・・それを全部感じないと
 私の=踊り=って、たぶん踊れないんですね。
 ニンゲンって・・・元々=動物=なんですよね(笑)
 此処(新潟)だったら、ふるさとだったら出来るかなあ・・と
 ある意味で=動物=に還ることが・・。」

これからも思いのまま踊り続けながら
観客と一緒の空間を共有していけるように
舞踏という行為で非日常的な空間を
そこにいる人の為に生み出していく・・
それが、松崎さんの思い描く=舞踏=。

「最後は、日本人がつたえる日本の表現?
 それを伝えていくのが私の踊りだから・・・
 ダンサーでも舞踊でもなくて=舞踏家=(笑)

 新潟のひとの体や暮らしの中に、そうですね・・
 この=踊る=ということで=遊んで=行けたら。
 それで日常の中に=遊ぶ=っていうこころを
 皆さんがもっと持ってもらえたら・・なんて思います。
 ちょっと、上手くは言えないんだけど・・。」

映画への出演、スペインでの単独公演
100426_3.jpgそのパフォーマンスを多くの人に発信しつつ、あくまで自然体で踊りつづける松崎さん。

・・芳醇なお酒みたいに
酔わせる舞踏家になりたいな・・・

真摯な眼差しは一層の輝きを帯びるようでした。

ふるさと新潟で育んだ踊りを今度は世界へ...
松崎さんの=舞踏=はこれからも続きます。
    

2010年5月 3日

星名康弘さん(5/3)

星名康弘さん(新潟市・染物工房~浜五~)

新潟市越前浜にある染物工房「浜五(はまご)」。 

ここを拠点に、天然素材と草木染めにこだわった    
創作活動を行なっているのが星名康弘さんです。

100503_1.jpg 「最初は古民家の修復と再生に
 関わっていたんです。
 古民家を直すのにまず掃除をして、
 きれいにして・・・
 ちょっと一服なんて感じで、
 お茶とか飲むんですけど
 其の時に、ああ、此処に気の効いた
 暖簾とかあれば・・とか
 一枚綺麗な風情に合う布を
 敷いたらな・・とか

 まあ、痛んだところを綺麗に
 飾りながら直したい・・
 そう思ったのが発端なんですけれどね(微笑)。」

本来そこまで時を耐えて残ったものを飾るのなら
その素材、材料もそこに在るもので、というのが自然・・
それも自分で摘んだり集めたりすることで得られるもの
そこから出来上がるものを愛でてみたい・・・

「私の染物というか布を染めるということは
 たぶん、それが、全(すべ)てなんだと思っています。」

越前浜の古民家を作業アトリエにしながら
各地での作品展の開催から染色体験教室の講師まで    
現在、幅広く活動を続けている星名さん。

自然の素材が生み出す染物の魅力は?
と、いう問いに柔らかな微笑で答えてくれました。

「花なら花が、葉なら葉が・・出るまで待つ。
 その季節と一緒に作業してるんだという感覚が
 時間の流れを共有してる気分が好いんですね。
 =季節と一緒に染める=・・それが楽しい。
 染めていく過程で色が育っていく感覚かなあ(微笑)
 
 そしてそれを買って戴くときも、その過程をね・・
 皆さんに話して、季節の会話なんかしたりして。
 
 みんな、楽しいことばかり・・ですよ(微笑)。」

100503_2.jpg自然の素材使えばある意味エコでもありますし・・
普通のおうちの木の葉や、玉葱の皮だって使えるんですよ・・

そう言ってまた微笑む星名さん・・。

近所の先代の駐在さんのおばあちゃんや奥さんがこの話をきいて
玉葱の皮を集めてくれたり
布を買ってくれた方が
庭の百日紅の葉を
使えるならと集めておいてくれたり・・

「そういう過程で素材が
  集って染められてものって、
 使う人にも作る私にも
 愛着が湧きますよね・・・
 
 そういう布を使って、四季折々の
 自分だけの空間を演出して楽しんでもらう。
 布だけじゃなくそれが生み出す広がり?
 
 掛けたり敷いたり、あるときはマフラーのように纏(まと)ったり
 自分が楽しいと思うことに使って一緒に過ごしてもらえれば・・
 そういう方が増えてもらえればなあ・・って。
 
 それが、今、一番の=夢=なのかなあ(微笑)。」

染めものを作る、染めるという事は100503_3.jpg
自分の暮らしの中に
ずっと寄り添っていてほしいもの・・
そうすればきっと暮らしの中の豊かさや楽しさを見つけ出そうとする思いを忘れずにいられるから・・
 
ふるさとの自然の中、
ゆるやかに日々と対話する星名さんの手で
1枚の布が命を吹き込まれ、
居心地の良い空間を作り出しています。

2010年10月18日

飯塚直人さん(10/18) 

飯塚直人さん (上越市・漆工芸作家) 
  
「最初は、陶芸を目差したんですよ。
 其の時は大型トラック運転してて(笑)」

地元上越市を拠点に創作活動を行なっている
漆工芸作家、飯塚直人さん。   

斬新な色使いなど現代的な感性の作品が
多くの人から注目を集めています。

「色々な陶芸の窯元を101018_1.jpg
 見に行ったりしてるうちに
 長野で今の漆工芸の
 師匠に出会って・・・
 それまで全く漆に興味なくて
 知らなかったから
 自分の中に
 凄く新鮮なものとして
 入ってきたんです。」

最初は、ふるさと新潟に帰ってきて漆工芸をやろうとは思わなかった、と
飯塚さんは言います。

「日本中どこでもいいけど、何故か新潟は(笑)
 親のそばに帰っちゃいけないかななんて思ってたんですね。
 ただ、雪のあるところが好きなんで富山の山奥とか・・
 そのときその富山の山奥のおばあちゃんに、
 =新潟と変わらんよここも=・・と、言われて(笑)」

101018_2.jpgふるさとに戻り、
工房を開いた飯塚さんは
地元の森林組合で
間伐作業を行ないながら
素材の研究にも余念がありません。
また、新たな漆の作品作りにも意欲を燃やしています。

「間伐材使うのは、予算の問題も有るんですけど(笑)
 木の立ち姿から見れて、自分で切って倒せて
 素材の勉強になんですよ、作るときの。

 それに製材まで自分の手でやりますからね・・
 思い入れや苦労もあって材料大切に使いたいと思うし
 そういう場所は大事にしたいと思ったり・・・
 あ、そういう意味じゃ故郷に貢献してるのかな(笑)」

「作品としては色を意識して作ってると思います。
 金銀豪華絢爛なものじゃない、日常の器というか・・

 漆ってあまり今の若い人には馴染が無いでしょ。
 でも、器作ってる以上は何より手にとって使って欲しいんですね。
 日常で、盆正月のようなハレの時の器じゃなくて。

 そういう皆さんが手にとって、あ、いいなとか
 あ、これ、可愛いとかね、そう思ってくれる切っ掛けになるような
 そういう漆の器を作ってる、作りたいと思うんです。」

自分らしく、人が手にとって101018_3.jpg
使ってもらえる漆の器。
そのスタイルは
日々変わっていくにしても
その変化も見ている人が
楽しみ使ってもらえるように・・
そういう感性の器を届けていきたい、と飯塚さん。

「それを使うと生活が
 ちょっと楽しくなる・・・
 その程度でいいんですよ(笑)
 それ一個置いてもらえば空間がちょっと色づくような
 さりげなく片隅で、あの、=ほわっ=とあるみたいな・・・

 自分の感性に近い若い人を
 もっとこの漆の良さに気づかせたい。
 今は、それが夢でしょうか、ね(笑)」

真摯な目で柔らかに笑う若い漆工芸作家の手で
上越生まれの漆作品は日々進化を遂げています。


 

2010年11月22日

尾身伝吉さん(11/22) 

尾身伝吉さん (版画家 十日町市・津南町)
    
豊かな自然に恵まれた越後妻有地域(えちごつまりちいき)。
     
その景観を木版画で表現する尾身伝吉さん。
海外での個展、地元芸術祭への出展など
国内外で積極的に活動を行なってきました。
 101122_1.jpg
 「元々、高校時代から年賀状を
 版画で作っていまして・・
 高卒で着物のデザイナーに
 なった後、
 本格的に版画の講習会、
 ですか、に参加して面白さに
  目覚めたといいますか(笑)」

その当時は
高度成長期の只中、
田舎の風景から
古民家が消え、はさ木が消え
小さな田圃が大きくなり・・そんな時代の流れの中
自分なりに古い子供のころのふるさとを・・・

「残してみたいなあ・・と、思ったんでしょうかね。」

版画家になろうと思っていたわけではなく
それはいまでも変わらないんですが・・と、尾身さん。

「自分の好きなふるさとの風景を、
 自分なりに次の世代のひとたちに、と、言いますか・・
 私たちの故郷はこんないい処だったんだよ、
 こんな素晴らしい景色の中に私たちは住んでいるんだよ、と
 伝えたかったのが・・原点なんでしょうね。」

101122_2.jpgだから、
わたしの版画になる風景は、
風光明媚なものでなくて
いいんです・・・
自分なりの思い出の場所や
景色を自分なりに残していければいいのですから・・・

尾身さんはそう言って
やわらかな表情で笑います。

 

「ですから、一つの作品を見ていただいたときに
 五人のひとが見れば五人それぞれ違う思い出とか
 風景を思い出して見ていただけるみたいなんですね、

 私の作品なんだけど見た人がそれに思い出を感じることで
 それが自分の思い出の景色のように語ってくれる。
 自分の版画がそのひとのものになる、と言うか・・・
 展覧会などやってみて初めて知りましたね、こういう喜び。」
 
地元の学校で美術の指導も行なう尾身さん。    
「表現すること」の素晴らしさを次の世代へ受け継いでいます。  

「版画は日本の伝統芸術101122_3.jpg
  なんですが
 今の日本ではあまり興味が
  示されないというか・・
 その素晴らしさ、楽しさを
  次世代に伝えたいと
  思いますね

 ですから上手く描こうなんて
  思わなくていいんです。
 やりたいように自由に、
  そういう発想は
  子供の時にしか出てこないもの、と思いますから。」

「今まで好きなことをさせて楽しませてもらいました(笑)
 この故郷にですね・・ですから、これからは
 その思いを版画にして若いひとたちに伝えながら
 私のように楽しんで何かを出来るようなプログラムを
 考えて伝えていければいい、と思っておりますよ。

 あと、今後は海外の友人とも協力して
 新潟の良さ、自然の豊かさを版画を通して
 より広く世界にお伝えできればなあ・・とも思います。

 それがこの故郷への恩返しのようなもの、とも思いますので。」

尾身さんの「故郷への思い」は    
版画を通して子ども達に受け継がれ
また、広く日本に、世界に羽ばたいて行きます。    

2011年3月30日

小黒亜紀さん(3/30放送分)

小黒亜紀さん (ピアニスト・新潟市)
      
新潟市の音楽ホール。
ピアノのリハーサルが行なわれています。

小黒亜紀さん。110330_1.jpg
地元新潟を拠点に活動する
ピアニストです。    

「人前で演奏する事が
 何より好きだったんです。
 聴いてくれた方が笑顔で
 帰っていったり
 感動したと言ってくれたり
 する人がいます。

 人に感動を与えられるのが
 ピアニストなんだなって・・
 すごい素敵なことだなあって思って。」

  「新潟は育った場所ですから
  やはりこの場所で・・・大学時代は東京で勉強でしたけど
  やっぱり育った地域で頑張りたいなあ・・と。
  小さな子供から大人の方まで指導しながら
  新潟でピアノを、音楽を発展させたいなあ・・と。」

110330_2.jpgショパン国際ピアノコンクールアジア大会で銅賞を受賞するなど数々の実績を残してきた小黒さん。
来月には地元で初のソロリサイタルが開催されます。

 「新潟は冬の雪もありますし
 季節の厳しさもありますけど
 その気持ちの上下っていうか
 移り変わりが私の音楽には
 生きると思うんです。

 あと、コンクールなどの参加活動も
 幾つか賞を戴いたりしましたけど
 最初は駄目な時も多かったんですよね。

 逆にその悔しさがバネになってもいて
 何時かは新潟から世界に名前が知られるように・・
 なりたいなあ・・と、思っています。」

元々人に気持ちを伝えるのは不得手だったんですけど
音楽を通じて=優しさ=とか=苦しみ=とか
そういう=感情=を表現出来るって素晴らしい事ですよね。

柔らかに笑う小黒さんは新潟で
ピアノ教室の先生も勤めています。

「育った土地でやっぱり、110330_3.jpg
 ピアノの裾野を
 いえ、音楽そのものの
 裾野を広げていく
 そういうお手伝いが
 出来れば・・と。

 生徒には
 =先生みたいになりたいな=
 と思ってもらえれば
 嬉しいですし
 私の生徒たちが
 これからも活躍できる場所が
 新潟にも沢山出来てくれればと思って。」

間もなく彼女のふるさとでの最初のリサイタル。
思いを込めた演奏を、と、練習に打ち込む小黒さん。

「音楽を聴く事で人の気持ちを変えていく
 明るくしていく・・そういうコンサートをしたいです。
 これからも、ここ、故郷の地で、ずっと・・。」

 美しい音色に込められた小黒さんの思いが
 新潟の地で発信されています。


※小黒亜紀コンサート
  4月17日 新潟市 だいしホール。
  13時30分開場 14時開演

110330_p.jpg 

 

提供

アーカイブ



番組テーマソング



NTTドコモ限定
番組テーマソング
カナデフウビ「明日には」
メニュー→メニューリスト→TV/ラジオ/雑誌→①TV→▼地方局ほか→□関東甲信越→新潟放送→ワンダフル新潟人!


Copyright© Broadcasting System of Niigata Inc.
BSN新潟放送TOP
Powered by
Movable Type 4.1