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2009年5月 アーカイブ

2009年5月 4日

若林 修一さん(5/4)

若林 修一さん(新潟市 雑誌=新潟komachi=刊行)
 
ファッションやグルメなど     090504_1.jpg
 新潟の旬な情報を発信している月刊誌     
 「新潟komachi」。     
 その創刊に尽力した人が     
 若林修一さんです。
 
「消費市場の中で一番お金を使うのは女性です。
 世の男は奥様に財政握られてますからね(笑)
 女性の支出感覚にkomachiという雑誌を通じて
 指針みたいなものを提示することでそういう女性との
 お付き合いの切っ掛けがもてればな・・と。」
 
komachi創設のきっかけを若林さんはこのように語ります。
 
「飲食、雑貨、観光、恋愛、こういう要素を組み込んで
 女性に地域での生活のための力を与える雑誌にしたかったですね。」
 
情報は散在するだけでは意味が薄い
・・纏めて出すことによって選択肢も実用性も大きく広がる
それがkomachiの大きなポイントなんですよ・・とも若林さん。
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 新潟初の女性向け情報誌として創刊されたのが92年。     
 現在では発行部数55,000部を誇るまでに成長しました。     
      
 「豊かな選択肢があることで、皆がお金を払って楽しむことも増える。
 そして新潟の経済の根本からの活性を・・というのが大本にありますね。
 
 例えばkomachiの名物のラーメン特集なども、単にラーメン店だけじゃない。
 その店に箸を納入する業者から肉調達する肉屋に至るまで
 その記事の影響が及べばより大きな経済への働きかけになる。
 そこまで常に考えて雑誌作りをしていきたいと思っています。」
 
流行に関しては各業界の人たちと協力しつつ
地域により受け入れられるものを目指して。
文化という意味では多くのひとのこころの満足度を
高めていく材料を提供するということで
 
「多少の貢献は出来たのかな・・という自負は少しあるでしょうか(笑)・・
 
今、komachiの読者を卒業した年代に向けた
新しい情報誌もスタートさせています・・新潟で暮らす女性が
090504_2.jpg色んな選択で悩むとき、その指針になるような、
そして指針として選ばれ続ける紙メディアでありたいですね。
紙面で出来ないことはインターネットなりどんどん活用して・・。」
 
今後のkomachiの展望を熱く語る若林さん。
その努力によって、気軽に手に入るたくさんの情報は     
 新潟の女性達のライフスタイルをリードしていくことでしょう。

2009年5月11日

とき ゆうじさん(5/11)

とき ゆうじさん (マウイホーン奏者 新潟市出身)   090511_1.jpg
   
「良く、とき・ゆうじは芸名ですか?と聞かれるんですが
 此れは本名をひらがなにしただけなんですよ(笑)
 佐渡出身でもないです、新潟市内ですから・・」
     
そう言って笑うときゆうじさんは
日本でも数少ないマウイホーン奏者。
ハワイ産まれのリード楽器、マウイホーンを手に     
地元新潟と首都圏を中心に活動しています。     
     
「此れは広義のバンブーサックスになるのかな・・
 ハワイで作られた楽器なんですね・・
 私も昔から色んな楽器を弄ってるんですが
 此れがある時期東京で噂になりまして・・
 渋谷の駅前で此れを売ってる外人さんが居る・・と。
 
090511_3.jpgつい衝動買いしたものの手付かずだったマウイホーンでしたが
その素朴な音に魅せられて此れを単なる玩具で終らせたくないな・・と
ときゆうじさんはマウイホーンを使ったライヴを始めます。
その素朴な竹の響きが奏でるシンプルなメロディは     
「ひらがな音楽」と名付けられ数々のCDもリリースされるようになりました。
 
「僕は音楽の楽器ってのは・・・空気に色を付けるものだと。
 で、考えたいったら此の楽器に合うものは何かなと言ったら
 決してシンセサイザーじゃない・・アコースティックな楽器かな・・
 
 で、現在のようなギターや生の太鼓や・・というユニットが出来たんです。
 だから、聴いててドキドキハラハラするような音楽じゃないんですよ。
 空気が柔らかく聴く人を包み込むような音楽・・というのかな。
 そういう空気に自然となっていって・・それが=ひらがな音楽=(笑)」
     
「ひらがなの気持ちで奏でるから、聴いてくれる皆さんもひらがなの気持ちで・・
力いっぱい全力で・・ってものじゃない、さり気なくわかり易く・・。
小学生が聴いてすぐ=あ、ぼくでも出来る?=と思えるような
090511_2.jpgそんな音楽が理想・・・最近はそんな風に思っておりますよ。
 
聴いたら眠りに誘われていくような癒し・・というのかなあ。
それが音楽で表せた感じもね・・・上手く言えないんですが」
 
ときゆうじさんはそう言って穏やかそうに笑いました。
 
ひらがなの気持ちで奏でられる奇を衒わぬ自然体のメロディー    
マウイホーンが生み出す「癒し」の音色は    
新しいスタンダードナンバーをつくり始めています。

2009年5月18日

森岡泰彦さん(5/18)

森岡泰彦さん  (製造業者「新潟造形」代表)
 
「最初に直した木は・・椿でしたかね。
 それから欅(けやき)、柳、松・・」
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大切な木だからこそ残したい...。     
 そんな思いで木を守るひとがいます。     
      
森岡泰彦さん・・・・腐蝕して穴が開いた木を
樹脂で補修する工法で特許を取得しました。     
      
「切っ掛けは地元の造園業組合の方たちに
 あんたんとこの技術で木の補修ってのは出来ないか・・と
 言われたことからでしたが・・・やってみたら案外に出来まして(笑)」
     
 事も無げに語る
森岡さんの本業は立体造形物の製造。     
 その造形物制作のノウハウを活かした樹脂による木の修復で     
 これまでに30箇所以上の木を蘇らせてきました。     
      
 「殆どの木が、思い出深い木・・なんですよ。
 大切にされている木、と言ってもいい。
 先々代が植えたからどうしても枯らしたくないとか
 神社仏閣のシンボルとして氏子一同が
 先祖から守って来たのを此の代で絶やしたくない・・とか
 思いのこもった木なんですね・・だから尚更喜んでもらえた。」
 
090518_2.jpg 木を癒すことで多くの人に感謝される喜び、
 また自分の技術が世の中の役に立つという感動・・・
 
 ほんの小さな切っ掛けで生まれた技術でしたが
 此れを特許申請したら思いのほか早く認められた・・・
 そのことでますます森岡さんはこの技術の必要性や重要性が判ったと語ります。
 そしてより多くのひとに伝えていかなければ、と思ったそうです。
 
「本業は別に在りますからこれ一本とは行かないんですが(笑)
 なるべく多くの方に使って頂きたいと・・・
 この技術がある意味=エコ=に繋がるとも思っておりますし・・
 ただ現在技術的にかなりの専門知識を必要とするものですから
 まず造園業の皆さん対象に広めていくことを考えています。
 今後の課題は誰でもがこの修復技術を使えるように
 簡単に、使いやすいノウハウを作っていくこと、と思っております。」
 
木はいままでいかに古くとも歴史があろうとも腐れば伐(き)る
そういう流れだったですが、その木がそこまで育つ為に
どれほどの時間がかかり、どれ程の歴史が刻まれてきたか
伐るのは簡単、でも本当にそれでいいのか?・・・・090518_3.jpg
そういう=木の歴史=をきちんと後世に残していかないと。
そんな思いが最近は何時も胸中にありますよ・・と、森岡さん。
 
木を守ることは木の歴史と思い出を守ること
 
「それが出来るという技術を開発できた・・嬉しいことじゃないですか(笑)」
      
 森岡さんの手で元気を取り戻した木々・・・     
 これからも成長を続けていくことでしょう。
木を囲む多くの人たちのこころに新たな思い出を刻みつつ。

2009年5月20日

これからのワンダフル新潟人放送予定

 
 5/25 八木 洋 「新潟島シティガイド」代表
新潟市中央区の観光名所を案内するボランティア団体。
発足から1年を迎え、当初の目標を大幅に上回る489人を案内しています。
市の養成講座を受けた50~70代の25人が所属しており
西大畑のどっぺり坂周辺の散策や寺町の町歩きなど4コースを約2時間、1人500円で案内中。
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6/1 横井 栄子 「朝日村繭の花の会」代表
養蚕婦人部メンバー19人で発足した繭の花の会。
安い繭が大量に輸入されるようになり、養蚕をやめる農家が増えていく中
朝日村の特産物養蚕を残して行く為、繭を使ったシルクフラワーで新しい形の養蚕事業を展開する。
現在ではそのシルクフラワーが朝日村の特産品と称されるなど、地元の期待も高まってきた。
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6/8 伊藤 達也   糸魚川シチュエーションロードムービーズ代表
糸魚川市の海谷渓谷をロケ地に映画「楢山節考」を地元で自主上映。
子どもの頃、自宅近くに映画館があり、映画にのめりこむきっかけに・・・
だが5年ほど前に戻った糸魚川で相次ぐ閉館の末に映画館が1軒もなくなってしまったのを見て
映画の魅力を知ってもらおうと飲食店や福祉施設などで無料の鑑賞会を始めた。

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6/15 吉田 健太郎 「まちカフェLink」設立・敬和大学専任講師
新発田市の中心商店街の空き店舗にユニークなカフェを開く。
「シャッター通り」と揶揄され、かつての賑わいを失う中心市街地に
市民が集う交流の場を作り、活性化の糸口を作りたいとの目的で昨年10月にスタート
お茶を楽しむお年寄りや母親らに変わって同大学の学生が買いものに出かけたり、
無料で子どもを預かったりする独自のサービスを展開中
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一年で一番清清しい季節、今後もスタッフ一同新たな気持ちで
新潟県内を跳びまわり素敵な=新潟人=をご紹介して参ります。
今後とも=ワンダフル新潟=を宜しくお願い致します。
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2009年5月25日

八木洋さん(5/25)

八木洋さん (新潟市・新潟シティガイド代表) 
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 新潟島の観光名所を案内する新潟シティガイド。    
     
 去年の4月に発足し、
1年間で目標の3倍を超える
 489人を案内しました・・・その代表が八木洋さんです。    
     
 「最初は新潟市の観光ガイド養成講座・・ですか
 それを受講したのが切っ掛けだったんですがね。
 二年間講座で勉強させていただいて、
 そのあと今の自主団体を立ち上げた・・という事です。」
 
まず、何よりも自分が新潟の、ふるさとのことを知りたい・・
それがすべての始まりだったと思いますよ・・と、八木さん。
発足当初は市内・市外の歴史好きの人たちなど
地元の団体からのオファーが殆どだった・・とも。
 
「 ただ、今年はにいがた大観光交流年ですからね。
 市も県もたっぷり宣伝して戴いたおかげで
 県外からいらっしゃるガイド希望の方も大分増えまして(笑)」    
「県外の方が言われるのは、まあ新潟市は食べるものが美味しい。
 川と海の織り成す景色がいい・・あと=ともかく空が広い街=だと。
 
090525_2.jpg新潟島の歴史や町並み・・その成り立ちや、今は忘れられた風物
そんなものも含めて此の地域を訪れた人たちに紹介していきたい。
まず何よりもお客さんと接しながらのガイド・・という考え方を忘れずに
5人程度を1人のガイドがご案内する・・というやり方を守って
今後もこの新潟島ガイドを続けて、進めて行きたいと語る八木さん。
  
「私たちのガイドで新潟の見方が変わってくれれば・・と思います。
 良く謙遜なんでしょうか=にいがたは何もないとこだから=と
 どうも新潟県人は言いがちのように思うんですが(笑)
 けっして=そんなことは無い=・・と知っていただければね(笑)
 
 だからそれこそお馴染みの観光スポットから路地小路の裏
 あまり知られていない美味しいものまで・・今の新潟島の魅力をね
 来て戴いた方皆さんにご紹介するのが目標・・でしょうねえ。」
 
 秋にはにいがた国体やJRのキャンペーンも控え    
  新潟島観光ガイドの需要は今後ますます増える
  ・・とも予想されています。
   
「まずボランティアであるわけですから、ガイドしながらも
 自分たちも見たことの無い=新潟=を発見して楽しみながら・・・
 皆さんのお役に立たせて戴いて末永く続けて行きたいものですね。」    
     
今年度は第2期の新潟島ガイドの募集も始まりました。090525_3.jpg
 
 魅力溢れる川と港、広い空の街=新潟=の街歩き...。    
 その魅力を数多くの人に伝える事が出来たら・・
 
「それが私たちガイドにとっての=新潟自慢(笑)=であり
 なによりの遣り甲斐、喜び・・というところでしょうか(笑)」    
   
八木さんたちの活動はこれからも続いていきます。

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