◇スタッフ一同より
4年半の間ご覧いただきましたワンダフル新潟人。
2011年3月30日放送分をもって最終回となりました。
ご出演いただいたおよそ250人のワンダフルな新潟人たちと
長い間ご覧いただいた皆様に、スタッフ一同心よりお礼を申しあげます。
ありがとうございました。
4年半の間ご覧いただきましたワンダフル新潟人。
2011年3月30日放送分をもって最終回となりました。
ご出演いただいたおよそ250人のワンダフルな新潟人たちと
長い間ご覧いただいた皆様に、スタッフ一同心よりお礼を申しあげます。
ありがとうございました。
小黒亜紀さん (ピアニスト・新潟市)
新潟市の音楽ホール。
ピアノのリハーサルが行なわれています。
小黒亜紀さん。
地元新潟を拠点に活動する
ピアニストです。
「人前で演奏する事が
何より好きだったんです。
聴いてくれた方が笑顔で
帰っていったり
感動したと言ってくれたり
する人がいます。
人に感動を与えられるのが
ピアニストなんだなって・・
すごい素敵なことだなあって思って。」
「新潟は育った場所ですから
やはりこの場所で・・・大学時代は東京で勉強でしたけど
やっぱり育った地域で頑張りたいなあ・・と。
小さな子供から大人の方まで指導しながら
新潟でピアノを、音楽を発展させたいなあ・・と。」
ショパン国際ピアノコンクールアジア大会で銅賞を受賞するなど数々の実績を残してきた小黒さん。
来月には地元で初のソロリサイタルが開催されます。
「新潟は冬の雪もありますし
季節の厳しさもありますけど
その気持ちの上下っていうか
移り変わりが私の音楽には
生きると思うんです。
あと、コンクールなどの参加活動も
幾つか賞を戴いたりしましたけど
最初は駄目な時も多かったんですよね。
逆にその悔しさがバネになってもいて
何時かは新潟から世界に名前が知られるように・・
なりたいなあ・・と、思っています。」
元々人に気持ちを伝えるのは不得手だったんですけど
音楽を通じて=優しさ=とか=苦しみ=とか
そういう=感情=を表現出来るって素晴らしい事ですよね。
柔らかに笑う小黒さんは新潟で
ピアノ教室の先生も勤めています。
「育った土地でやっぱり、
ピアノの裾野を
いえ、音楽そのものの
裾野を広げていく
そういうお手伝いが
出来れば・・と。
生徒には
=先生みたいになりたいな=
と思ってもらえれば
嬉しいですし
私の生徒たちが
これからも活躍できる場所が
新潟にも沢山出来てくれればと思って。」
間もなく彼女のふるさとでの最初のリサイタル。
思いを込めた演奏を、と、練習に打ち込む小黒さん。
「音楽を聴く事で人の気持ちを変えていく
明るくしていく・・そういうコンサートをしたいです。
これからも、ここ、故郷の地で、ずっと・・。」
美しい音色に込められた小黒さんの思いが
新潟の地で発信されています。
※小黒亜紀コンサート
4月17日 新潟市 だいしホール。
13時30分開場 14時開演
次回の放送は、3月30日(水)20時49分からの放送予定でしたが、休止となりました。
ご了承ください。
東 賢一郎さん(長岡市~旧三島町~ のこぎり職人) ※地震の為、放送されませんでした。
およそ160年の歴史を誇る
長岡市三島地区の手引きのこぎり。
東賢一郎さんは
この「三島ののこぎり」作りを
継承するただ一人の職人です。
「昔は、この、のこぎり作りが
産業の米(中心)だったんね。
あらゆるものに線ひいて
切るって仕事があった。
ただ、替え刃ののこぎりが
出てきてね。
今、高い手作りののこぎりが廃れてしまった。」
其れでも職を変えて一年生になんのは嫌だったからね・・
そう言って笑う東さんは職人の貌(かお)。
のこぎりの研ぎをやり在庫を処理したりして
しのぎながら頑張っているうちに・・
「最期は、俺一人になってしまったね。
まあ、良い事か悪い事か判らんけども
そこで需要と供給のバランスってえのが・・
取れてまた幾分喰えるようになったというか(笑)」
値段は今の替え刃のこぎりと競争だ、と言いながら
東さんは三島ののこぎりを熱く語ります。
「切れ味はまあ、
最近の替え刃とも
変わらんさ。
ただ、使いやすさがまったく
違うんだね。
金(かね)削って
本(もと)厚くして
中を剥(す)いてあって・・
昔からののこぎりはね。」
スムーズな切れ味を生みだすその繊細な技は多くの人から評価され、
大手百貨店を始め全国から注文が相次いでいます。
「褒め言葉は、ただ、=切れる=ってね。
言われると嬉しいね・・刃物は。
後は、講釈(理屈)はいらんわね。
幾ら安くても切れねば詐欺と言われる。
幾ら高くても切れれば名人って言われるんだが。
刃物の一番おっかねえとこは・・そこなんだね。」
そう職人の意地をや心構えを語りつつも
東さんは新たな製品の開発も考えています。
「(伝統を)守るとこは守る・・
でも、新しい製品でも
勝負したいねえ。
今までみたいに刃と
柄を溶接しないで
手間かけずに
安く切れ味のいい・・
のこぎりの売上は
今、年間100億くらい
あるんだと・・
替え刃のやつに
負けないやつを造りたいね。
切れ味でも使いやすさでも
値段でも・・・」
「其れが夢だね・・夢がなくちゃ・・
仕事やる気も無くなってしまうがね(笑)
そのためには造るだけでなくて
商人にもならんばならねえわね。
頭も下げないと駄目だわ。
それでも三島ののこぎり屋の親爺が・・
もってきたもんは間違いねえ、と言われるように。
何年掛かるかは判んないけども・・ね。」
この地に伝わるものづくりの伝統を
今日も守り続ける職人が
そこに・・・確かに生きていました。
※放送予定でした3月21日分のワンダフル新潟人は
報道特別編成のため休止とさせて戴きました。
NTTDOCOMOの携帯アーカイブではご覧いただけます。
早福百合さん(弥彦村 和カフェ「社彩庵」店主) ※地震の為、放送されませんでした。
県内でも有数の観光地として知られる弥彦村。
この温泉街にある名物カフェ「社彩庵」の店主が早福百合さんです。
母親が営んでいた土産物店を改装し、5年前にこの店をオープンしました。
「大阪の専門学校を出て、
京都で食べ歩きをして、
1年ちょっと修行をして...
でも殆ど食べ歩き(笑)...
そこで原材料を探して
準備をしてました。
小さい時に
お土産屋手伝ってて...
で...電車が1時間に
1本ぐらいしかなくて...
観光でいらっしゃった方に
"弥彦には休む所が無い"って
言われてて...
それでこの店を出そうと...。
=弥彦にゆったり休める場所をつくりたい=と思ったんですよね。
美味しい...と
言ってもらえるのは
もちろん嬉しいんですけど、
やっぱりここに来て
"落ち着ける"とか
"ゆったり出来る"とか、
そういうイメージを持って
帰っていただけると
この店をやった甲斐があるなあと...。」
店の改装を手掛けたのは、
十日町市で古民家再生に力を注ぐドイツ人建築家"カール・ベンクスさん"。
今まで弥彦にはなかった独特な"和の空間"と
素材にこだわった手づくりの和菓子が評判になり、
幅広い年齢層から愛される店になりました。
「母がこの建物を残したいと...で、
ちょうどテレビでカールさんの
建物を紹介していて...
あっこれだと(笑)...
私が京都に行っていたと
いうのもあるんだと
思うんですけど、
弥彦の落ち着きって
京都とどことなく
似ているなって...
神社の目の前っていうのも
あって...で、京都の風情とかを
こっちに持ってきても受け入れられるんじゃないかなと...。
色々な要素を考えたら...このスタイルに落ち着いたんですよね。
5年やってて、今では若い子たちも沢山来てくれるようになったし、
昔から弥彦は=年配の方が多い=ってイメージがあったけど、
それが変わってきてくれて、まわりも変わってきて...
ちょっとは役に立ってるのかなとは思っています。」
そう言いながら、気さくな笑顔を見せてくれた早福さん。
最後にふるさと弥彦への思いを
語ってくれました。
「弥彦から離れたくは
ないですね...
生まれた時からずっといて...
この場所で、
この建物だから...
ずっとやっていきたいし...
私の店が、弥彦に来てくれるきっかけになってくれれば...
弥彦の賑わいに一役買えれば...
弥彦が活気付けばいいなと...本当それだけですね。」
人々の心を癒す"和の空間"が、
弥彦の魅力アップに一役買っています。
・地震報道のため、3月14日の放送は休止となりました。ご了承下さい。
井口彰子さん 十日町市 裂織デザイナー
着物などを細かく裂いて、再び織り、新たな生地へと再生する「裂織」(さきおり)。
その「裂織」を使って、帯や雑貨などの作品作りを行なっているのが、
雪と着物の町「十日町市」で生まれ育った井口彰子さんです。
「=着物=って敷居が高い
とかってイメージが強くて、
私たちぐらいの世代は
なかなか手にとらないん
ですよ。
その中で=私が欲しいもの=
を作りたいと思って
始めたんですけど...
裂織って
横の縞だけの模様が
結構一般的なんですけど、
柄を織り込んだものとか、
鮮やかな色味のものとか・・・
私なりの作品づくりを心掛けていて・・・
そういうのは全国的にも珍しいって良く言われます。
手にとってもらって初めて『それ、実は着物なんですよ』って言うと
『えっこれ着物なんだ?』ってなるんで...
そこから『着物って素敵なんだ』とか『こんな柄も作れるんだ』って、
そういうところから少しでも着物の世界に興味をもってもらえればと・・・。」
東京のファッション業界での
経験を生かした
独自の作品作りを行なう井口さん。
バッグやかんざし、
ヘッドドレスなどの
華やかな作品の数々は
若い世代から注目を受けています。
=着物=って色んな要素が
すっごいぎっしり1枚に
詰まっているんですよ。
どんな子でも好きになる要素が...
そういうのを気付いてもらえたら...
=裂織=って普段着で使ってもらうものだし、
どんな用途にも使えるのが魅力で・・・
デザインや柄に「しばり」がないので、
和と洋の両方で使えるものを作って・・・
日本人はもちろん外国の方にも興味を持って欲しいと思ってます。
最後に『今後の目標は?』と問いかけたスタッフに、
穏やかな笑顔で話してくれました。
「県外の人に会った時とか
『十日町から来ました』って
言うと、
『ああ、着物の町十日町ね』
ってよく言われるんですが、
そういう時改めて、
十日町が着物で育ってきた
歴史は全国に知れ渡って
いるんだなと凄く感じて・・・
それは先輩達が
積み重ねてきたものなんですけど・・・
今自分が実際に着物の世界に居て、
その歴史を次の世代へ引き継がなきゃなという思いはあります。
私自身は=職人=って言うとおこがましいかもしれませんが、
やっぱり職人でいたいですね。=裂織=という織りが好きなんで、
沢山の人にその魅力を知ってもらいたいですね。」
着物の町十日町に、
新しい"和の文化"が芽吹いています。
小林政敏さん (長岡市 栃尾のあぶらげ製造)
長岡市栃尾地区の名産品「栃尾のあぶらげ」を製造する小林総本舗。
この伝統の味を先代である父から受け継いで守り続けてきたのが
小林政敏さんです。
「やっぱり父の影響は
大きかったですね。
それとやっぱり
地元の名産なんで、
其れに携われればと...
栃尾のあぶらげのといえば、
やっぱりその大きさと厚さが
特長で、
あとは揚げてる油なんかも、
なたね油を使ってたりして、
やっぱり香りがいいですし、焼いた時もすごくいい。(笑)」
去年発足した「栃尾・食と農の連携プロジェクト会議(あぶらげプロジェクト)」の
会長に就任した小林さん。
地元の農家や飲食店などの協力を仰ぎ、
地元産の大豆を使った「オール栃尾」のあぶらげづくりや、
あぶらげを使った新しいメニューの開発など、
地域の活性化を目指した取組にも力を注いでいます。
「あぶらげ自体の値段が
大きい割に安いかなと、
ずっと前から思っていたん
ですけど...
大豆も作ってみたいなとも
思っていたんですね。
自分では作れないんで...
で、あぶらげプロジェクト発足
の話しを聞いて、
あっ...これだと思って
参加しました。
栃尾のあぶらげをもっと有名にしたいんですよね。
出張に行って、全国のいろんな物産展に出させてもらって...
栃尾のあぶらげをまだ知らない人も多いんですよ。
それで=オール栃尾=のあぶらげづくりが出来れば、
其のブランド力をもっと高められるかなって...
それに、栃尾は田んぼも畑もやる人が少なくなって、
土地も大豆をつくれる場所もあるのに...
逆にそういうところに=大豆買います=って言えば、
大豆つくる人も出てくるかなって思って...
で、あぶらげを売ることによって、大豆をつくる人も潤って、
栃尾の活性化もできれば...という思いもあって」
プロジェクトはまだまだ
スタートしたばかり、
これからが正念場だと
小林さんは言います。
「油揚げ=といえば
栃尾でしょと言われたい...
全国いろんなところに
=油揚げ=変わったの
結構ありますんで...
でも、その中でも一番は
栃尾でしょって...
日本全国の人に栃尾のあぶらげを知ってもらうことが夢ですね。」
地元の名産で地域の活性化を...
小林さんの奮闘はこれからも続きます。
坂井俊文さん (新潟市 刀剣鞘師)
現在では美術品として愛されている日本刀。
その美しい刀身を収めるのが鞘。
坂井俊文さんは新潟県で唯一の刀剣鞘師です。
「中学校卒業の時に、
進学か就職か迷いましてね。
父が鞘師をしておりまして、
自分には無理かなと
思っていたんですが
当時の学校の先生に
お父さんの仕事で
生計が立つのかと言われて
逆にかちんと来まして(笑)、それがきっかけでしょうか。」
そう言って坂井さんはやわらかく笑います。
鞘は日本刀を守るもの・・形のみならず伝統や文化も含め。
仕事には常にその真摯な思いが現れなければ、と、坂井さん。
全国から年間100本もの制作依頼があり
20年に1度打ち直される伊勢神宮の奉納刀の鞘も手掛けました。
「まず、何よりこの仕事を
知って欲しいですね。
鞘を納めるときも
仕事の内容を見て
いただきたいと・・
普通出来上がりの外観、
表が目立ちますが
本当は鞘は、中(内側)が
大変なんです。
それを酌んでもらった時は
とても嬉しい。」
「鞘は刀を錆びさせぬことがまず第一、
それが全てかもしれませんが・・・
伝統ある日本刀を守る仕事をしているという
誇りは、まあ、いつも在りますね。
それだけに、出来上がったものをお渡しするまでは
常に緊張しつづけてると言うか(微笑)。」
鞘には白鞘(朴の木の柄と鞘のみで白木のまま仕上げた鞘)だけで
100種類以上の形があり、刀の造られた時代に合わせた造り方があり
拵(こしら)え(鞘を含む刀の礼装的外装)も変わる・・・
それをすべて造れるようには
一生掛かっても無理かもしれないくらい
鞘と言うのは奥が深いんですね・・・
淡々と語る酒井さんの表情に
浮かぶ一徹さ。
伝統を守る職人の気構えが
垣間見えます。
「まだまだ、全部知ったなんて
とても言えませんからね。
55歳でようやく、
今、入り口でしょうか(微笑)。
此れからがまだ修行だ、と
思っていますよ。」
「ただ、自分流で拵えても駄目なんです。
刀の時代を知りそれに合わせ・・
素人の方にもわかっていただける外観と
玄人を唸らせる内面を兼ね備えた・・
あくまで日本刀を守るものが鞘でしょうし
それを造る事は日本の伝統を守ることでも
たぶん、あるのでしょから・・。」
新潟県唯一の職人の気概は
今日も日本の刀剣文化を
しっかりと守り継いでいます。
伊藤ミヨコさん (弥彦村・分水堂菓子輔店主店主)
弥彦村特産の枝豆「弥彦むすめ」の餡を
白い生地に包んで焼いた「パンダ焼き」。
地元菓子店「分水堂菓子舗」の店主
伊藤ミヨコさんがたった一人で作っています。
「最初は弥彦村のね、
宣伝のために作って
みたんだね。
白い生地と弥彦むすめの
枝豆とが合うんだわ(笑)。
色合いも、またいい味と
香りがして・・・」
この地で長く菓子店を営んできた伊藤さん。
弥彦村の活性化に一助に、と商工会からの依頼もあり
白い生地に緑の枝豆、弥彦むすめを餡にした
新しいパンダ焼きを独力で開発しました・・・
もちもちとした食感が評判の「パンダ焼き」
去年開催された「全国物産展おやつ部門」で
見事グランプリに輝いています。
「おかあさん、旨いよ、
美味しいよ・・ってねえ。
言ってもらうのがなにより
嬉しいんだわね。
いっぺ(沢山)買ってもらうと
もっと嬉しくて
おまけしてあげたいんだけど
ねえ・・
とにかく今沢山のお客さんが
来てくれるんで
なかなかそうも出来なくて
悪い気もしてね(笑)」
菊祭りなど弥彦の大きなイベントの時には
外国人のお客さんのリピーターって言うのかね
来てくれたりもして・・何か嬉しいねえ・・・
お客さんに喜んでもらえるように
味を落とさないように頑張って行きたいねえ・・・
伊藤さんは満面の笑みで語りました。
「あと、何年出来るかは、
まあ、わかんないけども。
まじ、健康第一、
そして笑顔でね。
お客さんに好いて
もらえるように毎日毎日、
頑張って焼いていこうと思うわねえ。
パンダ焼き有名になれば、弥彦に来る人も増える・・
神社お参りしてあっちこっちの店に行って・・・
そうなってくれるのが何よりなんですよ、本当に。」
「毎日明るく頑張って、大勢の人に来てほしいねえ。
ああ、弥彦行ったら弥彦むすめの枝豆食べられる
パンダ焼き食べられる、と、ね。(笑)
言ってくれるお客さんが大勢来て下されば・・・
私、毎日喜んでますね、ええ。(笑)」
闊達な伊藤さんの暖かい手とこころが産む
弥彦村の新たな名物が
古い門前町に新たな賑わいをもたらしています。